えないだろうし、そう言えば、老人がこのたび死病にとりつかれたのに、主治医としてN博士とその助手が二人ほど診《み》に来たばかりで、百万長者の生命を治療するのには、たいへん貧弱すぎたと考えられる。
(わかった、彼等一団の親戚たちは、一致協力して、あるまいことか大熊老人の毒殺を企てて、それが不幸にも見事に成功してしまったのだ。きっと、そうに違いない。自分を直ぐに室外につまみだしたのも、単に喜助という少年を嫌ったのではなくて、実は自分が薬学についての専門家であることに恐怖を感じて、排斥したものに相違ない)
 喜助は、大きな泣き声を、いつの間にか、やさしい泣き逆吃《じゃくり》に代えて、こんな想像をめぐらしていたのであった。彼は大きく肯くと、突然|颯爽《さっそう》と畳の上に立ち上った。と思ったら、直ぐにペタンと、元の薄汚れに汚れた座蒲団の上へ、崩れるように坐りこんでしまった。
(讐打《かたきう》ちをしても、何になる。死んだおじいさんが、生き返るわけじゃ無いし……)
 喜助の心は、どこまでも弱く、そして悧巧《りこう》であった。死んだ老人を甦らせる手のないのに、何をやっても駄目であるに違いなかった。殊に彼は薬学家として、毒物に対する肯定と尊敬とを持っていた。毒物にやられて呼吸中枢が止り、循環器官が停《とま》ると、もう一切のものは破壊へむかって展開するにきまっていると、原書で習った生理学の知識を思いうかべて、アーメンと小さい声で言った。彼が探偵小説の読者ではなかったことを、深く遺憾としなければならない。
 その後に来るものは、無間地獄のような悲歎と寂寥《せきりょう》とであった。喜助にはもう何事を望む気持もなかった。誰を待つことも考えられなかった。後半が脱落している書物の、その最後の一行を読みおわったような感じだった。そうなった上は、彼の行くべき道は、誰しもが選ぶたった一つ残されたその道――自殺ということであった。
 喜助は自殺しようと決心した。
 喜助にとって、自殺することは、障子に手をかけてガラリと開くのと、その容易さに於て余り大差がなく感ぜられた。自殺して、天国の門口で、(おお、とうとうお前も来て呉れたか)と云って老人の胸に抱かれることがどんなにか楽しみであった。彼は堅くそれが出来ることを信じていたのだった。喜助はここで、死ぬ時間のことを考えた。なるべく早く死にたい。老人の葬式が
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