つけた。じっと地面にのびているより外《ほか》に仕方がなかった。帆村が勇敢にも私の身体を飛び越えて、追駈けていったのがぼんやりわかった。だが、こっちは全身がきかないのだ。どこに自分の腕があり、どこに自分の足があるのだか、皆目《かいもく》見当《けんとう》がつかなかった。気がついたのは――此際《このさい》呑気《のんき》な話であるが――なにかしら、馥郁《ふくいく》たる匂《におい》とでもいいたい香《かおり》が其《そ》の辺にすることだった。
(麝香《じゃこう》というのは、こんな匂いじゃないかしら)
 そんな風なことを思いながら、夢をみているような気持だった。
 突然、意識が鮮明になった。朝霧が風に吹きとばされて、あたりが急に明るく晴れてゆくように……。
(こんなものを、頭から被《かぶ》ってたじゃないか)
 私は、真黒い布《ぬの》を、顔からとりのけて、上半身を起した。真黒い布と思ったのは、洋服の上衣《うわぎ》だった。
(そうだ。怪しい男を掴《つかま》えたっけが、彼奴《あいつ》の上衣なのだ!)
 怪《あや》しい香《かおり》も、その上衣から発散することが判ってきた。それにしても、いい匂《にお》いだが、なんという異国情調的《エキゾティック》な香なんだろう。私の手は無意識に伸びて、その上衣のポケットを、まさぐっていた。
(おお、なんだか、入っているぞ!)
 掌《てのひら》に握れるほどの大きさのものだった。出してみた。透《す》かしてみた。そして撫《な》でまわしてみた。何だか壜《びん》のようだ。
 突如! 近くで私の名を呼ぶ声がする。私はムックリ起上った。
 横丁をすりぬけて、飛鳥《ひちょう》のように駈出してゆく人影! やッ、彼奴《あいつ》だ! 彼奴が引返してきたのだ!
 そのあとからバラバラと追ってきたのは、帆村《ほむら》だった。
「元気をだせ! 走れ、早く!」
 と帆村は私の方に投げつけるように叫んで、怪人物の跡を追った。そのあとから、真夜中ながら弥次馬《やじうま》のおしよせてくる気配《けはい》がした。私は弥次馬に追越されたくなかったので、驀地《まっしぐら》に駈けだした。今度は大丈夫走れるぞと思った。
 その鼠のような怪青年は、目にとまらぬ速さで逃げまわった。街燈が黄色い光を斜になげかけている町角をヒョイと曲るたびに、
「ソレあすこだ!」
 と、怪青年の黒影《こくえい》が、ぱッと目に入る
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