る時に、入口から一人の水兵が入ってきた。
「副司令、お手伝をいたしましょう」
「いや、手伝はいらない。この潜水服は、自分ひとりで着られるのが特長だてえことを貴様は忘れたか」
といって、気がついて水兵の顔をまぶしそうに見つめ、
「はて、貴様の顔はばかにもやもやしているが、貴様は誰か」
「は、昨日着任しました一等水兵マーロンであります。本日ただ今副司令当番となってまいりました」
「なんだ、一等水兵マーロンか。貴様は日本人太刀川のことを知っているか」
「は、名前はきいて知っております」
「そうか、知っとるか。その太刀川は、もうつかまったかどうか、貴様は知らないか」
「私はまだ聞いておりません」
「知らない。知らなければちょっと捜査本部に行って、様子を聞いてこい」
「はい。しらべてきます」
水兵は、いそぎ足に部屋から出ていった。――と思うと、どうしたわけか、その水兵は、またそっとひきかえしてきて、入口の扉《ドア》のかげから、リーロフの様子をうかがうのであった。
あやしいのは水兵マーロンの行動だ。それもそのはず、彼こそ太刀川青年の変装姿だったのだ。
彼は、会議室で、リーロフ等をとっちめると、大胆にも司令室にしのびこんで、内部の仕掛をつぶさにしらべ、そこを出ると、こんどはリーロフの部屋の近くでリーロフの帰りを待ちかまえていたのだった。
海底を行く
そんなこととは気がつかないから、リーロフは、物なれた手つきで、潜水服を着こんだ。それがすむと、大きな潜水兜をとって、自分の頭のうえにのせた。いくつかのねじ[#「ねじ」に傍点]をしめると、それで潜水の用意はできたのだった。
リーロフは、奇妙な体をごとんごとんとうごかして、同じ部屋のすみ[#「すみ」に傍点]に立っている郵便函を太くしたような円柱のところに歩みよった。円柱は開いた。リーロフは、その中に入った。円柱はもとのようにしまった。しばらくすると、どーんという音がした。
それっきり、リーロフの姿もあらわれず、物音もしなかった。リーロフは、海中にとびだしたのだ。これを見ると、太刀川は、扉《ドア》のかげから姿をあらわした。
「さあ今だ。今でなければ、海底要塞をとびだす時がない」
彼は、戸棚から、のこる潜水服の一つをおろし、さっきリーロフがやったとおりそれを体につけた。それは思いの外、らくらくと着られた。最後に大きな潜水兜をかぶり、円柱を開いて、その中に入った。
その円柱の壁には、番号のついたボタンがあった。それを一つずつ押してゆくと、円柱はひとりでに閉じ、やがてしゅうっと圧搾空気の音がしたかと思うと、彼の体はどーんと上にうちあげられた。
ぐらぐらと目まいがした。気がついてみると、彼はすでに海水の中にあった。いや、海底にごろんと横たわっていたのだ。
「おい、なにをぐずぐずしているのか。はやく向こうへならばなければだめじゃないか」
腰のあたりをけられたので、彼はしまったと思いながら起きあがった。ふしぎにも、水中で相手のいうことが聞える。超音波を利用した電話が、この潜水兜の中にとりついているらしい。
「おい、はやく行け。おくれると、後でほえ面をかかなければならないぞ。水中焼切器は向こうにある。それをもって、商船の底を焼切るんだ」
太刀川の前に立って命令をしているのは、何者だか、よくわからなかった。太刀川は、こっちの顔を見られまいとして、顔をあげないので、相手の潜水服の足だけしか見えないのだ。そのうちに、その足は向こうへふわりふわりと動いて、立去った。
(逃げだそうかと思ったが、なかなか見張がきびしいようだ。どうなるか、ともかくも、潜水隊員と一しょに、しばらく仕事をしてみよう)
太刀川の肚はきまった。
五十メートルほど向こうの海底に、二十四、五名の潜水隊員が整列していた。いずれも同じような恰好だから、誰が誰だかわからない。
ここは相当ふかい海底と思われるが、水がほとんど動かないところらしく、海藻が腰の深さに生えしげっている。その上を、鯛の群がゆらゆらと泳いでゆくのが見える。
海底が、意外に明るいので、あたりを見まわしてみると、どうやら海底要塞の方から、つよい光を出して照らしつけているらしく、体をうごかすと、影が幾重ものあわい縞となってふるえるのであった。太刀川は、めずらしげに、あたりに注意をくばりながら、隊の方へゆったりゆったり歩いていった。
海底に隊員をならべて、その前で足をふんばったり、手をのばしたりしてしゃべっているのは、たしかに副司令リーロフにちがいなかった。
「いまから二時間のうちに、船底に穴をあけて、積荷をとりだすんだ。おれの命令するもののほか、なにものも取出すことはならんぞ。よいか、わかったな」
そういって、リーロフは一同をずーっと見まわした。
その時リーロフのぐにゃぐにゃした体が、急に化石のようにかたくなった。
「おや?」
彼の口から、おどろきの言葉がとびだした。彼は右手をつとのばすと、太刀川の方を指さして、
「おい、そこにいるのは何者だ。名前をなのれ」
太刀川は、ぎくんとした。なぜリーロフは自分をうたがったんだろうか。
「当番の一等水兵マーロンであります」
とっさの返事だった。
「なに、マーロンだって。ふふん、おれをだまそうと思っても、そうはゆくものか」
というと、隊員の方をふりかえり、
「おい、みんな。あそこにおれの潜水服を着ているあやしい奴をとりおさえろ。胸のところに、これと同じように大佐の縞がついている潜水服を着ている奴だ!」
「しまった!」
太刀川は、思わず声に出して叫んだ。潜水服のところに、妙な縞模様がついていると思ったが、これは共産党大佐の徽章《きしょう》であったか。
太刀川あやうし
太刀川時夫は、海底にでることができたけれど、彼のきていた潜水服が、リーロフのものだったために、共産党大佐の縞模様がついていた。それをリーロフに見つけられたのである。
海の底であるから、陸上のようにすばやく、にげだすことはできない。海藻のかげにかくれたとしても、大だこ[#「だこ」に傍点]の頭のような潜水兜からは、たえずぶくぶくと空気のあぶくが上にのぼってゆくので、すぐ敵にみつかってしまう。おまけに、リーロフ大佐のひきつれた潜水隊員の中には、水中機関銃などという水の中で、弾がとびだす兵器をもった奴がいるから、これでうたれればおしまいである。
「おい、みんな、そいつをいけどれ。そして潜水兜をぬがして、顔をみてやれ。そうすれば、先生め、きっとおもしろい顔をして、おれたちを喜ばせてくれるだろう。あっはっはっ」
リーロフは、まだ酒の酔いが、ぬけきらないためか、すこぶるごきげんであった。
だがこの深い海の底で、潜水兜をぬがされてはたまったものではない。せっかくここまで来たのにと思うと、太刀川の胸は、ざんねんさで、はりさけんばかりだった。
「おとなしくしろ」
「副司令の服なんか着こんで、ふとい奴だ」
潜水隊員は、口々にわめいて、四方から太刀川におどりかかった。
(よし、来い)
と、太刀川が決心してたち上ったが、とたんにある考えがひらめいた。「そうだ」とつぶやくと、まるで猫の子のようにおとなしくなって、たちまち、隊員たちにとりおさえられてしまった。
「はははは、見かけによらない弱虫の大佐どのだ」
隊員たちは、あざけり笑いながら、太刀川の両腕をとって、リーロフの前にひきすえた。
リーロフは、ますますごきげんであった。
「わっははは、貴様は当番の一等水兵マーロンだといったな。潜水兜をきているのでは、どこのどいつか顔が見えない。顔を見てから、話をつけてやる。おい、みんな、はやくこいつの兜をぬがしてみろ」
リーロフは、太刀川の潜水兜に自分のをよせて、ごつんごつんと、いじのわるい頭づきをくれた。
その時、
「ええい!」
はげしい気合が、太刀川の口をついてでた。
彼は、この時のくるのを、さっきから待っていたのだ。
「ああ――」
「うむ!」というさけび。
太刀川は、満身の力を両の腕にこめて、隊員たちにつかまれている腕をふりほどいたのだ。
それはまったくの不意だったから、隊員たちは力をいれなおすひまもなく、ふりとばされてしまった。そのうえ、ごつーんと、はげしく仲間同士の鉢あわせ。頭がくらくらとした。
と同時に、
「やったな、こいつ!」
「なにを!」
という声、はげしいもみあいがはじまっている。それは副司令リーロフと太刀川の一騎うちであった。
あっと隊員たちが目をみはる前で、二人はビールだるのような胴中をぶっつけあいながら、上になり下になりしているのだ。
「このやろう!」
「このやろう!」
どちらも、おなじことを、いいあっているので、隊員たちは、しばしあっけにとられながら、この妙なかけあい合戦を見まもっていたが、
「おい、ああしてとりくんでいるが、どっちがリーロフ大佐なのかね」
「いや、おれにも、どっちがどっちか、わからなくて困っているんだ」
すばらしい知恵
太刀川青年の作戦計画は、どうやら図にあたったようである。
彼があやういせとぎわで、思いついたのは、リーロフの潜水服と彼の潜水服とが、まったく同じものであることであった。それを太刀川は、うまく利用してリーロフととっくみあいをはじめ、上になり下になりして、隊員たちの目をごまかしたのである。潜水兜の顔を正面からのぞけばいいようなものだが、そんな失礼なことをすると、あとでどんなお目玉をちょうだいするかわからない。ただ二人の言葉を気をつけてきけばわかりそうなものだが、これも、二人がおなじような言葉をどなりあっている以上、水中できく超音波の電話の音色では、ききわけられないのであった。
「おい、なにをぐずぐずしている。みんな、手をかさないか」
「おい、なにをぐずぐずしている。みんな、手をかさないか」
隊員たちは困ってしまったが、頭のよい奴が、
「ど、どっちがリーロフ大佐ですか。リーロフ大佐の方が、手をあげてください」
といった。
が、どっちの潜水大佐も、いいあわしたように手をあげたので、やっぱりだめだった。
「あ、おれのまねをしやがる。おい、みんな、こいつだ!」
と、一人の潜水大佐が、相手の胸を指さすと、相手もだまっていず、
「何をいう。おい、お前たちにはこのリーロフの声がわからないのか」
「おや、おれの声をまねるとは、こいつふとい奴だ。おい、みんな、早くこいつを銃で撃ちとれ」
「あ、あぶない。おれはリーロフだ。おれの相手を撃て」
どうもこれでは、どこまでいっても、どっちが本物のリーロフ大佐だか、わかりっこない。
潜水服の中にびっしょり冷汗をかきながら、生きた心地もないリーロフ大佐は、今は、酒の酔いもさめてしまって、ふうふういっていた。
その時とつぜん下腹に、はげしい痛みをおぼえた。
「あ、なにをする!」
といったが、あとはくるしそうなうめきにかわって、どたりとその場にころがった。海藻がびっくりしたようにゆらゆらとゆれて海底の泥が煙のようにたちのぼっている。――太刀川時夫が、さっきからねらっていた一撃が、リーロフの潜水服のよわい箇所の下腹へはいったのである。
「口ほどもないやつだ。さあ、このにせ[#「にせ」に傍点]当番水兵の手足をゆわえてしまえ」
太刀川は、リーロフの声をまねして、隊員に命令をくだした。
隊員は、きゅうに元気づいて、そこにたおれているリーロフのまわりにあつまった。そして腰につけていた綱をはずすと、リーロフの手と手、足と足とを、ぎゅっとゆわえてしまった。
(ふーん、やっぱりリーロフ大佐は強いなあ。たった一撃で、相手をたおしてしまった)
リーロフの強いことを知っている隊員たちは、これで始めて、どっちが本物のリーロフであるかを知って安心したのだ。まったくのところ、彼らはリーロフ以上に腕力のつよい軍人を知らなかったのだから、そうおもうのもむりではなかった。
リーロフになりすました太刀川は、もうすっかり肚をきめて、きび
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