透明猫
海野十三
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)崖下《がけした》の
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崖下《がけした》の道《みち》
いつも通りなれた崖下を歩いていた青二《せいじ》だった。
崖の上にはいい住宅がならんでいた。赤い屋根の洋館もすくなくない。
崖下の道の、崖と反対の方は、雑草《ざっそう》のはえしげった低い堤《つつみ》が下の方へおちこんでいて、その向うに、まっ黒にこげた枕木《まくらぎ》利用の垣《かき》がある。その中にはレールがあって、汽車が走っている。
青二は、この道を毎日のように往復する。それは放送局に働いている父親のために、夕食のべんとうをとどけるためだった。したがって、青二の通るのは夕方にかぎっていた。
その日も青二は、べんとうを放送局の裏口の受付にとどけ、守衛の父親から鉛筆を一本おだちんにもらい、それをポケットにいれて、崖下《がけした》の道を引っかえしていったのである。
あたりはもう、うすぐらくなっていた。
まだ春は浅く、そしてその日は曇《くも》っていて、西空に密雲がたれこみ、日が早く暮れかけていた。
青二は、すきな歌を、かたっぱしから口笛で吹いて、いい気持で歩いていった。
そのとき、道ばたで、「にゃーお」と、猫のなき声がした。
青二は猫が大好きだった。この間まで、青二の家にもミイという猫がいたが、それは近所の犬の群れにかこまれて、むざんにもかみ殺されてしまった。青二はそのとき、わあわあと泣いたものだ。ミイが殺されてから、青二の家には猫がいない。
「にゃーお」また猫は、道ばたで鳴いた。崖下の草むらの中だった。
青二は口笛を吹くのをやめて、猫の鳴き声のする方へ近づいた。
が、猫の姿は見えなかった。どこへにげこんだのだろうと思っていると、また「にゃーお」と猫はないた。
青二はぎくりとした。というのは、猫のないたのは彼が草むらの方へ顔をつきだしているそのすぐ鼻の先ともいっていいほどの近くだったからである。
しかも、猫の姿は見えなかった。
青二は、うしろへ身をひいて、顔色をかえた。ふしぎなこともあればあるものだ。たしかに猫のなき声がするのに姿が見えないのである。
「にゃーおん」猫はまたないた。青二は、ぶるっとふるえた。彼は、あることを思いついたのだ。
(これはひょっとすると、死んだミイのたましいがあらわれたのではないだろうか)
死人のたましいが出てくる話は、いくどもきいたことがある。しかし死んだ猫のたましいが出てきた話は、あまりきいたことがなかった。でも、今はそうとしか考えようがないのだった。
「おいミイかい」
青二は、思いきって、ふるえる声で、そういって、声をかけた。
「にゃーお」返事が、同じところからきこえた。
「あっ!」青二は、おどろきの声をあげて、その場にすくんでしまった。というわけは、彼はそのとき、草の上に二つの光るものがういているのを見つけたからである。
それはなんだか、えたいの知れないものだった。ただぴかぴかと光って、行儀《ぎょうぎ》よく二つがならんでいた。大きさはラムネのガラス玉を四つ五つあわせたぐらいあって、全体はうす青く、そしてまん中のところが黄色で、そのまた中心のところが黒かった。
(目玉のようだが、いったいなんだろう)
とたんに、また「にゃーおん」とあまえるような声がきこえた。たしかにその二つの玉のすぐそばから声が出たようである。
青二は、こわいはこわいが、その光った二つの正体を見きわめないではいられなかった。そこで、彼は勇気を出して、草むらの中へふみこむと、両手でその玉をぎゅっとつかもうと――。
「うわっ」青二は、いそいで手を引くと、その場にとびあがった。玉をつかむ前に、掌《てのひら》が、ごそごそとする毛のようなものにふれたからであった。
よっぽどそのへんでやめて、逃げだそうと思ったけれどもともと青二は、ものずきなたちだったから、ふみとどまった。そしてもう一度、その二つの玉の方へ両手をもっていった。
「あ、――」ふしぎな手ざわりを、青二は、感じた。毛の密生した動物の頭と思われるものに、ふれたからであった。
ふしぎな発見
「……猫の頭のようだが、しかしそんなものは見えないではないか」なんという気持ちのわるいことだろう、と青二《せいじ》は思った。
しかしこのとき彼は、さっきとはちがって、もうよほど落ちつきをとりもどしていた。もう一度その毛深《けぶか》い動物の頭にさわり、それから、おそるおそる下の方へなでていった。
全くおどろいた。たしかに、猫と思われるからだがあった。しっぽもあって、ぴんぴんうごいていた。足のうらには、たしか猫のものにちがいない土ふまずもあるし、爪もついていた。しかしそれは全く見えないのであった。
青二は、いよいよおどろいたが、もっとしらべをつづけた。
青二の目に見える二つの玉は、どうやらこの猫の目玉であるらしく思われる。
それから新発見があった。見えない猫の二本の前足が、細いゴムのバンドで結《むす》んであることだった。そのゴムのバンドは、草むらの中にあって、よくよく見ないと、青二の目には、はいらない場所であった。
こわいよりも、今や青二は、好奇心にわき立った。
青二は、そのあやしい猫のような動物を抱きあげた。たしかに猫ぐらいの重さが感じられた。青二は、それをしっかりと抱いて、道へ出た。そして、自分の家の方へ歩き出した。
その動物は、おとなしかった。もうなきはしなかった。青二のふところへ、もぐりこむようにして、からだをまげた。動物の温《あたた》か味が青二の方へつたわって来た。
動物はねむり始めたらしい。
「いったいこれはなにかしらん。猫のたましいにしては、すこし変だし……」
青二には、このあやしい動物の正体《しょうたい》を、はっきりいいあてることができなかった。
やがて青二は、家にかえりついた。
青二は「ただ今」といって、すぐ二階へあがった。青二は、途中で拾ってきたあやしい猫みたいな動物のことを、母親に話をしようかと思ったが、いやいやそうでない、そんなあやしいものを拾って来たことを、お母さんが知ったら、どんなにおどろくかしれない。そして早くそのようなものは捨てておしまいといわれるだろう。それではせっかくこわい目をして拾ってきたのに、つまらない事になってしまう。そう思って青二は、その怪しい動物を抱いたまますぐ二階の自分の部屋にあがってしまったのである。
二階へあがったものの、青二は、ちょっと困ってしまった。このあやしい動物をどこへおいたらいいかということだ。そのままおいておけば、きっと出ていってしまうだろう。逃げられたんでは、いやだ。
戸棚《とだな》に入れようか。いや、猫はふすまを破ることなんか平気だから、戸棚では安心ならない。
「青二や。なにをしておいでだい。ご飯ですよ。早くおりていらっしゃい」
はしご段の下から、母親が二階へ声をかけた。
「はーい。今行くよ」
さあ、どうしようかと、青二は困ってしまった。
が、困ったときには、よく名案がうかぶものである。青二は、机のひきだしをひっぱりだして、ひもを探した。赤と青のだんだらの、荷物をくくるひもがあった。それを出すと彼はあやしい動物の後足二本を、そのひもでいっしょにぐるぐるしばってしまった。
こうすれば、このあやしい動物は、前足も後足も二本ずつしばられているんだから、もう歩くことができない。歩くことができなければ、この部屋から、出てゆくこともない。よしよし、これなら大丈夫と、青二はそれがすむと、机の上にそっとおいて、はしご段を下へおりていった。
夕飯のおぜんを、母親とかこんで、いつものように食べた。母親は、放送局にはかわったことがなかったかと聞いた。青二は、なにもかわったことがなく、お父さんは鉛筆を一本くれたと、答えた。
食事がすんだ。
母親が台所の方へいっているひまに、青二は皿の上からたべのこりの魚の骨をそっと掌《てのひら》へうつした。そして急に立って、二階へとんとんとあがっていった。
「青二、お待ちよ、りんごを一つ、あげるから……」
母親が声をかけたが、青二は、
「うん。あとでもらうから、今はいいよ」
と、いいすてて二階へあがった。すぐ机の前へとんでいった。
机の上には、見おぼえのある赤と青とのだんだらのひもと、ゴムのバンドがあった。気味のわるい二つの目玉らしいものも、そこにあった。
「にゃーお。う、う、う」
「これがほしいんだろう。さあ、おたべ」
青二は、魚の骨を、光る目玉の下へおいてやった。すると、かりかりと骨をかむ音がした。骨がくだけて、机の上からすこしもちあがった。そしてそれはやがて線のようにつながって、だんだんと上にあがり、それから横にのびていった。
「き、気持がわるいなあ」
青二は、ぞっとした。魚の骨が、動物の口へはいってくだかれ、それから食道をとおって、胃ぶくろの方へ行くらしい。それが透《す》いてみえるのだった。
「ふーん。たしかにこれは見えない猫だ。透明猫だ。なぜこんなふしぎな動物が生きているんだろうか」
青二は、おそろしくもなったが、またこの見えない猫が貴重なものに思われてきて、膝の上にのせてしきりになでてやった。
そのうちに、二つの目玉が動かなくなった。透明猫は、膝の上でねむりはじめたらしい。しかしそのとき、青二がふしぎに思ったのは、拾ったときはたいへんはっきり見えていた目玉が、今はぼんやりとしか見えないことだった。
おそろしき事件
あくる日、青二はいつものように五時に起きた。
父親は、まだねていた。放送局から夜おそく帰ってくるので、父は朝おそく起きるならわしだった。
だからその朝も、青二は母親といっしょに朝のおぜんについた。茶の間は、台所のとなりで、光線があまりはいらない部屋だった。
「どうしたの、青二。お前の顔は、へんだね。気分でもわるいのかい」
母親が心配そうにきいた。
青二は、べつに気分もわるくなかった。だからそのとおり答えた。
「でもね、青二。どうもへんだよ。なんだかお前の顔は、かげがうすいよ。ぼんやりしているよ」
そういわれても、青二は本気にしなかった。
「お母さんは、あんなことをいっているよ。お母さんの目の方が、今日はどうかしているんでしょう。目がかすんでいるんじゃない」
「あら、そうかしら。もっとも、もう春になりかけているんだから、のぼせるかもしれないからね」
その話は、そのままになった。青二の母親は、朝の用事をまだたくさんもっていたから。青二は二階へあがった。
机の上に、小さい座《ざ》ぶとんがのせてある。その座《ざ》ぶとんの上を見るとまん中がひっこんでいた。そして、ゴムのテープと、赤青のまだらの紐《ひも》が結ばれたままあった。その座ぶとんの上に、例のあやしい動物がねていることはたしかだった。
だが、ふしぎなことに、二つの目玉は、どこにも見えなかった。
「あの目玉はどこへ行ったんだろう」
青二は、そばへいって、手さぐりで動物をなでてみた。猫の頭にちがいないものが、たしかに手にさわった。
しかし目玉は見えなかった。もしや目玉がなくなったのかと思って、青二は片手で動物の頭をおさえ、もう一方の手で目玉をさぐってみた。すると、
「ふうっ」と、動物はあらあらしい声をたてて、座ぶとんからはねあがった。
そうでもあろう。いきなり目玉へ指をつっこまれたのでは、びっくりする。
青二の手がひりひり痛《いた》んだ。見ると、血が出ている。今動物のために、ひっかかれたんだ。
が、このとき青二は、おどろきのあまり、心臓がどきんと大きくうってとまった。それは、なんだか自分の手が、はっきり見えないのだった。ぼんやりとしか見えないのだった。
「どうしたんだろう」さっき青二の母親がいったことばが思い出された。「青二、どうしたの。お前の顔は、かげがうすいよ」と、いわれたのを。
青二は柱にかかっている鏡《かがみ》の前へいって顔をうつしてみた。
「おゃっ」
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