くひっかけられたかたちだ。しかし見ていろ。いまにお前たちは、おれの前に平つくばってお助け下さいと言うようになるぞ」
「何をぬかす、この強盗殺人めが!」
 と、艇員のひとりが、ケレンコの横面を力一ぱいなぐりつけた。
 こうして、ケレンコは、ともかくもかたづいた。だが艇外の大冒険はどうなったであろうか。
 これをたくらんだ太刀川時夫は、大男のリーロフをたくみに艇外にさそいだして、ケレンコをおさえる機会をつくったのだ。
 はたしてケレンコは、あっけなくつかまり、リーロフは、大きな体をふきとばされまいとして、力のかぎり、尾翼のつけね[#「つけね」に傍点]にとりついている。もちろん彼は、ケレンコがとりおさえられたことなど、知るよしもない。


   空中の惨事


 太刀川時夫は今、はげしい風雨とたたかいながら、方向舵の故障を必死になおしている。手はこごえる。呼吸はくるしい。
「さあ、リーロフ。方向舵のその折れまがったところを、君のもっている斧で切りはなしてくれ」
 そういう太刀川の注文も、声では相手に通じないので、手まねで合図をするよりしかたがない。
「斧で切りはなしてくれだって……それより、貴様の方から先にやれよ。ほら、その切れた鋼条《ワイヤ》を、早くつなげばいいじゃないか」
 リーロフは、頤《あご》でそれを言った。
 太刀川は、それが順序ではなく、そのためによけいな手間をかけなければならないことを知っていたが、ここであらそうべきでないと思ったので、方向舵の切れた鋼条をつなぐことにした。
「はやくやれ。この小僧!」
 とリーロフは、かみつくような顔をする。
 だが、ペンチをにぎる手は冷えきって、鋼条をちょっとまげるのにも、たいへんだった。両足と左手を力綱の輪にかけてふんばり、右手と口とをつかって、それをやるのである。みるみる歯ぐきからは血がふきだして、方向舵を赤くそめた。ペンチはいまにも指さきからすべりおちそうだ。しかし彼は、ひるまず、作業をつづけて、やっとあたらしい鋼条で切れたところをつないだ。
 この時、リーロフの眼が、ぎろりとうごいた。彼は太刀川が、鋼条をうまくつなぎおえたのをみると、斧をとりなおした。
 太刀川は、つないだ鋼条をにぎって、ぐっとひいてみた。しかし方向舵は、びくともうごかなかった。折れまがったところが胴体にくいこんでいるからだ。
「リーロフ、斧でもって、方向舵の折れまがったところを切りはなしてくれ!」
 リーロフは、ジリジリと彼の方へはいよってくる。
「おいリーロフ、そっちだよ。方向舵の胴体にくいこんでいるところを切りはなすのだよ」
 リーロフは、太刀川の言っていることがわからない様子をして、なおも太刀川にちかづいてくるのだった。
「あ、リーロフ、何をする!」
 何たることか! リーロフは、やにわに斧をふりかぶると太刀川の体をつないでいる命の綱をめがけて、さっとうちおろした。
「あ」
 ぷつんと綱は切れて、太刀川の体は、ふわりとうきあがり、猫が背中をまるくしたようになった。次の瞬間、彼は、ふきとばされたかと思ったほどだったが、ふたたびうまく胴体にしがみつくことができた。
 リーロフは、歯をむきだして、あざ笑った。それから彼は、方向舵の方へ、からだをうつしていった。
 太刀川は頭を艇にすりつけ、死んだようになっている。
 リーロフは、ふたたび斧をふりかぶった。そして方向舵のまがり目をめがけて、ガンとうちこんだ。
 斧の刃がうまくはいった。ぶーんと音がして、方向舵は生きかえったように、つよくはねかえって、もとの位置にもどった。その時、
「ぎゃ!」という妙な声、
「おや!」と頭をもたげた時には、今の今まで前にいたリーロフの姿が見えない。
 太刀川は、びっくりして下を見た。
「あ、あれは?」
 艇の下方で、リーロフが綱のはし[#「はし」に傍点]につかまって、ブランコのように大きくゆれているのを見た。リーロフは、もとの位置にはねかえった方向舵にはじかれて、艇の胴体からすべり落ちたのだ。だがもう一つおどろいたことがあった。リーロフの胴をゆわえていたはずの綱がとけて、彼はわずかに、そのはしをにぎっているのであった。
「あ、あぶない!」
 と、太刀川がさけんだ時は、もうおそかった。リーロフが、力つきて綱をはなしたのだ。あやつり人形のように手足をばたばたうごかして、下に落ちてゆくリーロフ! その顔が赤ペンキをぶっかけたように見えたのは、方向舵にはねられた時にけがをしたのでもあろうか。リーロフの体は、みるみるうずまく黒雲の中にすいこまれてしまった。
 ああ、リーロフは落ち、そして方向舵はもとにかえったが、太刀川青年は一たいどうなるのだろう。


   心配なガソリン


 どうしてきたかわからないが、とにかく太刀川青年は、胴体をはって、ふたたび艇内にたどりつくことができた。
 誰かが彼をかかえおこして、コップにはいったものを飲ませてくれた。その液体は舌をぴりぴりさせ、そしてたちまち腹の中にしみわたり、にわかにあたたかくなった。艇長ダンが、彼にブランデーを飲ませたのであった。
 太刀川は三、四ヶ月ぶりに艇内にかえってきたような気がした。しかしほんとうは、たった二、三十分しかたっていなかった。この二、三十分間に、彼はそれほど全身の精力をだしきってしまったのであった。
「おお太刀川さん。お気がつかれましたか」
「ああ、ダン艇長」
「そうです、ダンです。しかし私はいま、全米国民を代表して、大勇士であるあなたに、大きな大きな感謝と尊敬とをささげます。いや、全米国民だけではありません。全世界の人類を代表して、お礼を申さねばなりません」
 そう言って艇長は、太刀川の手をしっかりにぎりしめた。
「いや、そんなことを言っていただかなくてもいいのです。しかし気の毒なことをしました。リーロフ氏が墜落したのに、たすけることができなくて――」
「え、気の毒ですって? あれこそ天罰ではありませんか。あなたの綱を切った時には、私たちは思わず眼をおおいました。やつは悪魔です。でもあなたが無事に元気にかえってこられて、こんな喜ばしいことはありません。あの時、例の中国人少年石福海が、御恩がえしに、あなたをたすけにゆくといって、艇外へとびだそうとするのには、ほんとうにこまりました」
 艇長がかたる少年の話に、太刀川はふと気がつき、
「ああ、石少年ですか。どこにいます」
「ここにいますよ。あなたの右手をにぎっているのが石少年です」
「おお石福海! お前は――」
「ああ太刀川先生、じっとして、先生の手、氷のように死んでいる。わたしすぐあたためて、生かしてあげる。はあ、はあ」
 石少年は、返事するのもおしい様子で、彼の右手へ、一生けんめいに息をはきかけているのであった。
(石福海は、こんなに僕のことを思っていてくれるのか!)
 太刀川の目頭は、急にあつくなった。彼は、じつと目をとじて、石少年のあたたかい息を感じるのであった。いじらしい石少年よ。その時、
「艇長! スミス操縦長からの伝言です」
「おお、なんだ」
「本艇は、艇長の命令により、二千メートルの下降をおわりました。やがて雲の下に出られる見こみがたちました」
「そうか、ついに暴風雨をのりきったか。では操縦長にこうつたえよ。下界が見えるところまで雲の下に出ろとな」
「は、そうつたえます」
「それから針路は、さっき言ったとおり、もとの方向へもどっているだろうなと言え。もう一つ、ガソリンの量を至急しらべて報告してくれ」
「はい」
 伝令員の、ひっかえしてゆく足音がきこえた。
「艇長、ケレンコはどうしました」
「ケレンコは、あなたの計画どおり捕らえて、貨物室におしこめてあります」
「本艇は、暴風雨圏からうまくのがれたのですか」
「そうです。もう風雨はしずまっています」
「着陸地点までとべますか。無電連絡はまだつきませんか」
 そう言っている時、どこやら、はなれたところで、はげしく人のあらそう声がきこえた。それにまじって、がらがらと物のこわれる音だ。すわ、また事件か?
 どたどたとかけこんでくる靴音!
「艇長、たいへんです。ケレンコがにげました」
「なに、ケレンコがにげたって」
「綱をゆるめて、貨物室の窓をやぶって、外へとびだしました」
「え、外へとびだしたか。どっちへ落ちた」
「あ、こっちです。見えます見えます。ほら、あそこへ落ちてゆきます」
 艇長ダンは、窓にかじりついた。その時ケレンコが、落下傘をひろげてふわりふわりと落ちてゆくのがみとめられた。
「おお落下傘を、どうしてケレンコが? ああ、しかしあれは本艇の落下傘ではないな」
「そうです。艇長。ケレンコは服の下に、あの奇妙な落下傘をしのばせていたんです」
「そうか、あんなものを持っていたか。ざんねんだ。とうとう二人ともつかまえそこねた」
 艇長は、くやしそうにさけんだ。が、あれほど、行手をさえぎった雲が、どこかへふきとんでしまって、すぐ目の下に、青々と水をたたえた大海原が見えだした。その時であった。
「艇長、ガソリンが、もうすっかりなくなりました。まもなくエンジンがとまります」あわただしい注進。
「なに、ガソリンがついにきれたか」
 ああ、マニラから遠くはなれた北方の洋上に、わがクリパー号は、着水しなければならぬのか。艇内百余の命は、これから一たいどうなるのだ。
「あ、あれはなんだ?」
 いつのまにか、窓によっていた太刀川時夫が、おどろきの声をあげて、はるかかなたを指さした。
 艇長は、その方を見た。雲の切れめをかすめて、とつじょ、洋上に姿をあらわしたのは、今まで見たこともない、ふしぎな大海魔だった。


   おお大海魔


 サウス・クリパー艇は、この時、海面からわずか三、四百メートルのところを飛んでいた。
「ダン艇長、あれが見えませんか」
 さすがの太刀川も、色をうしない、そういうのも、舌がこわばって、やっとだった。艇長も教えられるまでもなく、怪物の姿に気づいていたのだが、あまりの恐しさに、声が出なかった。半分気がとおくなって、ふらふらと窓にたおれかかった。
「艇長、あの怪物はどうやらこっちを向いているようですぜ。あ、うごいています。すぐ艇員に命令して、武器をもたせるように――」
「武器――」と艇長はうめくようにいったが、首をふり、
「いや、とてもだめだろう。あれを見たまえ。まるで、煙突が鎧をきたみたいじゃないか。あんなにかたそうでは、小銃の弾なんか通らないよ。そのため、かえって怪物を怒らせるようなことがあっては……」
 煙突が鎧をきたようじゃないか!
 へんないい方ではあるが、なるほど、海魔の姿をよくいいあらわした言葉である。
 海面からにょきっと出た首らしいものは、およそ百メートルはあろうと思われる。
 それは、くねくねと曲って、ゆらゆらうごいているが、そのぶきみさといったらない。この首の一ばん上に、頭らしいものがついている。首も頭も緑色をしていて、ぬらぬらとしたいやらしいつや[#「つや」に傍点]をもっている。とつぜん、ぱっぱっぱっと、頭のところから、目もくらむような光が出た。
「あ、光った!」
 窓のところへよって、ふるえあがっていた艇員たちは、それを見て、一せいに叫声《さけびごえ》をあげた。
 乗客たちは、もう生きた心地もなく、床の上をはいまわったり、頭をかかえてうめいたり、座席にかじりついて、神の名をよんだりするのであった。
 むりもない。海面から出た首と頭とだけで百メートルにちかいのである。すると海面の下にかくれている胴体や尻尾は、と思うと、この世のこととは思えないのである。
(おれたちは、夢を見ているのじゃないかな)
 しかしそれは、けっして夢ではなかった。
 大海魔は、しずかに頭をうごかして、ふしぎそうに、まい下りてくる飛行艇を見あげ、照空灯のような目を、ぴかぴかと光らせるのであった。
 操縦室では、海魔から少しでも遠ざかろうと必死の操縦をつづけているのだが、エンジンがとまっているので、思うようにいかない。高度は三百メートル、二百メ
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