願以前ニ於テ、公知ニ属スルヲ以テ、特許法第一条ニ該当セザルモノト認ム』
[#ここで字下げ終わり]

 審査官は、千手観音を持ち出して、この出願を一蹴したのであった。
 (千手観音を担ぎだすなんて、こいつは、いよいよ以て非常識だ。発明内容という奴が、あの審査官には、てんで分ってはいないのだ)
 余は、天井を仰いで、慨歎これ久しゅうした。その揚句、余は、原稿紙をのべ、ペンをとりあげると、ただちにすらすらと、審査官へ申し送るべく次のような意見書を書いた。

[#ここから2字下げ]
  意見書

審査官ハ、本願拒絶ノ理由トシテ、奈良唐招提寺金堂ニ安置シ奉ル千手観音立像ガ四十臂ヲ有シ給フ事実ヲ指摘セラレタリ。然レドモ本願ノ要旨ハ、右ノ千手観音ノ構造トハ全ク別個ノ発明思想ノ上ニ樹ツモノナリ、何トナレバ、援用立像ニ於テハ、多数ノ腕ハ、悉《コトゴト》ク右又ハ左ノ腕関節ニ支持セラレ、之ヲ支持点トシテ運動スル如ク構成セラレタルニ対シ、本願発明ニ於テハ、問題ノ多腕ヲ腕関節ニ添架セザルコトヲ特徴トスルモノニシテ、本願特許請求範囲主文ニモ明記セル如ク「……機械腕ヲ、腕関節ノ運動ト無関係ナル如キ身体ノ部位ニ取付ケ」ルモノナリ。仍リテ両者ハ根本的ニ構造ヲ異ニスルモノト謂フベク、従テ本願ハ、援用立像ヲ以テ拒絶セラルル理由ヲ発見シ得ザルモノナリ。
右意見侯也
[#ここで字下げ終わり]

 つまり余の言いたいことは、千手観音の腕は、いずれもその付け根が腕のところの関節へ集まっている。ところが、こっちの出願のものは、腕関節のないところへ取り付けるのだから、これは根本的に構造が違うのである――と意見を述べたのであった。
 早速この意見書は、タイプへ回した。夕方には、それが出来てきたので、ただちに郵便局へ出掛け、特許局宛書留で出した。
 これで黒白が決定しないとすると、この出願事件は、大体脈がなくなったも同様だ。
 ×月×日 また雪
 万歳。
 ついに意見は徹った。
 特許局から、公告決定の通知が、舞いこんで来た。

[#ここから2字下げ]
  公告決定通知
本願ハ拒絶ノ理由ヲ発見セザルヲ以テ、公告スベキモノト決定セリ
[#ここで字下げ終わり]

 輝かしい日だ、雪は降りしきっているが……。『多腕人間方式』が、いよいよ一つの財産権となったのだ。
 特許登録されるまでには、これから六十日間の公告期間を経過しなければならないが、財産権としては、この出願公告の日から、立派に効力を発生するのであった。
 公告期間六十日間に、もし他より特許異議申立てがあれば、これと争わなければならないから、特許登録の日は、先へ伸びる。なるべく、異議申立てのない方がよろしいが、たとえ申立てがあったとしても、こっちは作戦おさおさ怠りなのであるから、ただちに起って、異議申立方を撃滅するであろう。
 公告決定の悦びを、発明者田方堂十郎氏に一刻も早く伝えたかったので、余は事務所の表に錠をかけ、この通知書を懐にして、田方氏を、蒲田×丁目なる氏の止宿しているアパートに訪ねていった。
 ところが、氏には、会えなかった。
 氏は、一カ月ほど前から、ぶらりと出ていったまま、いまだに帰ってこないそうである。アパートの監理人のかみさんは、弱っていた。
「いったいどうして、帰って来ないのですかな」
 と余が尋ねると、かみさんは、
「あの人には、厄介な病気があるんですわ」
「病気? それは、どんな病気?」
「発明気違いなのですの。この間も、なにやら世界的の発明をして、何とかいう弁理士に頼んで、特許出願してもらったといっていました。田方さんは、そのときその弁理士へ百円置いて来たそうですのよ。うちのアパート代を七カ月分も滞らせているのにね。あきれかえってものがいえませんのよ」
「はあ、そうですかな。じゃ、また伺います」
 余は、形勢悪しと見て、ただちに退却をした。せっかく田方氏を悦ばせてやろうと訪ねていったのに、行方不明では、がっかりしてしまう。それに、余は、この公告決定とともに、田方氏から、成功報酬として金一百円也を請求する権利があるので、実はそのへんのことも大たのしみにしていったんだが、これではどうも仕様がない、あーあ。

      5

 ×月×日 曇り、また雪ちらちら。
 本日も出勤。長蛇逸したる如き金一百円の成功報酬を、今日も机の前に坐って、残念がること、例の如し。
 しかるところ、午前十一時ごろ、余は、未知なる二人の紳士の来訪を受けたり。金巻七平氏及び後頭光一氏なり。
 余は、心を静めて、両氏を引見した。両氏の用件は、意外にも、先日公告の『多腕人間方式』の権利を買いたしということだった。両氏は、それについて食事でもしながら、懇談したきが故に、ぜひお伴をという。依って余は、両氏の請うがままに身を委せ、築地の某料亭
前へ 次へ
全7ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング