落ちて、いやというほど腰をうちつけた。それでも彼は助かりたい一心で、膃肭獣《おっとせい》の如く両手で匐《は》って、そこを逃げだした。
「とにかく金よ、お前も長途《ちょうと》の旅行で疲れたろう。この寝室を貸してあげるから、ゆっくりひと寝入りしなさい。その間に、われわれは万端《ばんたん》の用意を整《ととの》えることにするから」
「はあ、大先生、お構い下さいますな。どうぞ大袈裟《おおげさ》な用意などなさらぬように……」
「まあいい、この部屋は静かだから、よく睡れるだろう。では、おやすみ。夕刻《ゆうこく》になったら起してやろう」
「はあ、恐《おそ》れ入《い》ります」
 王水険先生は、自室を金博士に譲って、そこを出ていった。そして戸口を出るとき、そっと外から鍵をかけることを忘れなかった。こうして金博士を缶詰にして置いて、遅まきながら万端の用意にかかれば夕方までにはこの大使館の始末機関はすぐ使えるようになるだろう。
 そんなことを考えながら廊下を歩いていると、後から呼ぶ者があった。それは余人《よじん》ではなく、松葉杖《まつばづえ》をついた醤だった。
「おや、お前、足をやられたか」
「はあ、柊の樹から落ちたものですから。ところで大先生、あいつは何をしていますか」
「ああ金のことか。金は今わしたちの部屋で旅の疲れを癒《いや》すため、一寝入《ひとねい》りさせているよ。実は早いところ空気中に睡眠薬をまいて置いたから、金のやつはもう二十分のちには両の瞼《まぶた》がくっついて、それからあと正味《しょうみ》六時間は、死んだようになってぐうぐう睡ることだろう」
「ああそうですか。それは手間《てま》が省けていい。じゃあこの大使館の始末を借りるまでもなく、余《よ》自《みずか》らが彼の寝室に忍びこみ、余自らの青竜刀《せいりゅうとう》を以て、余自らが彼の首をはねてしまいましょう」
「そうするか。わしのためには、可愛いい弟子だったが、悪に魅《みせ》られた今となっては、泪《なみだ》をふるって首を斬ることにするか。おおもう四十分経った。金のやつ、ぐっすり寝こんでいる頃じゃ」
 醤にうまくいいくるめられている王水険大先生は、最高の善事《ぜんじ》をするつもりで、醤を引具《ひきぐ》し、窓下に高梯子《たかばしご》をかけ、それをよじ登って、窓からそっと金博士の様子を窺《うかが》ったのである。
 ところが、寝台は空《か
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