処にも博士の姿は見えなかった。
「君、実験室の戸棚の中や、机の下も調べたんだネ」
とペンがたずねた。
「もちろんよ。わたしにできることは皆したんだけれど、先生はどこにも見つからないのよ。誰も知らないっていうの」
「誰も知らない? 誰って、誰のことだい」
「ホホホホ、誰って、皆のことよ」
バラは何を思ったか、憂いの顔をといて、おもはゆげにほほえんだ。
間もなく戸外に、女大臣の到着したらしいざわめきが聞えてきた。
ペンとバラとは、戸口のほうに飛んでいった。
「あ、これは――」
「まあ、閣下が――」
女大臣の到着かと思ったのに、事実は女大臣は扈従《こじゅう》のかたちで、そこには思いがけなくもミルキ閣下が傲然と立っていた。
アサリ女史はペンとバラとを尻眼にかけて室内に闖入した。そして誰に言ってるのかわからないようなそっぽを向いて、
「アリシア区の博士コハクは、本日ミルキ夫人との醜事件によって死刑執行をうけた。よってアリシア[#底本では「アシリア」]区の主任は当分のうち本大臣アサリが兼任する。なお女学員バラに臨時副主任を命ずる。終り」
ペンとバラの二人は、電気にうたれたように、慄えおののいた。博士コハクの非業の最期を、ただいまアサリ女史の言葉によって二人は始めて知ったのであるから。
博士がミルキ夫人と醜行があったなどということは信じられないことだった。博士は研究室に閉じこもって、二十四時間を殆ど仕事に費していた。醜行をするような余裕も気持も、博士にはなかったはずである。それにもかかわらず醜行があったとは、一体どんな醜行をやったのであろうか。しかも博士コハクはミルキ国第一の、いやミルキ国ピカ一の科学者だった。ミルキ国の至宝であったのだ。博士はミルキ閣下の命令により、あらゆる文化設備を設計し建設した。この博士に死刑を執行することは、ミルキ国が自殺をするに等しかった。これから博士に代って誰が仕事をしようというのだろうか。なんという無謀な死刑宣告だろう。博士の研究のうちでも、目下莫大なる国費を費して研究半ばにある人造人間の建造などは、これからどうなるのであろうか。二人の門下生は、急に目の前が陥没して、数千丈の谿谷ができたような気がした。
「さあそこで副主任バラ女史に命ずる。博士コハクに属していたアリシア区全体を閣下と共に検分する。すぐ案内にたつように」
副主任と呼ば
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