だと思います」
「あたくしは、臍の上に植えるのは、反対でございますわ。お嬢さんがたに植えた場合を、ちょっとご想像なさいませ、あまり美的ではございませんわ」
「もちろん、美的ではありませんが、一つは見慣れないせいですよ。見慣れると、それほどおかしくないと思いますが……」
「感心しませんねえ。それよりも、あたしくは、背中に取り付けてはいかがと思いますの。いったい人間は、背中の方に目がございませんためか、背中の方をいっこう使えませんが、それはどうも無駄をしているように思います。そこで、背中に第三の腕を取り付けまして、背面を活用いたします。そして、その第三の腕のつけ根は、他の二本の腕と同じ水平的高さに選ぶのが、力学的になっていいと思いますわ。荷物を持つのには、たいへん便利でいいと思いますのよ」
「それよりも、第三案として、両脚のつけ根のところは、どうでしょうか。ちょっと三本脚になったように見えますが、カンガルーや、尾長猿などは、太い尻尾をたいへん巧みにつかえますねえ、あのように活用するといいと思いますよ。両手に荷物をもって、夜道などするときは第三の腕で、懐中電灯をもちます」
「まあ、このへんのところでございましょうね。とにかく、第一案乃至第三案の、どれもが実現出来るように最小公倍数的な『特許請求範囲』をお書きになったら、いいじゃありませんか」
「そうですねえ。では、そうしましょう。どうも、ありがとうございました」
というわけで、余は百円紙幣と、問答の末、ついに、特許請求範囲主文を、次のように拵えた。
[#ここから2字下げ]
特許請求ノ範囲
本文ニ記載ノ目的ニ於テ、本文ニ詳記シ且別紙図面ニ付説明セル如ク、略ボ腕ト等効ナル動作ヲナス機械腕ヲ、腕関節ノ運動ト無関係ナル如キ身体ノ部位ニ取付ケ、従来ノ二本ノ腕ト共ニ、少クトモ三本ノ腕ヲ保有操作シ得ルコトヲ特徴トスル多腕人間方式。
[#ここで字下げ終わり]
これでいい。
発明者田方堂十郎氏は、人間が三本の腕を持つことだけしかいっていかなかったが、余は、『少クトモ三本ノ腕ヲ保有操作シ得ル云々ノ多腕人間方式』と書いて、その特許を使えば、三本腕はもちろんのことその範囲だし進んで四本腕、五本腕、六本腕と、いくらでも腕が殖やせるようにも、特許範囲を拡大した。ここらが、弁理士の腕前である。
なお、この次に、『附記』として、第一項、第二項、第三項を設け、腕の取り付け個所につき例の第一案乃至第三案を並べたものである。これで金城鉄壁である。
余は、もう一度読みかえすと、それをタイプライター学校へ持って行って、至急叩いてくれるように頼み、その足で、製図商会へいって、三本腕の製図を依頼して来た。
3
×月×日 晴後曇。
本日『多腕人間方式』の出願書類を麹町三年町の特許局出願課窓口へ持参し、受付けてもらった。これで、あとは、審査官の出様を待つばかりである。
今、特許局は、人手不足であるから、審査の済むのは、明年の春ごろであろう。
×月×日 雪。
午前十時、田村町事務所へ出勤。
錠をあけて、部屋に入る。
給仕高木は、ついに辞職した。母親が病気だといっていたが、これは嘘で、本当は軍需工場へ通うことになったらしい。その工場には、日比谷公園のよりも、もっといいブランコがあるのであろう。
そこで、このごろは、余ひとりで出勤し、余ひとりで掃除もすれば、茶も沸かす。結局この方が、気楽でよろしい。
外套を脱ぎながら、ふと気がつくと、入口に封筒がおちている。特許局からの通知状だと、一目で分った。
上を見ると、鉛筆で、『代印デトッテオキマシタ、ビル管理人』と書いてあった。
一体何事だろうと、余は、急いで封を切った。すると、意外にも、例の『多腕人間方式』について、審査官からの通知書が入っていたではないか。出願してから、まだ三週間にもならないのに、この通知に接するとは、異数のことである。余は、大いによろこんで、その通知書を読んだ。ところが、これは、出願の拒絶理由通知書であったのである。
[#ここから2字下げ]
『本願ハ左記理由ニ仍リ拒絶スベキモノト認ム。意見アラバ来ル×月×日迄ニ意見書ヲ提出スベシ』
[#ここで字下げ終わり]
と、あっさり殺し文句があって『左記』のところには、
[#ここから2字下げ]
『本願ノ要旨ハ、義手ヲ人体ニ添架スルニ在ルモノト認ム。然ルニ本願出願以前、帝国領土内ニ於テ、義手或ハ義足ガ公然製造使用セラレタルコトハ、例エバ明治三十九年東京市下谷区御徒町仁愛堂発行ノ「義手義足型録」ニ依リテ公知ノ事実ナリ、仍リテ本願ハ特許法第一条ニ該当セザルモノト認ム』
[#ここで字下げ終わり]
と、拒絶理由が述べてあった。
これで見ると、審査官は、三本腕の要旨を、義手義足の願いと同一視してしまったのである。余は、腹が立った。特許局の役人は、なんという分らず屋であろうか。
余は、その拒絶理由通知書を机の上に置いたまま、二時間あまり、溜息ばかりついていた。時間が経つに従って、審査官に対する向っ腹は引込んで、だんだんと情けなさが、こみあげて来た。これは、なんとかしないといけない。
×月×日 雪なおやまず。
余は、ついに、審査官に面会を求めた。『多腕人間方式』に関して、審査官の蒙を啓かんものと、特許局の階段を踏みならしつつ、三階まで上って来たのである。
応接室に待っていると、係りの神谷審査官が、横手の厚い扉を開いて、現われた。審査官は、余の顔を見るより早く、
「どうも君、困るね。この忙しい中を、あんなものを出願して、われわれをからかうなんて、困るじゃないか」
と渋面を作った。
「いえ、からかうなんて、そんな不真面目な考えはありません。ぜひ、本気でもって、ご審査願いたいのです。早く審査をやっていただいてありがとうございました」
「なんだ、君は本気なのか。いや、それは呆れたものだ。で、今日の用件は、そのことで来たのかね、それとも他の事件で……」
「いえ、あの『多腕人間方式』のことについて、審査官に、もっと認識を深くしていただこうと思いまして、参りました。あれは、義手とは違います。ぜんぜん違うのです」
と、余は、所信を滔々と披瀝した。
「いやだねえ、君は案外本気なんだね。とにかく、その旨、意見書を出したまえ。僕も、もう一度、考え直してみるから」
余は、来た甲斐があったと悦び、審査官の後姿を拝みながら、そこを辞去した。
×月×日 雪やむ。
意見書を提出せり。
4
×月×日 晴、風強し。
神谷審査官より、またまた拒絶理由通知書が来た。
愕いて、これを読み下すと、拒絶スベキモノト認ムという主文は同じで、その理由としては、次のようなことが綴られていた。これは、この前の理由とは違った別個の理由であった。それによると、
[#ここから2字下げ]
『本願ノ要旨ハ、一個ノ人体ニ、三本又ハ三本以上ノ多数ノ腕ヲ添架スルニ在ルモノト認ム。然ルニ、本願ト同様ナル着想ハ、本願出願以前ニ、帝国領土内ニ於テ存在シ、且|遍《アマネ》ク知ラレタルトコロニシテ、例エバ奈良唐招提寺金堂ニ保管セラレアル千手観音立像ハ、四十臂ヲ有ス。仍リテ本願ハ其ノ出願以前ニ於テ、公知ニ属スルヲ以テ、特許法第一条ニ該当セザルモノト認ム』
[#ここで字下げ終わり]
審査官は、千手観音を持ち出して、この出願を一蹴したのであった。
(千手観音を担ぎだすなんて、こいつは、いよいよ以て非常識だ。発明内容という奴が、あの審査官には、てんで分ってはいないのだ)
余は、天井を仰いで、慨歎これ久しゅうした。その揚句、余は、原稿紙をのべ、ペンをとりあげると、ただちにすらすらと、審査官へ申し送るべく次のような意見書を書いた。
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意見書
審査官ハ、本願拒絶ノ理由トシテ、奈良唐招提寺金堂ニ安置シ奉ル千手観音立像ガ四十臂ヲ有シ給フ事実ヲ指摘セラレタリ。然レドモ本願ノ要旨ハ、右ノ千手観音ノ構造トハ全ク別個ノ発明思想ノ上ニ樹ツモノナリ、何トナレバ、援用立像ニ於テハ、多数ノ腕ハ、悉《コトゴト》ク右又ハ左ノ腕関節ニ支持セラレ、之ヲ支持点トシテ運動スル如ク構成セラレタルニ対シ、本願発明ニ於テハ、問題ノ多腕ヲ腕関節ニ添架セザルコトヲ特徴トスルモノニシテ、本願特許請求範囲主文ニモ明記セル如ク「……機械腕ヲ、腕関節ノ運動ト無関係ナル如キ身体ノ部位ニ取付ケ」ルモノナリ。仍リテ両者ハ根本的ニ構造ヲ異ニスルモノト謂フベク、従テ本願ハ、援用立像ヲ以テ拒絶セラルル理由ヲ発見シ得ザルモノナリ。
右意見侯也
[#ここで字下げ終わり]
つまり余の言いたいことは、千手観音の腕は、いずれもその付け根が腕のところの関節へ集まっている。ところが、こっちの出願のものは、腕関節のないところへ取り付けるのだから、これは根本的に構造が違うのである――と意見を述べたのであった。
早速この意見書は、タイプへ回した。夕方には、それが出来てきたので、ただちに郵便局へ出掛け、特許局宛書留で出した。
これで黒白が決定しないとすると、この出願事件は、大体脈がなくなったも同様だ。
×月×日 また雪
万歳。
ついに意見は徹った。
特許局から、公告決定の通知が、舞いこんで来た。
[#ここから2字下げ]
公告決定通知
本願ハ拒絶ノ理由ヲ発見セザルヲ以テ、公告スベキモノト決定セリ
[#ここで字下げ終わり]
輝かしい日だ、雪は降りしきっているが……。『多腕人間方式』が、いよいよ一つの財産権となったのだ。
特許登録されるまでには、これから六十日間の公告期間を経過しなければならないが、財産権としては、この出願公告の日から、立派に効力を発生するのであった。
公告期間六十日間に、もし他より特許異議申立てがあれば、これと争わなければならないから、特許登録の日は、先へ伸びる。なるべく、異議申立てのない方がよろしいが、たとえ申立てがあったとしても、こっちは作戦おさおさ怠りなのであるから、ただちに起って、異議申立方を撃滅するであろう。
公告決定の悦びを、発明者田方堂十郎氏に一刻も早く伝えたかったので、余は事務所の表に錠をかけ、この通知書を懐にして、田方氏を、蒲田×丁目なる氏の止宿しているアパートに訪ねていった。
ところが、氏には、会えなかった。
氏は、一カ月ほど前から、ぶらりと出ていったまま、いまだに帰ってこないそうである。アパートの監理人のかみさんは、弱っていた。
「いったいどうして、帰って来ないのですかな」
と余が尋ねると、かみさんは、
「あの人には、厄介な病気があるんですわ」
「病気? それは、どんな病気?」
「発明気違いなのですの。この間も、なにやら世界的の発明をして、何とかいう弁理士に頼んで、特許出願してもらったといっていました。田方さんは、そのときその弁理士へ百円置いて来たそうですのよ。うちのアパート代を七カ月分も滞らせているのにね。あきれかえってものがいえませんのよ」
「はあ、そうですかな。じゃ、また伺います」
余は、形勢悪しと見て、ただちに退却をした。せっかく田方氏を悦ばせてやろうと訪ねていったのに、行方不明では、がっかりしてしまう。それに、余は、この公告決定とともに、田方氏から、成功報酬として金一百円也を請求する権利があるので、実はそのへんのことも大たのしみにしていったんだが、これではどうも仕様がない、あーあ。
5
×月×日 曇り、また雪ちらちら。
本日も出勤。長蛇逸したる如き金一百円の成功報酬を、今日も机の前に坐って、残念がること、例の如し。
しかるところ、午前十一時ごろ、余は、未知なる二人の紳士の来訪を受けたり。金巻七平氏及び後頭光一氏なり。
余は、心を静めて、両氏を引見した。両氏の用件は、意外にも、先日公告の『多腕人間方式』の権利を買いたしということだった。両氏は、それについて食事でもしながら、懇談したきが故に、ぜひお伴をという。依って余は、両氏の請うがままに身を委せ、築地の某料亭
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