とかこちらの親切を認めて貰って、遺産分配の比率を高くして貰おうという魂胆から出発していることは明白であった。老人の気むずかしくなるのも、こうした一面から見て無理のないことであった。
 大熊老人は、今までに随分沢山の人を世話したけれど、どれも老人の気に入るようなのはなかった。唯一人、それは唯一人だけ、前に言った喜助だけが気に入りであった。
「お前は一生懸命に勉強して、豪《えら》いものになるんだぞ。お金のことなんか考えずに、いいと信じたことをドンドンやってのけなさい。そうすると、お金なんか向うの方から自然に飛びこんで来る。それには若いうちにウンと苦労をするに限る。苦労を積まない人間は駄目じゃ。人から貰う金は、自分を堕落させるばかりじゃ。このわし[#「わし」に傍点]はナ、お前が大好きじゃから、ある程度の世話はしてやるが、わしの財産は一文も分けてはやらぬぞ。わしはお前に依頼心を起して貰いたくないのじゃ。お前をデクノ棒にしたくないのじゃ。財産を一文も分けてやらぬ好意を、よく胸に畳んで忘れて呉れるでないぞや」
 老人は、喜助に対して、いくたびとなく、此の訓戒を試みた。喜助は老人の好意を、実質以上に高く高く感じて、その都度、泪《なみだ》をホロホロ流して喜んだ。
 喜助は幼にして両親を喪《うしな》い、叔父の家にひきとられて生長したのだったが、その叔父の久作《きゅうさく》の家というのが、大熊老人のお邸《やしき》へ出入りする花屋だった。その因縁から、喜助が大熊老人に知られるようになったのである。
 喜助が小学校を卒業すると、大熊老人は彼を薬学校に入れた。喜助の成績は老人の期待を裏切って、上等とはゆかなかった。さりとて悪いというほどのところでもなかった。恐らく、それは喜助のお人よしに原因するところが多いのだろうと、老人は自ら安んじたことであった。学校を出た喜助は、老人の骨折で、理化学《りかがく》研究所へ入って、無機化学実験室の助手をつとめることになったのである。
 彼は小石川の御殿町《ごてんまち》にある大熊邸門前の花久の二階から、毎朝テクテク歩いて、二十町もある理化学研究所に通った。夜は、毎晩のように老人の許を訪《おとな》い、彼がやって居る研究の話や、学界がどんな問題を持ってどんな方向へ動いてゆくかなど、老人には至極わかり憎い話をして聞かせるのであったが、老人は一向閉口しないで其の判らな
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