接した最後の者でありますぞ。そして自分のハンドバグを残留してこの屋敷を飛出したほどの狼狽ぶりを示している。一体あの女のこの周章狼狽は何から起ったことでしょうか。これこそ乃《すなわ》ちあの女が当夜鶴彌に毒を盛ったことを示唆している。自分で毒を盛ったが、それに愕いて、急いで逃げ出した。そしてハンドバグを忘れて来てしまった」
「どういうわけで土居三津子はあの屋敷から急いで出たというのかな。その点はどう考えるのか、大寺君」
「アリバイの関係ですよ。土居があの屋敷に残留しているうちに毒が廻って鶴彌が死んでしまったら、あの女の犯行であることは直ちにバレちまって逮捕される。それをおそれて、急いで逃げ出したんですな。あの女が去って後で鶴彌が死んだとなると、あの女は有力なアリバイを持つことになる。もっともハンドバグを忘れるようなヘマをやっては何事も水の泡ですがね」
「どんな方法によって中毒させたか。それはどうなんだね」
 と、検事は事のついでに、この自信満々の主に糺《ただ》した。
「それは私の領分じゃないんですよ。鑑識課員と裁判医は、それについてもっと明確な報告をしてくれなければならんと思う。あの連中の職務がそれなんですからね。もっとも私は今日容疑者から話を聞き出します。そしてあべこべに鑑識課や裁判医に資料を提供してやろうとまで考えているんですがね」
「ところが裁判医が死因を究明する力なしとその不明を詫びているんだから、困ったもんだね」
 検事が苦笑した。
「ねえ検事さん。あなたは本当に捜査をご破算にして出発点へかえられたんですか」
 ずっと沈黙して、聞き手に廻っていた帆村荘六が、そういって口を切った。
「わざわざ嘘をいうつもりはないよ」
「そうですか。同じ心臓麻痺にしても、中毒による場合と、驚愕による場合とは大いに違うと思うんですが、あなたはどっちだとお思いなんですか」
「出発点にかえったといったろう。だからこれから捜査のやり直しだ」
「本当ですかあ。しかし今までに調べたことが全部だめというわけじゃないでしょう」
「一応白紙に還る。面倒でも、もう一度やりなおしだ。この小さい卓子《テーブル》の上に載っている料理の皿や酒なども、もう一度始めから調べ直すつもりだ」
「ああ、それは実に結構ですね。いや、これはお見それいたしまして、たいへん失礼しました」
 帆村はそういって、頭を掻いた。帆村
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