、これは真白な、じくじく水の湧いた楕円形の面だ”と思う。しかるに、その白面は、大根の一つの切り口に過ぎないのである。面だけのものではない。だから、今目の前に見えている君は、君の実体の一つの切り口に過ぎないのだ。君の実体は、かの白い切り口における大根そのものの如く、われわれの想像を超越した何者かである」
「どうもよくわからん」
「理窟《りくつ》だけなら、よくわかっているじゃないか。では、こういうことを考えて見たまえ。われわれの世界では、物は皆、縦と横と高さとを持つ。つまり三次元だ」
「うん、三次元の世界だ」
「しかるに今、二次元の世界があったと仮定しろ。それは縦と横とがあるきりで、高さがない。まるで静かな水面のような世界だ。平面の世界だ」
「うん、二次元の世界か」
「今、水面へ、さっきの話の大根をしずかに漬けていったとしよう。はじめは、大根の尻ッ尾が水面に触れる。そのとき二次元の世界では、大根は一つの小さな点だとしか見えない」
「ふふん」
「ところが、大根を、ずんずん水の中におろしていくと、水面に切られている部分は、だんだん大きい白円に拡がっていく。二次元の世界では、点がだんだん大きい白円に生長していくのが見えるのだ。そしてついに、大根の葉っぱのところが水面で切られると、今まで白円と思っていたものが、急に一変して、多数の青い帯が散乱しているように見える。その青い帯が、たえず動き、そして形が変るのだ。そして大根の葉っぱの一番上のところが、水面をとおりすぎて下におちると、とたんに二次元の世界には、なんにもなくなる」
「ふふん、奇妙なことだ」
「はじめ白い点から始まり、やがて大きい白い円盤となり、やがてそれが青い帯の散乱となり、ついにぱっと消えてしまうまで――二次元の世界の生物には、それは一種の幽霊的現象として映ずるが、われわれ三次元の世界の者をして云わしむれば、それは要するに、一本の大根が、静かなる水面に交わり、しずかに下に下っていったに過ぎないのだ。だが二次元の世界の生物には、われわれが認識しているような大根の形をついに想像出来ないのだ。二次元の者には、三次元の物を認識する能力がないのだ」
「ふーん、君はなかなか科学者だ」
「そうだ、人相見の術は、科学なのである。そこで君のことに帰るが、わしの観相によると、君は三次元の生物ではなく、四次元の生物であると出ているのだ。そんなばかばかしいことがあってたまるものかと思うが、そう出ているんだから、よういわん。わしは、きょうかぎり、人相見をよそうと思う。インチキ極まる術だ」
 わたくしは、専《もっぱ》ら、溜息《ためいき》の連発をやらかしただけであった。藤田師の言は、切々として、わたくしの胸をうった。といって、ここで木下藤吉郎のように、(いや、わたくしは今に大成功をする、お前さんの占いは正しいのだ)と大見得《おおみえ》を切る元気もなかった。それよりは、なぜわたくし自身が、そうした呪《のろ》わしい人間――いや生物に生れついたかという歎きであった。と同時に、果して四次元の生物ならば、わたくしの実体は如何なる形のものであるか、ということに対する好奇心に、ゆすぶられた次第であった。
 爾来、私は、隠者のような生活をしている。今も私の身体は、ときどき人間たちの眼に見えなくなるようである。不意に人に突き当られて吃驚《びっくり》することが間々《まま》あり、そのたびに、また始まったなと思う。
 近頃しらべてみたところ、わたくしの父母は未詳《みしょう》である。つまり、拾われた子であることがわかった。だから、人間の母胎《ぼたい》から生れてきたかどうか、その辺のことはすこぶる疑わしいこととなった。だが誰でも、自分が人間の母胎から生れてきたことをはっきり憶えている者はないであろう。この母の胎内から生れたのだというのは、単に誤伝に過ぎない。故に、実際は、わたくしと同様四次元の生物でありながら、うっかりしていて、それと知らないで過ぎている人が案外少なくないのではないかと思う。
 そういう人は、よく注意をしていなければならない。往来やその他で、人にどすんと突き当られたときは、一応この疑いを持って(自分の姿が、今、相手に見えなかったのではないか、自分は四次元の生物の切断面(?)ではないか)と、反省してみる要があろう。



底本:「海野十三全集 第6巻 太平洋魔城」三一書房
   1989(平成元)年9月15日第1版第1刷発行
初出:「ユーモアクラブ」
   1940(昭和15)年1月
入力:tatsuki
校正:土屋隆
2007年7月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランテ
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