勝れた研究を發表し、工場を經營し、多數の工場の顧問として活躍してゐた人物だつた。それほどの彼であるから、靈媒を通じて出て來る心靈が、果して合理的なる亡妻心靈と認めることが出來るかどうかについて、注意を怠らないでゐた。
 殊に友人たちから、『それは靈媒と稱する女が讀心術を心得てゐて、巧みに話の辻褄を合はせてゐるのだよ。しつかりしろ』などといふ抗議に對して、彼はさうでないことを證明してみせた。
『讀心術でない證據がある。この前、僕の全く知らない事實を、妻は私に語つた。生前のことであるが、僕には内緒で、妻の妹にルビーの指環を買つてあたへたといふ話が出たのだ。そこで僕は、親類へ立寄つて、そんな事實があるかどうかを尋ねた。すると、確かにその事實があつたことが分つた。但しルビーではなくてサファイァだつたがね。しかしこれ位の些細な喰ひ違ひは、心靈實驗にはよく起る普通のことなのだ。とにかく靈媒が讀心術を使つてゐるものとすれば、この指環の件なんかは、僕の記憶にない知らない事實なんだから、靈媒が話に持ち出すわけはないんだがね』
 かういふことが、彼を心靈研究に深入りさせる一つの階程になつたことは明白だ。それ以後は、彼はますます熱心に心靈研究會へ通ふやうになつた。
 彼の亡妻の心靈が乘り移る靈媒は、當時靈媒として最高の評判のある人だつた。その人は中年の婦人で、やや肥滿し、青白い艷々とした皮膚を持つてゐた。家は近畿地方に在り、暮しはいいところの有夫の婦人であつたが、出張の日がかなり多くて、郷里には殆んど居ないやうであつた。
 この靈媒女は、始めの頃は、夜間に限り招靈實驗を引受けた。部屋は電燈を消し、うす赤いネオン燈一個の光の中で、實驗をした。指導者の手を借りてでないと、彼女は無我の境に入ることが出來なかつた。
 右に述べた愛妻家の友人は七十何囘もこの靈媒女を通じて亡妻と語り合つたが、その後半に至つては、靈媒女は指導者を必要とせず自分で無我の境にはいれた。從つて第三者たる指導者も不用で、靈媒と例の友人の二人だけが對座して、綿々たる夜語りに時間を送つたのである。
 その友人は、にこやかな顏を私に向けて、語つた。
『僕と亡妻の對談時間は一時間以上かかるのでね、主事は一番後に※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つてくれといふ。だから始まるのは、いつも夜の十時頃になる。二階の部屋には、靈媒と僕の二人だけだ。ほんとに心おきなく、しんみりと樂しい對談が出來るのだ。妻はいろいろと思ひ出して、喜んだり懷しがつたり泣いたりする。僕は今幸福だよ』
 私は質問した。
『そんな甘つたるい話を續けて、靈媒さんに恥かしくないのかい』
 すると彼は應へた。
『靈媒が居るなんて、そんな意識はないよ。亡妻と僕と二人切りの世界なんだ。二人がどんな甘つたるい話をしようと、氣がねは全くないんだ。だから妻も、昂奮してくると、僕の方へ凭れかかつて來るよ』
『それはたいへんだね。靈媒が倒れて、目をさましやしないかい』
『手をしつかり握り合つてゐるから、そんな心配はない』
『ふーン、それはどうも』
 私は、靈媒と手を握り合つて語らふなどといふ心靈實驗があることを、この時始めて耳にしたので愕いた。
 それにしても、この友人の代りに、私がさういふ状況でもつて、脂ぎつた女の靈媒と喋々喃々の時間を、他に人氣のない夜の部屋で續けてゐたら、俗人らしい間違ひをしでかしたかも知れないと思ふ。
 とにかく、その友人は、やがて自殺した。自殺するよ、と彼は私たちに豫告してゐた。しかしそれはにこにこと冗談めいて語られるので、誰も本當にしなかつた。
 もしもその時、もつと深く友人の家庭の事情や、心靈研究會や靈媒との關係を深く知つてゐたら、私たちは彼の計畫が本物だといふことを知つて、警戒したことであらうが、そこは手ぬかりがあつた。
 自殺する少し前、彼はいつもより少し落着かない態度で、私たちに言つたことがある。
『妻がね、あなたはなぜ早くこつちの世へ來て下さらないんですと、恨めしさうにいふんだ。妻は、今では僕を一刻もそばから離したくないらしい。折角心靈を呼び出して、妻を救つたつもりだつたが、今は反つて妻を煩惱に追ひやることとなつた。僕は責任を感ずるよ』
 彼が自殺したとき、亡妻の忘れがたみの女兒を道伴れにした。私たちは、その自殺の場所である千葉縣の某海岸へ赴いて、哀れな親子心中の有樣を見た。
 悼しいのは、その女兒が、小兒麻痺症であつて、學齡期を相當過ぎてゐるのに登校をさせることも出來ず、親類中で同情してゐたといふことを、其の時始めて知つた。私たちには、さうは語られず、七歳の女兒が居るのみ知らされてゐた。
 彼が死んで、新聞にも大きく記事が出、もちろん心靈研究會へも傳はつた。私たちは、その後、その會へ行つてみた。
 そのとき、靈媒にも會つたが、彼女はたいへん狼狽して、
『私は、實驗が終つてから、あの方に、いくども御注意したんです。どうかお間違ひをなさらないやうに。亡くなつた奧さんがどんなことを仰有らうと、あなたは自殺なんかなすつてはいけませんよと、懇々と御注意しておいたんですがね』と、殘念がつた。
 會の主事は主事で、澁い顏を振りながら、『どうもわしたちの見てゐたところでは、あの方は少し深入りしすぎて居られるやうぢや、間違ひがなければいいがなと、心配してゐたところへ、こんどの事件です。おどろきました』と、述懷した。
 友人の遺書には、『いづれ次の世界へ行つたら、心靈科學を確立し、君たちに對して通信を行ふから、待つてゐるやうに』といふことであつた。だが、彼の死後、もう十五年以上の歳月が流れたが、今もつて彼からの靈界通信に接しない。
 近來、心靈研究が又盛んになつて來たといふ話を聞く。今度流行りだしたものは、私が先に經驗したものとは、又色合の變つたものであらうと思ふ。
 私のやうな淺學菲才な者には、果して心靈が存在するのやら、靈媒が本物かインチキか、そのいづれか分らない。しかし本物の靈媒も時には商賣氣が出て尻尾を出したり、俗人に戻つたりするのではなからうかと思ふ。
 また心靈の見せる物理化學的實驗は、決つて暗室でやることになつて居り、實驗のお膳立も心靈又は靈媒の側のみで要求するが、これは本當に證しを立てるつもりなら、白晝の實驗にしなくてはならず、實驗のお膳立も理化學者に委せるのがよろしく、さうでなくては本格的の心靈實驗は確立するものではないと思ふ。これらの點が、石原純博士や、現存の某博士たちに心靈研究會から手を引かせた根本的原因である。
 新しい心靈研究は、どの方向へ行く。どんな形でお目見得するか。興味は依然として存在するのだ。
[#地から1字上げ]―― 完 ――



底本:「海野十三メモリアル・ブック」海野十三の会
   2000(平成12)年5月17日第1刷発行
初出:「宝石」
   1949(昭和24)年8月号
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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