な美しいロボットは実在しない。
あの映画が、東京の邦楽座《ほうがくざ》に出たとき、築地小劇場の連中が、「メトロポリス」の実演をやった。そのとき沢山の美しいロボットが、短い労働服で出てきて、点々として器械的に働いていた。その端麗にして無感情な顔や、柔かそうな白い二の腕や、短いパンツの下から、ニュッと出ている恰好のよい脚などは、――勿論、本当の女優さん方の演出であるが――「魂のない人間」に扮しているだけに、非常に蠱惑的《こわくてき》なものがあった。屍姦《しかん》だとか、人形を弄《もてあそ》んだりする人達の気分が、なんだか判るような気がしたことである。
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其後《そのご》、英国のゴムシャムで出来た人造人間、倫敦の流行児となったエリックという人造人間、米国ではウェンスレー博士のこしらえたテレボックスという名の人造人間など、あとからあとへと現れ、テレボックスの如きは同じ姿をした弟たちが、幾度も製造され、それぞれ役立っているという。朝日新聞が独逸から招聘《しょうへい》したレマルク君は、日本に初めて来た人造人間であるが、一番美しい容姿を持っている。テレボックスの如きは、これに反して、最もグロテスクな姿をしている。
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人造人間の中では、テレボックスのことが一番よく知られている。それに、これはまた、大変よく働くらしい。
最初に出来たテレボックスは、人間からの命令によって、窓を開けたり閉めたりする。それから扇風機をかけたり止めたりする。入口の戸を開けたり閉めたりする。それから電灯を点《つ》けたり消したり、その外、いろいろなものを持ちあげたりする。
テレボックスは、電話をかけることを知っているし、真空掃除器で、室内を掃除することも出来る。
其後出来たテレボックスの弟達の中には、ワシントン市の貯水池で働いて、貯水池の水が、どの位になったかを、時間をきめて報告する役目を分担しているそうだ。
それから、シカゴの下水会社で喞筒《ポンプ》の番人をやっているのもあるという。
ニューヨーク市のエジソン会社で、外から入って来る電力を、要求によって、どこへどうまわすかという配電係《ロード・デスパッチャー》を拝命《はいめい》しているのも居るという話である。
また、或る炭坑の中で働いているテレボックス君は、坑内の爆発|瓦斯《ガス》の監視をやって居り、若《も》しも瓦斯がだんだん溜《たま》って来て危険が近づいて来ると直ちに声をあげ、警戒を与えると共に、電話をかけて事務所へ知らせる。瓦斯がどの位溜ってきても平気でそれを刻々報告する。そして大爆発がおこると、そのままテレボックスは、殉職《じゅんしょく》をしてしまうわけだが、こんな危険な役目をひきうけ、しかも人間わざでは到底《とうてい》出来ない正確さで、報告をするところなどは、人造人間でなければ、どうしたってできる真似ではない。
或る人の話によると、テレボックスは、自分が働いているうちに内部の器械の故障のために働きがわるくなると早速《さっそく》、組長に電話をかけて、身体の工合のわるいことを報告して来るのが居るそうである。
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紐育《ニューヨーク》の博物館には、人造人間の番人が居て観覧人が入って行くと、「どうぞ、記録帖に、御記名下さい」と呼びかけて来るそうである。
この種の人造人間は、泥棒よけには、もって来いである。真暗な邸宅の中に、泥棒が入って来て、震動をさせたり、或いは、懐中電灯をサッと向けると、「泥棒、そこをうごくな」と怒鳴って警笛をならし、警察へ電話をかける。泥棒が吃驚《びっくり》して、ライフルをぶっぱなしても、人造人間は、鋼製の皮膚を持っているから、それこそ弾丸があたっても、蚊《か》が喰いついたほどにも感じないことであろう。
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こういう風に、人造人間《ロボット》の働きぶりを挙げてゆくと中々きりがないのである。
さて人造人間は、どうして、そんなに働くことが出来るのか。その秘密をあばいて御覧にいれよう。
人造人間のうち最も簡単なものは、モートルや、ゼンマイ仕掛けで、いろいろと手足を動かし、首をふり、口を開き、眼玉をうごかすものである。我が国でも、甘栗《あまぐり》太郎の店頭にはノンキナトウサンの人造人間が、このような所作《しょさ》をして甘栗の宣伝をしていた。巴里《パリー》で、かつて、衣裳やさんが、このような仕掛けの美しいモデル人形をつかって流行の衣裳をダイナミックに見せたことがある。このような簡単なものは、ずいぶん古くからあったもので、僕が少年時代、神戸の湊川《みなとがわ》が、まだ淋しい堤防であったとき、その上に掛かった小屋で、「活《いき》人形」を見たのを覚えている。もう二十年以上も昔のことである。これは舶来の人形で、煙草をふかしたり、帽子をとってお辞儀をしたり、お酒を呑んでみせたりした。
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近代的な人造人間は、こちらから人造人間に喋ると、それに応じて、返事をしたり、または、その命令どおりに行動するのである。これは、人造人間の中に、ラジオで使うのと同じマイクロフォンが備えつけてあり、それを通じて、音声が電流となり、その電流を、ラジオの増幅器《アンプリファイヤー》と同じもので大きい電流に直し、それを選択器《セレクター》に入れて、人造人間に言われた命令が如何なる意味のものであるかを分析し、それによって、恰度《ちょうど》、自動ピアノの孔のあいたロール紙のようなものが沢山並んでいるその一つが働き出す。それには、其後の人造人間の行動のスケジュールがちゃんと記録されて居るから、機械力が適当に働いて、その定められたとおりの歩行や、運搬や、開閉やを行い、又はちょうど、トーキーのフィルムのようなものが働き出して、人造人間の口のあたりからラウドスピーカーを通じて、「ロボットの御返答」として人造人間の声をきくことも出来るのである。
しかし、人造人間への命令や、質問の文句は、非常に簡単で、しかもある特定の文句でないと人造人間は働かないことになっている。例のテレボックスの長兄《ちょうけい》のごときは、英語で命令しても駄目であって、高音、中音、低音から成る符号のようなものを、こちらから叫んでやると、初めて働くのである。たとえば、高い音を出して、「アー、ア、アー、アー」とか言ってやれば、窓をしめるし、低音で、「アー、ア、アー、アー」というと椅子を後に引いて暴れたりする。それを間違えば、大変な間違いとなる。何しろ力が強いから、窓を開けと注文したつもりでいると、椅子を後に引かれて尻餅をつき、喧嘩にならぬ苦がわらいをすることもある。
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其後テレボックスへの喋る音は、文句でもよいことになった。このテレボックスが出来たウェスティングハウス電気会社のイースト・ピッツバーグの研究所の門は、客が来ると自動的に開くような仕掛けになっているが、それには扉の前で“Open, sesame !”(開けごまの実)と叫ぶと自然に開く、しかし間違って「開け、けしの実」などと呶鳴っても駄目らしい。
先年上野の松坂屋の1999年展覧会で出演したロボットは、どんなことを、どんな言葉できいても、即座に返事をした。「オッサン、ゲイ・キャバレロを謳《うた》っとくれよ!」なんと中学生が、一座の喧騒裡《けんそうり》にわめいても、よくその意味が通ずるとみえ、ロボット君は「よし来た。じゃ日本語訳の方で、二村定一ばりでやろうかな、アア」なんて、達者なところを見せた。ところが、あれは、インチキ・ロボットで(宮里《みやざと》さん、もうバラしても差支《さしつか》えないでしょうな、ようがすか、バラしちまいますぜ)、カーテンのうしろに若い男が居て、有線電話式にロボットの代りにきいたり、喋ったりしていたのである。僕が科学画報の宮里さんに連れられて初日の四時頃行ったときには、ロボット先生出てこなかった。宮里さんが、きいてみると、ロボット先生は一日喋りつづけたので、すっかりへたばってしまったのだそうで、無限精力のはずのロボットが、へたばるなんて、面白いなと大笑いをしたことであった。
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人造人間のもう一つの仕掛けは、光を感じて、機械が前にのべた音の場合と同じように働き出すことである。これは、眼の内側などに、光電管があって、光が来ると、それがために電流を生ずるもので、その電流は増幅され、前にのべたように、機械の方へ行くのである。
これだけの複雑な機械が入っているから、人造人間の腸《はらわた》は、まことにゴチャゴチャと入りくんだものである。
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人造人間は、将来どうなるのであろうか。
これについては、僕は、遺憾《いかん》ながら、人造人間が、人間に代って、いろいろの職業につき、人間は、ますますする仕事が無くなって来るであろう、随《したが》って、労働問題など、今日とは別な意味で論議せられることになり、社会状態は驚くべき変化をするであろうと思うのである。
計算してみると、今日、人造人間を一人作るのに、費用が一万円はかかると思う。しかし将来はもっと安くなり、一人が一千円見当になり、簡単な人造人間なら、ラジオの受信機を組立てるように、キット一組が百円位で出来るようになる時代が、必ず来るにちがいないと、敢えて断言して置く。人造人間は、飽《あ》いたり、倦《う》むことを知らないし、着物を欲しがるわけでもなく、食事をとらぬ。ただ入用なのは、人造人間を動かす動力だけである。これは今日では電灯線からとれる交流を使うことにすれば随分安い。将来は、電波などを使うことになろう。すると、その費用などは、いくらもかかりはしないのである、ここまで申せば、何故《なにゆえ》に、人間の仕事が無くなるのであろうか、合点《がてん》が参られることと存ずる。
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戦争なども、生きた兵士を使うことが止められて、人造人間がドシドシ出征することになるであろう。
人造人間は、電波で完全に操縦が出来るようになろう。その時代には、造船所の代りに、人造人間製造会社が、驚くべき繁栄をなすことであろう。人造人間の幾師団かが、突撃するうしろには、人造人間母艦(というのはおかしいが)があって、死んだ人造人間兵士を収容しては、早速修理を加え、戦線に送り出すことであろう。
こんな機械兵士の跳梁《ちょうりょう》する時代には、その破壊力も、断然強くなるはずで、その内に世界大戦争が起って、その強烈なる科学戦は、生物的人間を一人のこらず、一瞬の間に打ち殺してしまうことがないとも言えない。そうなると、人間社会の最期の日が来る。地球上の人類や生物が悉《ことごと》く死に絶えて、その後に来るものは、無魂《むこん》の機械ばかりが、活動を続けてゆく。そのときの荒涼《こうりょう》たる光景を今胸に描いてみると、頭脳《あたま》がじりじりと縮《ちぢ》まって、気が変になりそうになる。――僕は、このようなストーリーの映画を監督して作りあげ、近代人に一大警告を与えたいと思う。
底本:「海野十三全集 別巻1 評論・ノンフィクション」三一書房
1991(平成3)年10月15日第1版第1刷発行
初出:「新青年」
1931(昭和6)年4月号
※「ニューヨーク」と「紐育」の混在は底本通りです。
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年6月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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