が大きく動悸《どうき》をうって今にも破裂しそうになった。――聞いたような声だ。あれは誰かの声に似ている。
「もうちょっとお待ちになっていて下さい」
タクマ少年が返事をした。
「いやよ。もうこれ以上待っていられないわ。あたし、そっちのお部屋へ、自分ではいっていきますわ」
女の声と共に、その扉がしずかに、こっちへ向って開きだした。
「さあ、今こそ君の妻君に会ってやるんだ」
カビ博士が、僕の背中をどんとついた。
「ま、まあ待ってくれ――」
僕は困った。全身が火に包まれたようになった。心臓は機関車のボイラーのように圧力をたかめた――扉はしずかに開かれる。あ、見えた、若い女の頭髪が! 若い女の腕が!
「うーむ」
その瞬間、僕は呻《うな》り声と共に昏倒《こんとう》した。意識は濁ってしまった。一切の色彩も光も形も消えた……。
暗黒の空間に、流星《りゅうせい》のようなものがしきりにとぶ。
「おい、本間君。こっちへ出て来いよ」
「……」
「おい。こっちへ出て来いといったら。そこに腰をかけていても、もう何にも見えやしないよ。この器械は、もうこわれてしまったんだから……」
「えっ、こわれた?」
僕は、やっと正気にもどつた。あたりを見まわすと、そこには鉄のような壁があるばかり。けんらんたる海底都市の市庁ホールもなければ、タクマ少年の姿も、僕の妻君だという女も、カビ博士も――いや、小さいひねくれたカビ博士である辻ヶ谷少年が、入口からこちらをのぞきこんで、しきりにさいそくのことばをつらねている。
「今日はもう遅いから、早く帰らないと、途中があぶないんだ。さかんに強盗《ごうとう》が出るというからねえ」
「強盗? 強盗てえ何かねえ」
「なにをいっているんだ、おい本間君。早くこっちへ出ろよ。このタイム・マシーンは故障になったといっているじゃないか」
「えっ、このタイム・マシーンが故障に。なぜ故障なんかにしたのか」
「えらそうな口をきくね。なぜ故障になったか、僕は知らないよ」
「お願いだ、辻ヶ谷君。どうかもう一度、海底都市へ送ってくれたまえ。頼む。頼む」
僕は辻ヶ谷君に合掌《がっしょう》した。
「だめだよ、僕を拝《おが》んでも……。停電になると厄介《やっかい》だ。さあさあ、早くこの地下室から出よう」
辻ヶ谷は、中へはいって来て、僕の手をとって引立てた。
「どうしてもだめか。もう一度だけでいいから海底都市へ行かせてくれ。あと、一ヶ月向うで生活させてくれれば、君にうんと御礼をするが――」
「よせよ。そんな気が変になるみたいな話は。それよりも、どこかで、一本十円の闇屋《やみや》の飴《あめ》をおごってくれよ。その方がありがたい」
「だめだなあ、君は。もう一ヶ月僕を海底都市に居らしめば、僕は偉大な事業を完成し、そして君を市長に選挙して!」
「よせ、よせ。いつまで夢の中の寝言みたいなことを喋《しゃべ》りつづけているんだ。ほら、足許《あしもと》に大きな石っころがあるよ」
僕は、辻ヶ谷君に引立てられてタイム・マシーンの地下室から出て焼野原《やけのはら》に立った。
もうすっかり夜になっていた。西空にうっすらと三日月《みかづき》が、はりついていた。こわれた瓦《かわら》の山を踏みしめながら、僕たちは、焼け残りの町の方へ歩いていった。
僕は、だんだんと興奮からさめそれにかわって疲労がやって来た。それでとうとう辻ヶ谷君におぶさって寮へはいった。
すっかり疲れてしまって、今は何を考える余裕《よゆう》もない。カビ博士が最後に僕にいった「深い事情」の謎も、気にはなるが、まだ解いてはいない。
しかしふと気がついたのは、僕の寿命《じゅみょう》は、あの婦人が僕に会いに来るすこし以前に終ったのではなかろうか。しかもそれはあの海底都市ではなく、他の場所で終焉《しゅうえん》を迎えたのではなかろうか。それをカビ博士は知っているが、僕の妻君は、まだそれに気がついていないという場合ではないのだろうか。
いずれ疲労がなおったら、このことを筋道だてて考えてみるつもりである。ともかく今は休養のひと眠りが僕に必要なのだ。
底本:「海野十三全集 第13巻 少年探偵長」三一書房
1992(平成4)年2月29日初版発行
入力:tatsuki
校正:松永正敏
2001年7月17日公開
2006年7月24日修正
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