がらないでしょう」
「おやおう。だいぶんごきげんよろしくないようだ。そんなに悲観してしまっては困るね」
せっかくカンノ博士がわざとそういったのだと思い、よろこぶ気になれなかったのである。
迫《せま》る怪影《かいえい》
警鈴《けいれい》が、この宇宙艇「新月号」の隅《すみ》から隅までに響きわたったのは、その直後のことであった。
「あッ、警鈴《けいれい》だ」
「なんだろう、今頃警鈴が鳴るなんて……」
正吉もカンノ博士も、共に耳をそばだてて、警鈴の次に高声器からとび出してくるはずのアナウンスを待ちうけた。
「月人《げつじん》一名が本艇右舷の第三門口を破壊しようとかかっている――艇長命令。全員直ちに配置につけッ」
さあ、たいへん。月人の来襲《らいしゅう》である。
来襲した月人は、今のところたった一人だというが、ゆだんはならない。第一番に偵察者がやって来て、そのあとに雲霞《うんか》のようにおびただしい月人隊がおし寄せるのかもしれない。
カンノ博士は、すぐ操縦室にとんでいった。正吉も、博士のあとについて、その室へはいったが、彼はテレビジョンの下へいって、月人を見ようとした。
見える、見える、
たしかに月人だ。トロイ谷で見かけたとおりの月人の姿をしたものが、第三門口を、拳《こぶし》でがんがん叩いている。カブト虫みたいな気味のわるい身体。上がとんがったのっぺらぼうの頭。その上に黄いろく光って見えるキツネのようにつりあがった二つの目。たしかに月人だ。
「早く撃ったがいい。艇をこわして、中へはいってこられたらたいへんだ」
「そうだ。やっつけた方がいい。トロイ谷で、きゃつらは勝ったように思っているのだ。こっぴどくやっつけてやるがいい。」
隊員たちは、トロイ谷で月人からひどい目にあわされたので、今こそ月人をたおして、地球人の威力《いりょく》を見せるときだと、いきまいている。
マルモ隊長の耳にも、隊員たちの声がはいった。しかし、彼はおちついたおだやかな人物であったから、一人の月人をここで倒すよりも、もっと外にいい方法はないものかと、もう一度考えた。
そのときだった。正吉が隊長の腕に飛びついたのは。
「隊長さん。あの月人は、ぼくのおじの毛利博士だと思います。だから、手荒なことはしないようにして下さい。」
正吉のことばは、隊長をおどろかすのに十分であった。
「なに、あれが毛利博士だって。それが、どうして君に分る。」
「そういう気がしてならないんです。それにああして戸を叩く格好が、おじに違いないと思うんです。中へいれた上で、よく調べることにしてください。」
「だが、もしほんとうの月人だったら、困ったことになるよ。そのとき君の立場がなくなるが、いいかね」
「ええ、いいですとも。ぼくは自分の責任をとります」
正吉は思い切ったことをいった。
それというのも、さっきカンノ博士の説明を聞いてからこっち、なんだかおじの毛利博士がまだ生きているような気がしてきたのだ。実はあのとき正吉は、カンノ博士の説をあまり信じないようなことは、いったものの。
「隊長。あの月人の姿をした者は、正吉がいうとおり、たしかにわれわれと同じ地球人ですよ。ああいう戸を叩く仕草は、地球人独特の仕草です。月人なら、あんなことはやらないでしょう。ですから、戸口を壊《こわ》して侵入するつもりなら、体当りするとか、すごい道具を持ってくるとか、もっと大げさなことをやると思いますよ」
そういったのは、カンノ博士だった。博士はいつの間にか正吉のうしろに立っていたのだ。
「なるほど。よろしい。君たちの意見に従って、あの疑問の人物を、中にいれてみよう」
隊長は、そこで命令を発した。
命令が出たので、隊員は反対するのを即座《そくざ》にやめた。そして厳重警戒のもとに、戸口を開いて、かの疑問の月人を艇内にいれた。
かの人物は、両手をあげて、よろめきながらはいって来た。そして急いで自分のかぶっていた兜《かぶと》をぬいだ
ああ、その下から現われたのは、正しく地球人の顔だった。苦労にやつれた白髪《しらが》の老人の顔だった。
「あ、おじさん。ぼくです。正吉です」
老人の方へかけだしていった少年こそ、もちろん正吉であった。
事態は重大
おそるべき敵と思ったのが、そうでなくて、なつかしい地球人だった。しかも探検家として尊《とうと》い経歴を持つ毛利博士だったのである。
艇内は、恐怖よりとつぜん歓喜《かんき》に変わって、どっと歓声があがった。
「おお、ようこそ、毛利博士」
「ほう、やっぱりあんたじゃったか、マルモ君」
毛利博士――これからはモウリ博士と書くことにしよう――そのモウリ博士とマルモ隊長とは手をとりあってふしぎな再会をよろこびあった。
「正吉までに会おうとは思わなかった。正吉をよく世話して下されて、お礼のことばもないですわい」
モウリ博士は、正吉の顔を穴のあくほど見つめる。そうでもあろう。正吉を冷蔵球《れいぞうきゅう》の中に入れで日本アルプスの山中においたまま、約束の二十年後にその球を開いてやることも出来ず、今までそのままにしておいたのであるから、ここで正吉に会って博士がびっくりするのも無理ではない。
「正吉君との間には、積《つ》もる話があるでしょう。まあ、ゆっくりお話なさい」
と、隊長はいった。
「いや、話は山ほどあるが、そんなことをしていられないのじゃ」
「と、おっしゃると何か――」
「重大事があるから、わしは危険をもかえりみず、老衰《ろうすい》した身体にむちうって駆《か》けつけてきたのですわい。そのことだ、そのことだ。マルモ君早くこの土地をはなれないと、月人の大集団が、この宇宙艇を襲撃して、全員みな殺しになるよ」
「それはどうして――」
「分っているじゃないか。月人たちはトロイ谷のことをたいへん恨《うら》みに思っている」
「いつ来襲するのでしょうか、月人たちは」
「今、さかんに武器や空気服をそろえにかかっている。あと二、三時間たてば、かならずここに押しかけてくるだろう」
「えっ、たった二、三時間しか、猶予《ゆうよ》がありませんか」
「二、三時間あれば、この月世界から離陸することはできるじゃろう」
「それはできますが、本艇はルナビゥムをもっとたくさん手にいれなくては予定の宇宙旅行ができないのです。実は倉庫第九号に、そのルナビゥムがかなり豊富に貯蔵してあったのですが、こんど来てみると、それがそっくり盗まれているのです。全く困りました」
「ああ、あの倉庫のルナビゥムのことか」
「おや。モウリ博士は、あの倉庫のことをご存じですかな」
「知っていますよ。あれも月人がやったことです。あとでくわしく話すが、あの倉庫のことを、たいへん気にしているのです。もちろんルナビゥムの用途《ようと》についても、彼らは勘《かん》づいていますのじゃ。そこで地球人を困らせようとして、あの倉庫にあったルナビゥムは全部ほかへはこんでしまった。」
「うーン、それは気がつかなかった。こっちのゆだんでした。で、どこへはこんでしまったのでしょうか、そのルナビゥムを――」
「その場所を教えてさしあげる。近いところじゃ。だから、あと二時間以内に、それを掘りだして、この艇内へはこびこみ、すぐ離陸したらいいじゃろうと思う」
「そのかくし場所はどこですか」
「それがね、おかしな話だが、この宇宙艇は正にそのルナビゥムを埋めてある地点の頂上に腰をすえているんじゃ。これでは月人が気をもんで早く襲撃して全滅してしまいたがっているわけも察しがつくでしょうが」
「ははん、それはおどろきましたな」
モウリ博士が生命《いのち》をまとにして持ちこんでくれた土産《みやげ》ばなしはマルモ探検隊にとって非常に貴重《きちょう》なことがらだった。
それにより、さっそく全員を動員して、すぐ真下を掘りはじめた。
あった。出て来た。おびただしい貴重燃料のルナビゥム!
莫大《ばくだい》な量にのぼるものだったが、それをわずか一時間あまりで、全部艇内に取りこむことができた。これだけあれば火星を訪問して、地球へ戻るには十分すぎる。マルモ隊長はじめ全隊員は、どのくらい心丈夫になったかしれない。
「おや、来たらしいぞ。あの地ひびきは、月人の大軍が近づく音にちがいない」
モウリ博士は月世界に住みなれたせいで敏感《びんかん》だった。
すわこそ、月人の大襲来だ。
マルモ隊長は、急ぎ出発用意の命令を下した。全隊員は、ルナビゥム運搬《うんぱん》で疲れ切った身体を自ら叩きはげまして配置につき、死力をつくして急ぎ出発準備をととのえにかかる。これには、まだいささか時間が必要であった。
「用意よろし」の報告を待つマルモ隊長は、ついにそれを待かねて、探照灯の点火を命じた。
青白い数條の光が、さっと巨艇からとび出した。その光が、でこぼこの月面を照しつけ、左右に掃《は》いた。おどろいたことに、どの光も、ものものしい月人部隊の進撃姿をいっぱいに捕えていた。
その数は何十万とも知れぬ月の大軍だ。
「出発用意よろし」の報告は、まだマルモ隊長のところへはとどかない。そばに立っている正吉は、気が気でなかった。
はたして月人の襲撃前に、わが「新月号」は月世界を離れることができるかどうか?
アブラ虫競走
マルモ探検隊員をのせて、ロケット新月号は今や大宇宙を矢よりも早く進む。
暗黒の月世界をだんだんはなれ、その向こう側の昼の面が、大きな三日月の弧《こ》となって動きあがって来る。
これからロケットは、いよいよ火星のあとをおいかけることになったのだ。
ここ当分は、たいくつな航空がつづく。いかに希有燃料《きゆうねんりょう》ルナビゥムをたくさん使っても、火星においつくまでには、約三ヶ月の日数がかかる計算になっていた。
乗組員たちは、今からたいくつになってはたいへんだと、たいくつをまぎらすための、いろいろな工夫をこらす。
将棋のトーナメント競技を計画して、入会をすすめる者がある。
卓上ベースボールのリーグ戦をするメンバーを募集してまわる者がある。
おとなしいところでは、地球から放送されるテレビジョンによって、これから三ヶ月間に、編物講習を勉強しようと決心する者もあった。
正吉少年が通路を歩いていると、料理番のキンちゃんに、ばったり出会った。キンちゃんとは、しばらく顔をあわせなかった。二人は別に働いていたからだ。そのキンちゃんはにこにこしている。
「キンちゃん、どうしたの。たいへんうれしそうだね」
と、正吉が声をかけると、キンちゃんはいよいよ顔をくずしてげらげら笑い。
「うふッ。ちび旦那《だんな》。わしんところが、えらい人気なんですぜ」
ちび旦那などと、キンちゃんは失敬なことをいう。が、なかなかごきげんよろしい。どうしたわけだろう。
「なにが大人気だというの」
「いや、実は、わしのところで、ちょっとした競走をはじめたんですがね。それが大繁昌《だいはんじょう》なんで。みなさんがどっとおしかけてきてね、部屋の中がぎゅうぎゅうで、たいへんなんですよ」
「どういうわけで?」
「どういうわけでといって、つまり、わしの考えだした競争に人気がすっかり集まってしまったんですよ」
「誰が競争するの」
「誰って、つまりアブラ虫ですよ」
「アブラ虫だって? アブラ虫かい」
正吉は、おどろき、そしてあきれた。
キンちゃんの方は、どうですといいたげに、にやにや笑って、
「食堂に出てくるアブラ虫を、大切にして飼っておいたのです。かなり大きいのがいますよ。横綱というのは、一番大きくて、腹が出っぱっているのです。そのかわり、競走させると案外おそいのでねえ」
「なんだって、アブラ虫なんか飼っておいたの」
「たいくつだからですよ。アブラ虫だって、生きてうごいていれば友だちのかわりになりますからねえ。それにバターをなめさせたり、ジャガイモをくわせたりしていると、アブラ虫もだんだんわしになついてくるんでね。そりゃとてもかわいいですよ」
キンちゃんは目を細くし
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