でも修行と、後から來る若い心靈たちへの世話の成果によつて、大守護靈となる出世の途がある。そして天下のことは自分の心次第で、どうにもなるといふ大能力者になる。これが心靈の『上り』である。

   自殺した友人のこと

 呼び出した心靈と話をしてゐると、はじめは違つた人の心靈が出て來たやうに思つてゐた者も、だんだんにその本人の心靈に間違ひないやうに思つて來る。
 その心靈に、『こつちの娑婆の世界が見えるか』また『こつちの顏が見えるか』と質問すると、心靈は次のやうに答へる。
『あなたがたの住んでゐる世界を見たいと思ふが、よく見えません。それは雨戸の僅かの隙間から、うす暗い夜の外景を見るやうなもので、視野は狹く、その上にはつきり見えないのです。しかしあなたのお聲はよく聞えます。修行を積むと、娑婆の世界がもつと明るく見えるのださうですから、修行をはげみませう』
 死後の世界の有樣を、こんな風に心靈は傳へる。そして靈の修行は、死後の世界へ來て始めて意味と效驗を生じ、未來の榮達が約束される。娑婆でいくら修行してみても、それは砂で塔を建てるやうなもので、何にもならない。娑婆は、單に幻想の世界に過ぎない。
 かういふことを心靈は述べるので、それを信じて自ら生命を縮め、自殺によつて死後の世界へ出發した私の友人がある。彼は勝れた技術者であつたが、心靈研究に凝り出し、本當に價値ある世界――すなはち死後の世界のことだが、そこへ早く乘りこんで、心靈科學を確立させるのが賢明であると氣がつき、そこで自らの生命を斷つたのである。そして私たち友人にも遺言して、一日も早く自分と同じ氣持となり、次の世界へ突入することを諄々として薦めてあつた。
 彼の場合、死後の世界へ引きつける重大な力が、その外にもあつた。それは彼の妻君が既に死んでゐたのである。娑婆には彼と、女兒とが殘つてゐた。彼はたいへんな愛妻家であつて、妻君に死に別れてからも、短歌や詩に託して妻君を想い偲ぶのであつた。この妻君の心靈を彼は呼び出したのである。
 これが彼に大きな歡喜を與へた。靈媒の肉體を通じて話しかけて來る相手は、たしかに亡妻の心靈に違ひなかつた。別の言葉でいふと、それが彼は亡妻の心靈に違ひないと思つたのである。
 彼は自決するまでに、七十數囘もその心靈研究會へ通つて、亡妻の心靈と語り合つてゐる。彼は、有能な技術者であり、その方面では勝れた研究を發表し、工場を經營し、多數の工場の顧問として活躍してゐた人物だつた。それほどの彼であるから、靈媒を通じて出て來る心靈が、果して合理的なる亡妻心靈と認めることが出來るかどうかについて、注意を怠らないでゐた。
 殊に友人たちから、『それは靈媒と稱する女が讀心術を心得てゐて、巧みに話の辻褄を合はせてゐるのだよ。しつかりしろ』などといふ抗議に對して、彼はさうでないことを證明してみせた。
『讀心術でない證據がある。この前、僕の全く知らない事實を、妻は私に語つた。生前のことであるが、僕には内緒で、妻の妹にルビーの指環を買つてあたへたといふ話が出たのだ。そこで僕は、親類へ立寄つて、そんな事實があるかどうかを尋ねた。すると、確かにその事實があつたことが分つた。但しルビーではなくてサファイァだつたがね。しかしこれ位の些細な喰ひ違ひは、心靈實驗にはよく起る普通のことなのだ。とにかく靈媒が讀心術を使つてゐるものとすれば、この指環の件なんかは、僕の記憶にない知らない事實なんだから、靈媒が話に持ち出すわけはないんだがね』
 かういふことが、彼を心靈研究に深入りさせる一つの階程になつたことは明白だ。それ以後は、彼はますます熱心に心靈研究會へ通ふやうになつた。
 彼の亡妻の心靈が乘り移る靈媒は、當時靈媒として最高の評判のある人だつた。その人は中年の婦人で、やや肥滿し、青白い艷々とした皮膚を持つてゐた。家は近畿地方に在り、暮しはいいところの有夫の婦人であつたが、出張の日がかなり多くて、郷里には殆んど居ないやうであつた。
 この靈媒女は、始めの頃は、夜間に限り招靈實驗を引受けた。部屋は電燈を消し、うす赤いネオン燈一個の光の中で、實驗をした。指導者の手を借りてでないと、彼女は無我の境に入ることが出來なかつた。
 右に述べた愛妻家の友人は七十何囘もこの靈媒女を通じて亡妻と語り合つたが、その後半に至つては、靈媒女は指導者を必要とせず自分で無我の境にはいれた。從つて第三者たる指導者も不用で、靈媒と例の友人の二人だけが對座して、綿々たる夜語りに時間を送つたのである。
 その友人は、にこやかな顏を私に向けて、語つた。
『僕と亡妻の對談時間は一時間以上かかるのでね、主事は一番後に※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つてくれといふ。だから始まるのは、いつも夜の十時頃になる。二階の部屋には、靈媒と僕
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