め、交戦中なり」とラジオ放送が伝えた。
 ああ久しいかな懸案状態の日ソ関係、遂に此処に至る。それと知って、私は五分ばかり頭がふらついた。もうこれ以上の悪事態は起こり得ない。これはいよいよぼやぼやしていられないぞという緊張感がしめつける。
 この大国難に最も御苦しみなされているのは、天皇陛下であらせられるだろう。
 果して負けるか? 負けないか?
 わが家族よ!
 一家の長として、お前たちの生命を保護するの大任をこれまで長く且ついろいろと苦しみながら遂行して来たが、今やお前たちに対する安全保証の任を抛棄するの已《や》むなきに至った。
 おん身らは、死生を超越せねばならなくなったのだ。だが感傷的になるまい。お互いに……。
 われら斃《たお》れた後に、日本亡ぶか、興るか、その何れかに決まるであろうが、興れば本懐この上なし、たとえ亡ぶともわが日本民族の紀元二千六百五年の潔ぎよき最期は後世誰かが取上げてくれるであろうし、そして、それがまた日本民族の再起復興となり、われら幽界に浮沈せる者を清らかにして安らかな祠《ほこら》に迎えてくれる事になるかもしれないのである。
 此の期に至って、後世人に嗤《わら》わるるような見ぐるしき最期は遂げまい。
 わが祖先の諸霊よ! われらの上に来りて倶《とも》に戦い、共に衛《まも》り給え。われら一家七名の者に、無限不尽の力を与え給わんことを!
◯夕刻七時のニュース放送。「ソ連モロトフ人民委員は昨夜モスクワ駐在の佐藤大使に対し、ソ連は九日より対日戦闘状態に入る旨の伝達方を要請した」由。事はかくして決したのである。
 これに対し、わが大本営は、交戦状態に入りしを伝うるのみにて、寂《せき》として声なしというか、静かなる事林の如しというか……
 とにかく最悪の事態は遂に来たのである。これも運命であろう。二千六百年つづいた大日本帝国の首都東京が、敵を四囲より迎えて、いかに勇戦して果てるか、それを少なくとも途中迄、われらこの目で見られるのである。
 最後の御奉公を致さん。
  今日よりは かえり見なくて
   大君の 醜《しこ》の御楯《みたて》と
  出で立つ われらは
◯暢彦が英に聞いている。
「なぜソ連は日本に戦争をしかけて来たの?」
 彼らには不可解なことであろう。
 ふびんであるが、致し方なし。

 八月十日
◯今朝の新聞に、去る八月六日広島市に投弾された新型爆弾に関する米大統領トルーマンの演説が出ている。それによると右の爆弾は「原子爆弾」だという事である。
 あの破壊力と、あの熱線輻射とから推察して、私は多分それに近いものか、または原子爆弾の第一号であると思っていた。
 降伏を選ぶか、それとも死を選ぶか? とトルーマンは述べているが、原子爆弾の成功は、単に日本民族の殲滅《せんめつ》にとどまらず、全世界人類、否、今後に生を得る者までも、この禍に破壊しつくされる虞《おそ》れがある。この原子爆弾は、今後益々改良され強化される事であろう。その効力は益々著しくなる事であろう。
 戦争は終結だ。
 ソ連がこの原子爆弾の前に、対日態度を決定したのも、うなずかれる。
 これまでに書かれた空想科学小説などに、原子爆弾の発明に成功した国が世界を制覇するであろうと書かれているが、まさに今日、そのような夢物語が登場しつつあるのである。
 ソ連といえども、これに対抗して早急に同様の原子爆弾の創製に成功するか、またはその防禦手段を発見し得ざるかぎり、対米発言力は急速に低下し、究極に於いて日本と同じ地位にまで転落するであろう。
 原子爆弾創製の成功は、かくしてすべてを決定し、その影響は絶対である。
 各国共に、早くからその完成を夢みて、狂奔、競争をやってきたのだが、遂にアメリカが第一着となったわけだ。
 日本はここでも立ち遅れと、未熟と、敗北とを喫したわけだが、仁科[#芳雄。原子核の研究に取り組み、理化学研究所に日本初のサイクロトロンを建設した物理学者]博士の心境如何? またわが科学技術陣の感慨如何?

 八月十一日
◯海作班[#海軍報道班文学挺身隊]第三準備会にて我家に集合。倉光(俊夫)、間宮(茂輔)、角田(喜久雄)、湊(邦三)、村上(元三)、鹿島(孝二)、摂津(茂和)、小生の八名集まる。
 今日は宿題を検討する予定なりしが、それよりもソ連の参戦、原子爆弾のことの方が重大となったので、このことを検討す。
「天皇に帰一し奉れ」という湊君の説、「生きぬいて作家として新しき日本を作る基礎をつくれ」という間宮君の説、いずれもまじめで真剣。
「全員戦死だ」と最後に倉光君が口を開く。「時と所を異にして……」。一同感慨無量。
◯夜半、盛んに起される。最後に侵入の一機も、原子爆弾を抱いてくるかもしれぬとて「とくに警戒を要す」と放送がある。しかし何事もなく
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