って、ふたたび艇内にたどりつくことができた。
 誰かが彼をかかえおこして、コップにはいったものを飲ませてくれた。その液体は舌をぴりぴりさせ、そしてたちまち腹の中にしみわたり、にわかにあたたかくなった。艇長ダンが、彼にブランデーを飲ませたのであった。
 太刀川は三、四ヶ月ぶりに艇内にかえってきたような気がした。しかしほんとうは、たった二、三十分しかたっていなかった。この二、三十分間に、彼はそれほど全身の精力をだしきってしまったのであった。
「おお太刀川さん。お気がつかれましたか」
「ああ、ダン艇長」
「そうです、ダンです。しかし私はいま、全米国民を代表して、大勇士であるあなたに、大きな大きな感謝と尊敬とをささげます。いや、全米国民だけではありません。全世界の人類を代表して、お礼を申さねばなりません」
 そう言って艇長は、太刀川の手をしっかりにぎりしめた。
「いや、そんなことを言っていただかなくてもいいのです。しかし気の毒なことをしました。リーロフ氏が墜落したのに、たすけることができなくて――」
「え、気の毒ですって? あれこそ天罰ではありませんか。あなたの綱を切った時には、私たちは思わず眼をおおいました。やつは悪魔です。でもあなたが無事に元気にかえってこられて、こんな喜ばしいことはありません。あの時、例の中国人少年石福海が、御恩がえしに、あなたをたすけにゆくといって、艇外へとびだそうとするのには、ほんとうにこまりました」
 艇長がかたる少年の話に、太刀川はふと気がつき、
「ああ、石少年ですか。どこにいます」
「ここにいますよ。あなたの右手をにぎっているのが石少年です」
「おお石福海! お前は――」
「ああ太刀川先生、じっとして、先生の手、氷のように死んでいる。わたしすぐあたためて、生かしてあげる。はあ、はあ」
 石少年は、返事するのもおしい様子で、彼の右手へ、一生けんめいに息をはきかけているのであった。
(石福海は、こんなに僕のことを思っていてくれるのか!)
 太刀川の目頭は、急にあつくなった。彼は、じつと目をとじて、石少年のあたたかい息を感じるのであった。いじらしい石少年よ。その時、
「艇長! スミス操縦長からの伝言です」
「おお、なんだ」
「本艇は、艇長の命令により、二千メートルの下降をおわりました。やがて雲の下に出られる見こみがたちました」
「そうか、ついに暴風雨をのりきったか。では操縦長にこうつたえよ。下界が見えるところまで雲の下に出ろとな」
「は、そうつたえます」
「それから針路は、さっき言ったとおり、もとの方向へもどっているだろうなと言え。もう一つ、ガソリンの量を至急しらべて報告してくれ」
「はい」
 伝令員の、ひっかえしてゆく足音がきこえた。
「艇長、ケレンコはどうしました」
「ケレンコは、あなたの計画どおり捕らえて、貨物室におしこめてあります」
「本艇は、暴風雨圏からうまくのがれたのですか」
「そうです。もう風雨はしずまっています」
「着陸地点までとべますか。無電連絡はまだつきませんか」
 そう言っている時、どこやら、はなれたところで、はげしく人のあらそう声がきこえた。それにまじって、がらがらと物のこわれる音だ。すわ、また事件か?
 どたどたとかけこんでくる靴音!
「艇長、たいへんです。ケレンコがにげました」
「なに、ケレンコがにげたって」
「綱をゆるめて、貨物室の窓をやぶって、外へとびだしました」
「え、外へとびだしたか。どっちへ落ちた」
「あ、こっちです。見えます見えます。ほら、あそこへ落ちてゆきます」
 艇長ダンは、窓にかじりついた。その時ケレンコが、落下傘をひろげてふわりふわりと落ちてゆくのがみとめられた。
「おお落下傘を、どうしてケレンコが? ああ、しかしあれは本艇の落下傘ではないな」
「そうです。艇長。ケレンコは服の下に、あの奇妙な落下傘をしのばせていたんです」
「そうか、あんなものを持っていたか。ざんねんだ。とうとう二人ともつかまえそこねた」
 艇長は、くやしそうにさけんだ。が、あれほど、行手をさえぎった雲が、どこかへふきとんでしまって、すぐ目の下に、青々と水をたたえた大海原が見えだした。その時であった。
「艇長、ガソリンが、もうすっかりなくなりました。まもなくエンジンがとまります」あわただしい注進。
「なに、ガソリンがついにきれたか」
 ああ、マニラから遠くはなれた北方の洋上に、わがクリパー号は、着水しなければならぬのか。艇内百余の命は、これから一たいどうなるのだ。
「あ、あれはなんだ?」
 いつのまにか、窓によっていた太刀川時夫が、おどろきの声をあげて、はるかかなたを指さした。
 艇長は、その方を見た。雲の切れめをかすめて、とつじょ、洋上に姿をあらわしたのは、今まで見たこともない、ふしぎな大海魔
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