過ぎていますからネ」
私は軽く突っぱねた。時計をソッと見ると、既にもう十一時に間がない。私は気が気でない。
「いやに逃げるじゃないか」と執念深い刑事は反《かえ》って絡《から》みついてきた。「ところで一つ尋《たず》ねるが、赤ブイ仙太を見懸《みか》けなかったか」
「仙太がどうかしたんですか」
「余計なことを訊《き》くな。貴様、仙太と何処《どこ》で逢った。何時《いつ》のことだ」
「旦那方。私はハマの仙太の番をするくらいなら、今時《いまどき》こんな場所を一人で歩いちゃいませんぜ」と私はちょっと嘘をついた。
「ふざけるな。じゃあ訊くが、銀座無宿《ぎんざむしゅく》の坊ちゃんが河岸《かし》をかえて、なぜ横浜《はま》くんだりまで来ているのだ……」
坊ちゃん政――それは私にいつの間にか付けられた通《とお》り名《な》だった。もちろんかねて顔馴染《かおなじみ》の二刑事が覚えているのも詮《せん》ないことだろう。だが云わでもその名前を呼びかけられりゃ、いくら此処《ここ》は横浜《はま》だって小さくなっていられるものかと、私はムッとした。
だがそのムッとするのが、私の悪い病気なのだ。現に銀座を出て、単身《たんしん》この横浜《はま》に流れて来たのも、所詮《しょせん》は大きいムッとするものを感じたせいではなかったか。
(伝統の銀座を、横浜《はま》の奴等に荒されてたまるものかい)
若い私には無体《むたい》にそいつが癪《しゃく》にさわった。私は覘《ねら》う相手から、覘うもの[#「もの」に傍点]を捲きあげてしまわなければ、死んでも銀座には帰らないと肚《はら》を決めているのだ。――で、その大事の前に、顔馴染の刑事なんかと喧嘩をしてはつまらないではないか。我慢をしろ!
「オイ何とか云えよ」
「黙っていちゃ、駄目じゃないか」
二人の刑事はジリジリと左右から肉迫《にくはく》してきた。相手の眼はらんらんと輝いた。私を大きな獲物《えもの》と見込んで、どうしても物にしようという真剣さが見える。これは簡単に済まないぞ。おとなしく身を委《まか》して機会を待つか、それともサッと相手の足を払《はら》って出るか、無気味《ぶきみ》な沈黙が三人の息を止めた。
と、その時だった。――
キ、キャーッ。
と、魂消《たまぎ》える異様な悲鳴が、突然に闇を破って聞えた。どうやら向うの通《とおり》らしい。途端《とたん》に向うに見える時計台から、ボーン、ボーンと十一時を知らせる寝ぼけたような音が響いて来た。――ああ十一時。あの時刻だ。私はドーンと胸を衝《つ》かれたような激動《げきどう》を感じた。
金貨《きんか》を握《にぎ》った屍体《したい》
「うむ、事件だぞ」
「すぐ其処《そこ》だ。行くか……」
二人の刑事は顔を衝突せんばかりに近づけて、お互《たが》いの腕を掴《つか》み合った。
「直《す》ぐ行こう」
「だが此奴《こいつ》をどうする?」
「うむ。さあ、どうする?」
刑事は私の処置《しょち》をどうしたものかと躊《ためら》った。
「逃げませんよ、私ア」と言下《げんか》に応《こた》えた。「一緒に行ったげましょう」
「お前も行くか。どうかそうして呉れ!」
刑事はホッと溜息《ためいき》をついた。
私はわざと先頭《せんとう》になって駈けだした。刑事も横合《よこあい》から泳ぐように力走した。
真暗な、広い空地に出た。向うにポツンと二階建らしい倉庫のようなものが立っているが、灯《あかり》もない真黒な建物だ。悲鳴はそのあたりから起ったように思われる。私は前面を注視しながら走った。
沈黙の倉庫の前まで来ると、向うに火の消えた街灯《がいとう》の柱が何事か云いたげに立っていた。その下に、長々と横たわっている黒い物があった。
「旦那方。あすこに、一件らしいのが見えますぜ」
刑事は私の方に身体を擦《す》りよせてきた。
「うん。伸びているようだナ。それッ」
三人はバラバラと、その方に近づいた。刑事の手から、懐中電灯の光がパッと流れだした。その光は直《ただ》ちに、地上に伏している怪しい男の姿を捉《とら》えた。雨あがりの軟泥《なんでい》の路面に、青白い右腕がニューッと伸びていて、一面に黒い泥がなすりついている――と思ったら、それは真赤な血痕《けっこん》だった。水色のアルパカの上衣にも、喞筒《ポンプ》で注《そそ》ぎかけたような血の跡が……。全くむごたらしい光景だった。
刑事は、倒れている若い男の横顔を照してみた。顔は血の気を失って、只《ただ》太い眉毛《まゆげ》と、長い鼻とが残っていた。歯を剥《む》き出した唇は、泥を噛んでいた。――と、刑事が叫んだ。
「呀《あ》ッ。……これア、赤ブイの仙太じゃないか!」
赤ブイの仙太! 仙太といえば刑事たちが、さっき私に訊《き》いたところの横浜《はま》の不良で、カン
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