くわたしはちかごろいらいらしてならないの。どこがどうとハッキリわかっているわけではないけれど、近頃の生活は何だか身体のなかに、割り切れない残りかすが日一日と溜まってくるようで仕方がないわ。いまに精神的の尿毒症が発生するような気がしてならないのよ」
「そういわれると、僕もなんだかそんな気がしないでもないが、要するに、君は僕がいやになって、誰かほかに恋しい人ができているにちがいないよ」
「あら、そんなことうそよ。ペンだけがいやになったわけではなく、人間というものがすべていやになったのかもしれないわ」
「人間全体が嫌いになってはおしまいだ。僕はそうではない。もっとも嫌いな人間がないではない。さっきポールに、『僕はお前が嫌いになった』と言ってやったよ。あいつはいやらしいやつだ。君がいったとおりだったよ」
「わたしがいったとおりとは、どういうこと」
「ほら、ポールは自分で解剖していると、君が言ったろう」
「ウン、あのことなの」
「そうよ。ポールは自分の身体を自分で手術しているんだよ。それがあきれたじゃないか。これはここだけの話だけど、あいつは自分の性を変えようとしている」
「まあ、なんだって? 自分の性を変えるって? ああ、もしかすると――もっとその話のつづきをしてよ」
「話をしてくれといっても、それでハッキリしているじゃないか。あいつは手術によって男性を廃業して女性になりかかっているのだ」
「ええッ、そんなことができるのかしら」
「できるのかしらといったって、あらまし出来ているんだよ、まったくいやになっちまわあ。超短波手術法なんてものが発達して、人間の身体が彫刻をするように楽に、勝手な外科手術をやれるようになった悪結果だよ」
「人造人間さえ出来る世の中だから、そんなこともできるわけだわ。でも、生きた人間が自分で性を変えるなんて、これは素晴らしい決心だわ。素晴らしい思いつきだわ」
 バラは何を思ったか、急に寝床から身を起すと、たいへん昂奮の色を示して、太い腕でもって自分の扁平な胸をトントン叩くのだった。
「あきれたネ。君もなぜそんなに騒ぐのだ」
 ペンが眉をひそめて叫んだ。
「まあ、素晴らしいことだわ。ポールはよくやったわ。あの人は靴工なんかにはもったいない人間だったんだわ。そう言えば前からそんな気がしていたけれど。それはわたしたち圧迫せられた人間の唯一の逃避の道なんだわ。いや、この政治に対する反逆なんだわ。――十八時のあの魂を膠づけにするような音楽浴、禁煙、禁酒、わたしたちにいかなる自由が残されてあるんだろう。わたしたちは医学の進歩によって永遠の生命と若さとを保証されている。死ぬのは刑罰による死か特に巧妙なる場合の自殺だけだ。わたしたちは子供を生まなくてもいい、政府からの特に命令がある場合の外は……。一人が死刑になれば、政府によって選ばれたる一人の女性が手術による人工受胎法によって一人の嬰児を懐妊し、そして分娩するために国立生殖病院に入れられ、そして一人の人間を補充すればいいんだ。性欲の目的が生殖作用だったのは大昔のことで、現代においてわたしたちは性欲のための性欲のほかに何も知らない。わがミルキ国は、人間のありとあらゆる自由を奪って、ただ一つ新しく性欲の独立と自由とだけをわたしたちに与えた。でもわたしたちは、今までその自由を充分に楽しむことを知らなかったのだ。ポールは頭脳がいい。彼こそミルキ国第一の英雄だ。彼は性欲をさらにスポーツ化し、人間を新しき自由の世界に解放するために、性の束縛から逃れることを考えついたんだ。もうわたしは、必ずしも永遠の女性でなくてよくなったんだ。男性にもなれるんだ。ペン、わたしがもしも女性から男性に変ったとしたら、貴方はやっぱりわたしに対して、今までのように憧れるかしら」
 ペンは唖然として、バラの熱弁に叩かれていた。彼はこのときホッと溜息をついて、バラに向って慄える唇を開いた。
「ああ恐ろしいことだ。君が男性になるなんて。僕たちの関係も、これでもうおしまいだ。僕は生きていることのつらさが、これでまた一つ増えたことをしみじみ感じるよ」

      7

 女大臣アサリ女史からの急ぎの電話で、男学員ペンと女学員バラは急遽その部屋を立ちいでなければならなかった。それは女大臣がミルキ閣下とともに、五分後にアリシア区を訪問するという知らせを受けとったからだった。
 二人は急行コンベーヤー移動路を巧みに乗りかえて、やっと定刻までにアリシア区に帰ってきた。「博士コハクの姿が見えないが、どうされたんだろうネ」
「さあ、どうしたんでしょうね。もう時間が来ているのに、先生が見えないなんて変ね」
 二人は博士の不在にすぐ気がついたのだった。ミルキ閣下の叱責を恐れて、二人は手わけして方々に電話をかけたり、各室をさがしたりしたが、何
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