にんじょく》のこの途である。一通りや二通りの覚悟ではつとめ切れない。日記を書くのも反省以て新しい勇気を起こさんためである。
[#ここで字下げ終わり]
八月十五日
◯本日正午、いっさい決まる。[#戦争終結の詔勅を放送]恐懼《きょうく》の至りなり。ただ無念。
しかし私は負けたつもりはない。三千年来磨いてきた日本人は負けたりするものではない。
◯今夜一同死ぬつもりなりしが、忙しくてすっかり疲れ、家族一同ゆっくりと顔見合わすいとまもなし。よって、明日は最後の団欒《だんらん》してから、夜に入りて死のうと思いたり。
くたくたになりて眠る。
八月十六日
◯湊君、間宮君、倉光君くる。湊君「大義」を示して、われを諭す。
◯死の第二手段、夜に入るも入手出来ず、焦慮す。妻と共に泣く。明夜こそ、第三手段にて達せんとす。
◯良ちゃん、しきりに働いてくれる。
八月十七日
◯昨夜から、軍神杉本五郎中佐の遺稿「大義」を読みつつあり、段々と心にしみわたる。天皇帰一、「我」を捨て心身を放棄してこそ、日本人の道。大楠公が愚策湊川出撃に、かしこみて出陣せる故事を思えとあり、又楠子桜井駅より帰りしあの処置と情況とを想えとあり。痛し、痛し、又痛し。
◯昨夜妻いねず、夜半に某所へ到らんとす。これを停めたる事あり。
妻に「死を停まれよ」とさとす。さとすはつらし。死にまさる苦と辱を受けよというにあるなればなり。妻泣く。そして元気を失う。正視にたえざるも、仕方なし。ようやく納得す。われ既に「大義」につく覚悟を持ち居りしなり。
八月十八日
◯井上(康文)、鹿島(孝二)君来宅。
◯熱あり、ぶったおれていたり。
八月十九日
◯村上(元三)君来宅。
◯岡東浩君来る。うれし。
◯ようやく気もだいぶ落付く。されど、考えれば考えるほど苦難の途なり。任はいよいよ重し。
◯夜半、忽然として醒め、子供をいかにして育てんとするかの方途を得たり。長大息、疲労消ゆ。有難し、有難し。
◯けさ、広鳥惨害写真が新聞に出た。
八月二十日
◯熱は少しく下がりしようなるも、体だるし。英[#夫人]も疲労し、やつれ見え、痛々し。しかし今日割合い元気になりぬ。
◯宮様[#東久邇宮稔彦首相]又もや御放送。
◯「大義」を村上先生(医師)へ、「大義抄」を奥山老士へ貸す。
◯「維摩経新釈」を読みはじむ。
八月二十四日
◯昨夜より今朝迄、十二時間に亘りて雷鳴つづく。
◯防空総本部より発表あり。敵爆弾による死者二十六万人(うち原子爆弾死者九万人)負傷四十万人。罹災者九百万人。これは樺太、台湾を除く人口の六分の一に当たる。都市戦災八十市、うち大半焼失せるもの四十四市なりと。
◯遠藤長官発表して曰く「戦前の飛行機生産高は月産五百機、昨十九年六月は三千機、本年になって工場疎開や爆撃熾烈の中にも一千台を維持し得たり」と。
◯米機、明日よりわが本土に監視飛行を開始する。
◯疲労まだ恢復せず、無理に起きている病人の如し。
◯電灯の笠を元どおりに直す。防空遮蔽笠(ボール紙製)を取除き、元のようなシェードに改めた。家の中が明るくなった。明るくなったことが悲しい。しかし光の下にしばらく座っていると、「即時灯火管制を廃して、街を明るくせよ」といわれた天皇のお言葉が、つよく心にしみてきて、涙をおさえかねた。
◯いかなる事ありとも、外出のときはやはりもんぺをはくべし、と命令し置く。
◯暗幕はそのままにして置く。外から覗かれぬよう、また時にはあたりを暗くして置く必要ありと、思いしが故である。
◯手紙を書くことを極力ひかえつつあり。
八月二十六日
◯昨二十五日、果して米軍機、監視飛行を始める。台風気味の低雲をついて、全身を鉛色に塗ったグラマン、二機以上の編隊でしきりに飛ぶ。子供はよろこぶ。
◯天候のため、連合軍の上陸は、四十八時間順延となった由。
◯十七日信州では「陸海軍に降伏なし、日本航空隊司令官」と伝単[#宣伝ビラ]をまいたそうな。
◯井上康文[#口語自由詩で、民衆の現実を描こうとした、「民衆派」の詩人]君の詩、昨二十五日夜放送さる。いやな気がした。われら当分筆を執るまい。
◯中川八十勝君、昨夜郷里広島へ出発。家族は大竹ゆえ、たぶん心配はないと思うが、友人、知己、親戚など広島に多く、この方が気がかりと見える。広島の死者は三万から九万にふえた。負傷は十六万だった。二十五万の広島でこれだけの死傷が一時に発生したのであるから、そのときの惨状は地獄絵巻そのものであったろう。誰かその画を描き、アメリカ、イギリスなどへ贈呈してはどうかと思う。
◯今日は放送二つを聴いて、洗心させられた。一つは陸軍大臣下村大将の「陸軍軍人及び軍属に告ぐ」の平明懇切なる諭《さとし》、もう一つは頭山秀之氏の「新日本への発足」という話で、日本の負けたのは敗
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