令にしたがえ」
それを聞くと、五人の操縦員は、いいあわせたように、ぶるぶると体をふるわせた。
無茶な命令
「そこでわがはいは、本艇の航路をしめす。地図を出せ」
ケレンコはいった。
「地図は、ここにある」
ダン艇長が、壁を指さした。航空用の世界地図が、はりつけてあった。そのうえには、赤や青やの鉛筆で、これまで通ってきた航路やなにかがしるされていた。
「ふん、これか。なるほど本艇はいま、ここにいるのだな。しめた。マニラからよほど北にそれているのだな」
「外はひどい暴風雨です。だから北へ避けているのです」
操縦長スミスが、ひきつったような声でこたえた。
「本艇の針路を、もうすこし北へまげろ。もう二十度北へ」
「え、もう二十度も北へですって」
操縦長スミスはおどろきの声をはなち、
「それじゃあんまりです。マニラへはいよいよ遠ざかり、太平洋のまん中へとびこんでゆくことになります」
「わかっている。いいから、わがはいの、いうようにするんだ。君は命令にそむく気じゃあるまいな」
「でも、そっちへ行けば、マニラへひきかえすだけの燃料がありません。海の中におちてしまっていいのですか」
「だまって、わがはいの、いうとおりにしろ。それから、スピードをあげるんだ。いまは毎時二百キロしかでていないようだが、それを三百五十キロにあげろ」
ケレンコは、どうするつもりか、途方もないことをいい出した。
「え、三百五十キロ? この暴風雨の中に、三百五十キロ出せとおっしゃるのですか。そ、そんなことはできません。そんなことをすると、飛行艇のスピードと暴風の力とがかみあって、艇がこわれてしまいます」
スミス操縦長は、きっぱりとケレンコの命令をことわった。
「なに、できないって」
ケレンコの眼が、ぎらぎら光った。
「よし、できないというのなら、貴様に用はない。覚悟しろ」
パーン!
「あ!」
スミス操縦長の頬をかすめて、銃弾はとんだ。その銃弾は銀色をした壁をうちぬき、艇外にとび出した。とたんに、その穴から、しゅうしゅうと、はげしい風がながれこんできた。
スミス操縦長の頬からは、鮮血がぽたぽたとながれおちる。かれは決心したもののごとく、また計器をにらみながら一心に操縦桿をひく。彼もアメリカ魂をもつ勇士の一人だったのである。
「もう一度いう。針路を北へもう二十度。そしてスピードを三百五十に!」
ケレンコは、スミス操縦長に噛みつきそうな形相でさけんだ。
「わ、わかりました。そのとおりやります!」
スミスは、唇をぶるぶるとふるわせながら、きっぱりこたえた。
「ああ!」
ダン艇長は、その横で、絶望のため息をついた。
(これでは陸地へは、だんだん遠ざかる。そしてもしこの飛行艇がこわれたら)
艇員の身の上を、そしてまたあずかっている乗客たちのことを心配して、艇長の胸のうちは煮えくりかえるようであった。
助けをもとめたいにも、無電はこわれてしまった。それに他の飛行機か汽船でも通っていればいいが、こんな暴風雨地帯を誰がこのんで通っているものか。たとえ通りかかっていたにしろ、暴風雨警報をきいて、すばやく安全地帯へにげてしまったろう。
(神よ、われ等に救いをたれたまえ!)
ダン艇長は、心の中に、神の名をよんだ。
艇内は、にわかにエンジンの音が高くなった。それはまるで金鎚で空缶をたたくようなやかましい音だった。今にも艇が、どかんと爆破するのではないか、とおもわれるようなものすごい音であった。――スミス操縦長は、ついにケレンコの命令どおりに、暴風雨中に三百五十キロの高スピードを出したのだった。
「ああ、これでいい。こりゃ、愉快だ!」
どういうつもりか、計器の針をながめて、ひとりよろこんでいるのは、おそるべき委員長ケレンコであった。
他の者は、誰の顔も血の気がなかった。
しゅうしゅうと風が穴から、はげしくふきこむ。ごうごう、がんがんとエンジンはなりつづける。これでは、まるで地獄ゆきの釜のなかのようなものだ。艇員たちは、それぞれ神の名をよびつづけていた。
そのときだった。入口から、おもいがけなく、一人の青年の姿があらわれた。
「やあ皆さん、ちょっと失礼しますよ」
「おお、あなたは――」
ダン艇長は目をみはった。
その青年は、ほかならぬ太刀川時夫であった。今まで彼はどこにいたのであろうか。右手にはあの太いステッキが握られている。だが、ふしぎなことには、彼の顔は、どうながめても、このさわぎを少しも感ぜざるものの如く落ちつきはらっていた。
「やあ皆さん。乗客の一人として、ちょっと御注意いたしますが、この飛行艇はついに運転不能となりましたよ」
命の方向舵
今まで見えなかった太刀川青年が、とつぜんあらわれて、こんなことをいったものだから
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