日本政府自らなすべかりし事なるをマ司令部によりて断行されたるは笑止なれども、そこが敗戦国の虚脱ぶりならん。宮仕えがいやにて昭和十三年|逓信省《ていしんしょう》を去りし私として本令の施行は何等興味なし。
◯萩原大祖母さん、昨夜死去。享年八十歳。お悔みに行く。(香奠《こうでん》金四拾円)
◯小栗虫太郎、信州より出て来る。うちへ泊る。談尽きず。彼、大元気なり、雄鶏社の話もスラスラ行きけるよし。
◯その前に木々高太郎《きぎたかたろう》[#探偵小説家、生理学者。本名は、林髞]氏来宅。久振りに将棋を囲む事四回、三勝一負。
 この友は益々公私共に溌溂《はつらつ》活躍中。

 一月十日
◯新聞に、マ司令部のスポークス・マンと新聞記者との省内会合席上、出版界の話が出たと伝う。近く処理あるべく、執筆者も亦《また》適宜処断あるやに伝う。
 これも然方なし、勝てば官軍、負くればなり。
◯岸本大尉始めて来宅、徹[#永田徹郎。長女朝子の婿。元、海軍大尉]ちゃんの奮戦ぶりをちょっぴり伺う。
◯偕成社の名作少年小説に「探小」を入れることはきまった。同社復興のため、私は同情執筆を快く承諾したわけだが、他の友人に執筆をすすめるためには、その条件では困るので申入れをした。
◯講談社の稿料十円より二十円へあがる。
◯探偵小説雑誌案いろいろとあり、筑波書林のものは既に発足した。乱歩[#江戸川乱歩。探偵小説家]さんのところへ持込まれた他のものは断った由。但し乱歩氏は平凡社へそれを申入れるとの事。
◯水谷[#準]君も昨年博文館を退社したる由。博文館はあの社長さんではもう駄目だ。そして戦争中|編輯《へんしゅう》局長たりし水谷君のためにも退社はよろしい。いずれいいところから礼を厚くして招聘があろう。しかし当分作家へ復帰してもらいたいと思っている。
◯大下[#宇陀児]君は町会長が忙しく、書けないで困っているらしい。どこか執筆場を求めたがっているようだが、町会長をしている間は所詮駄目だろう。それともハッキリさせて政治家へ前進するも悪からず。しかし私たちは作家専門に戻るを希望する。
◯乱歩さんは相変らず老人ぶって引込んでいるのは遺憾である。しかし色気は皆無というには非ず、一年一作で十分たべられるというものをやりたいとのべていると、小栗虫太郎が帰って来ての話だ。これは大いによろしい。
◯虫太郎今夜は乱歩氏邸へとまって明朝信州へかえる予定。
◯多田君岳父旧臘七十三歳で長逝。孝行息子たる彼は感心なものである。
◯「光」の丸尾君来宅。一頁探偵小説と電気常識講座とを頼まれた。

 一月十二日
◯旧臘二十九日、鵬原正広(湊山小学校同級生)は梅田線にて乗車のとき、人に押されてホームより電車の下に落ち、電車はそのまま発車し、両脚轢断、頭部裂傷にて憤死した。その旨夫人愛子さんより悲歎の言葉を以て通知あり、驚愕且つ暗然とした。
 同じく級友小野君も東松原線にてレールヘ落ち頭に裂傷を負いし由。

 二月二日
◯昨日雪が降り出して夕方までに二三寸は積ったが、夜になると熄《や》んだ。
 そして今日は陽がさし出でたので、どんどん溶けて行く。うちへ来て下さるお客さま方に全くお気の毒なる道の悪さだ。
◯一月は遂に過ぎた。前半は正月休みで、応接に忙しかったし、後半は原稿で殆んど隙のないほどの忙しさであった。
 原稿の依頼も仲々数を加えて、うれしさから苦しさへも移行の形勢である。江戸川さんが宣伝してくれたので、「一頁もの犯人探し」の注文が押しよせた。
 今日は「高利翁事件」という三十枚ほどの本格ものを書き終えたが、本格ものは色気に乏しく、取りかかりのところなどは全く書いている方でも苦痛であるが、いよいよ肝腎の要点である推理のところへ来ると、さすがに面白さが湧き立つ。
 こういう本格探偵小説――というよりも推理小説といった方がよろしかろう――が、どの程度に読者を吸収するか、今度はまだ分っていないがあまり期待は出来ない。しかし心から面白がってくれるファンの数が少しでも殖えればいいことである。
 面白さに乏しくとも、書くのに骨が折れても、当分はこの推理小説一本槍にて進むこととし、いわゆる情痴犯罪のエログロには手を染めまいと思っている。江戸川、小栗、木々などの諸友の考えもここに在るので、私もその仲間の一人として、そういう方針をぶちこわさない決心だ。
◯近く、時事通信社甲府支局版に、連載科学小説「超人来る」を書くことに決りそうである。これは全体の筋を予《あらかじ》めはっきり決めて置いた。
 従来のものは、始めと終りと、その狙い位は決めてかかるが、途中のところは自由に残して置いて、書くときの楽しみにして置いたものだ。そういう考えは一応いいのだが、さて書いて行くと、自然、イージーゴーイングになって、筋の発展性に乏しく、テンポに精彩
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