っちゃった。おれのあたまは、頭蓋骨《ずがいこつ》がこわれて、ぐしゃぐしゃになっているぞ。あ、あさましや……」
 ピート一等兵は、いきなり赤ん坊のようにわあわあ泣きだした。泣きながら、彼は、脳みそで、べとべとになったじぶんの手を、鼻さきにもっていった。とたんに、非常なおどろきにあって、泣きやんだ。
「あら、あやしやな。おれの脳みそは、林檎の匂いがするぞォ!」


   ああ十五個!


「いや、これで、よく分ったよ」
 彼ピート一等兵は、あんがい、おちついたこえで、ひとりごとをいった。
「むかしから、しんるいの奴や友だちがおれをつかまえて、お前は、どうも脳がどうかしていて、あたまが、はたらかない。お前の脳みそは、どうかしているんじゃないかと、よくいわれたもんだが――」
 と、そこで彼は、大きなため息をついて、
「でも、まさか、おれの脳みそが、林檎でできているとは、気がつかなかったね」
 もし、そばで、パイ軍曹が、ピート一等兵のひとりごとをきいていたとしたら、彼は軍曹から、耳ががーんとするほど、叱りとばされたことであろう。いまパイ軍曹は、叱りとばすどころではなく、人事不省《じんじふせい》におちいっていたのは、ピート一等兵のため、はなはだ幸運であった。
「おれは、へそのおを切ってから、こんなにおどろいたことは、はじめてだぞ。しかし、このように脳みそが、はみだしてしまっては、おどろいたって、もうおそい。えい、しようがない。こうなれば、やけくそだ。じぶんの脳みそを、なめちまえ」
 ひどい奴があったものである。ピート一等兵は、指さきについたものを、口のところへもっていって、舌でぺろぺろなめはじめた。
「やあ、こりゃうまい。いやあ、すてきに、うまいぞ。おれの脳みそは、まるで、おしつぶされた林檎みたいだ」
 といったが、林檎の味がするのも道理である。ピート一等兵は、林檎の袋の中に、頭をつっこんでいたのである。彼は、じぶんの脳みそとばかりおもって、じつは、じぶんのあたまの下におしつぶした林檎を、指さきにとって、一生けんめい、うまいうまいと、なめていたのである。そのことは、やがて彼も、気がついた。なぜならば、指をなめたあとで、手をあたまのところへもっていくうちに、まだつぶれない林檎に手がふれた。
「おやッ、こんなところに、おれの脳みその塊《かたまり》が、落っこってらあ」
 脳みその塊ではない。ほんものの林檎であった。彼はもうその区別などは、どうでもよかった。彼は、やたらに、林檎を喰った。つぎからつぎへと、手をのばして、林檎を、丸かじりして、腹の中におさめた。
 合計十五個の林檎を食べおわったときには、さすがの彼も、ほんとのことを悟っていた。これは林檎であって、脳みそではない。なぜなれば、大きな林檎が十五個もはいるような脳なんて、きいたことがないからである。そんな大きな頭の人間だったら、じぶんのあたまには、とても陸軍制式の鉄帽が、すっぽりはいるわけがない。
 わけは、さっぱり分らないが、彼は、たくさんの林檎を食べたことをはっきり知った。そして、元気になった。そこで、ふらふらと立ち上った。二三歩あるいたとき、爪《つま》さきで、なにかかたいものを、けとばした。
「あ、いたッ!」
 とたんに、ぱっと、車内に電灯がついた。スイッチかなんかを、けとばしたものらしい。彼はおどろいて急に明るくなった車内を見まわした。
「あ、あ、あ、あッ!」
 ピート一等兵は、再度のおどろきにぶつかった。おどろくべき車内の光景!
 戦車は、天井と床とが、全くあべこべになっている。
 操縦席が、天井からぶら下っているかとおもえば、電灯が足許《あしもと》についているというさわぎだった。
 それよりも、おどろいたのは、上官パイ軍曹の姿だった。彼は、天井から、塩びきの鮭《さけ》のように、さかさまになってぶら下って気絶している。一方の足が操縦席にはさまり、そのまま、ぶら下っているのだ。お世辞《せじ》にも、勇しい恰好《かっこう》だとはいえない。
 ピート一等兵は、顔をむけかえて、もう一人の人物、黄いろい幽霊の居場所を、さがしもとめた。
 ところが、黄いろい幽霊は、どこへいったものか、見つからない。
「おやおや幽霊め、とうとう妖怪変化《ようかいへんげ》の正体をあらわして、逃げてしまったかな」
 そういって、ピート一等兵が、ひとりごとをいったとき、彼の足許に一本の手がころがっているのを発見した。電灯の反対でさっきは、よくみえなかったのだ。
「うあッ、こんなところに、だれが腕をおとしていったんだろう?」
 といったとき、その腕が、急に、ぐーっと、うごきだした。怪また怪!


   廻《まわ》れ右《みぎ》!


「ひゃッ!」
 ピート一等兵は、その場に、とびあがった。元来、幽霊が大きらいのピート一等
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