からし》くさいから、瓦斯のあるなしはすぐわかるのだ。
「お父さんも、お母さんも、もう安心ですよ。すっかり防毒室が出来ました」
 両親は旗男たちの働きを、病床から涙をだして喜んだ。旗男の旅行で、遅れていた家庭の防護設備も、兄弟の協力でどこの家にも負けないくらい堅固に出来あがった。
 三人の兄弟は、にわかに腹がドカンとへったのを覚えた。そこへ、お手伝いのお花《はな》さんが山のように握飯をもって入ってきた。三人はウワーといって、まわりから手を出した。
「ああ、おいしい」
「町の防護団でも、いま、おにぎりを食べていますのよ。ホホホホ」
 お手伝いさんは笑ってつげた。
 夜は、不安をみなぎらせたまま、だんだんと更けていった。ひどく蒸暑い夜だった。
 防護団は時間をきって、警戒員を交替させた。衛生材料がいっぱいつまった赤い十字のついた大きな箱が配給されてきた。どこからどこへ行くのか、重機関銃をもった一隊の兵士が、粛々と声もなく通りすぎていった。
「鍛冶屋の大将。今夜は来ないらしいね」
「おお分団長。警報は出ないが、しかし油断はならないぜ」


   暁の空襲警報


 茨城県|湊《みなと》町の鮪船《まぐろぶね》が四|艘《そう》、故郷の港を出て海上五百キロの沖に、夜明を待っていた。
 その鮪船は、いずれも無線の送受信機とアンテナとを備えていて、魚がとれると、遠く内地海岸の無線局を呼び、市場と取引の打合せをすることができるのであった。
 磯吉《いそきち》という漁夫の一人が、用便のために眼をさました。東の空は、もうかなり白みがかっていた。舳《へさき》に立つと、互に離れないように、艫《とも》と艫とを太い縄で結びあわせた僚船の姿が、まだ寝足りなそうに浮かんでいるのが見えた。この天気では、今日もどうやら不漁《しけ》のような気がする……と思いながら、彼は明けゆく海原を前にして、ジャアジャアと用をたしはじめた。
 そのときであった。
「はてな、変な音がする……」
 彼はふと遠い空から、異様な響《ひびき》の聞えてくるのをきいたのだ。
「ああ、そうか。……こいつはまた海軍の演習にぶつかったかな」
 海にくらしている彼等にとって、何よりも嬉しいことは、思いがけぬ海上で、わが艦隊の雄姿を見ることだった。これも、演習で、海軍機が飛んでいるんだろう。……
「だが、海軍機にしちゃ、すこし音が変だな。非常に音が高いし、その上、おそろしく響く音だ! なんだろう」
 磯吉はまだ気がつかず、ボンヤリと眺めていた。怪音は、すばらしい速さで、ゴウゴウと大きくなってきた。音の来る方角が始めてわかったので、磯吉は好奇心にかられながら、なおも空を見上げていると、やがて晴れゆく朝霧の向こうに認めた機影!
 一機、二機、三機、……
 いやそれどころではない。たいへんな数だ。しかも驚いたのは、その飛行機の形だ。まるで蝙蝠《こうもり》を引きのばしたような、見るからに悪魔の化身のような姿! 長いこと飛行機は見てくらしたが、こんな飛行機を見たのは、後にも先にもたったいまが始めて……。
「あッ、これァ大変だ!……起きろ起きろ、みんな! 妙な飛行機が通っているぞう!」
 磯吉はドンドン足を踏みならしながら、大声で呼ばわった。その音に、漁夫たちは、下から裸のままゾロゾロと駈けだしてきた。
「あッ、これはいけねえ」
 と叫んだのは、昨年航空隊から除隊して来た太郎八《たろはち》という若者だった。
「……変なところを飛んでいるが、これは確かにS国の超重爆撃機だ。……さあ早く、これを○○無線局に知らせなきゃァ」
 敵機の大集団きたる! この鮪船からの警報は、それから数分ののちに、○○無線局を経て東部防衛司令部に達した。――
「○○無線局発。午前五時十五分、北緯三十六度東経百四十三度ノ海上ニアル茨城県湊町在籍ノ鮪船第一|大徳丸《ダイトクマル》ハ有力ナルS国軍用機ノ大編隊ヲ発見ス、高度約二千メートル、進路ハ西南西。超重爆撃機九機ヨリナル爆撃編隊七隊ナリ。以上」
 超重爆六十三機の一大爆撃編隊の強襲だ!
 防衛司令部は、俄《にわ》かに活気づいた。
 警報の用意が命ぜられた。
 五百キロの海上だとすれば、あと二時間位で帝都の上空に達するはずだった。海上の防空監視はむつかしい。
 この発見がもうすこし遅かったら、どうなったろう。思っても冷汗が流れる。
 用意は出来た。
 香取司令官は、厳然として「空襲警報」を下命した。
 警報の発令と同時に、防空飛行隊にも出動命令がくだった。つづいて高射砲隊などの地上防空隊へも、それぞれ戦闘命令が発せられた。
 マイクロホンの前で、中内アナウンサーは、命令遅しと待つほどもなく、香取司令官は手をあげた。
「ラジオ放送で一般に通報せよ。――司令部発表、南及び北関東地区、午前五時二十分、空襲警
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