分がいやになった。
 カビ博士の講義がすむと、こんどは男女学生が、僕のからだをいじりまわした。それは直接手でいじるのではなく、ぴかぴか光った長い消息子《しょうそくし》のようなものを、透明碗の外から中へつきたて、その先についている五本指の触手《しょくしゅ》みたいなものによって、僕のからだをいじるのであった。僕には、いくら圧《お》しても鋼鉄の壁のように硬くて動かない透明碗の壁を、学生たちが消息子を手にとって壁につきさすとかんたんにぷすりとそれをつきとおしてしまうのであった。なんの力を利用したのか、すごい力だ。しかし消息子の先についている触手《しょくしゅ》は、手ざわりのよいやわらかいものであったから、こっちのからだは痛みはしなかったが、そのかわりみんなが無遠慮《ぶえんりょ》に十何本もの消息子でもって僕の腋《わき》の下でも咽喉《のど》でも足の裏でもお構いなしにさわるので、くすぐったくてやりきれなかった。
 その間に、僕に話しかけてくる学生もいた。僕はやりきれなくていい加減《かげん》な返事をしてお茶を濁《にご》した。全くやりきれない。この世界に停《とどま》っていたいがために、こんな苦痛をこらえているわけであるが、ずいぶん、がまんがなりかねる。
「博士。標本人間の肌の色が変って来ましたですよ。足なんか長くなりました」
 よく喋《しゃべ》りまわっている一人の女学生が、カビ博士の胸を叩いて注意をした。
 博士は眉をあげて僕の方を見た。
「ははあ、なるほど。磁界《じかい》がよわくなったらしい。君、ダリア嬢。あの配電盤の黄いろの3という計器の針を18[#「18」は縦中横]のところまであげてくれたまえ。そうだとも、もちろんその計器の調整器《ちょうせいき》のハンドルをまわしてだ」
 ダリヤ嬢とよばれた猿の生まれかわりみたいな顔のお喋《しゃべ》り姫は、博士に命ぜられると、すぐ配電盤のところへ行って、そのとおりにした。
 すると僕は気分が急に悪くなった。見ると自分の足が小さく縮《ちじ》んでいく。肌色がわるくなる。――どうやら僕はある器械が出している磁場《じば》の中にいるらしく、そして今しがたその場の強さがよわくなったので、僕のからだは二十年後の世界の方へ滑《すべ》り出《だ》したものらしい。それを今ダリヤ嬢が場の強さをつよくして元へ戻したものらしかった。
 とにかく妙な仕掛を使っているらしい。それはそのあたりに並んでいる装置《そうち》のうちのどれからしいが、時間器械と同様な働きをするものらしい。
 いや、それはそのとおりであることが、後になって学生と博士との会話によって知れた。僕はそれを知って、むしろ安堵《あんど》の胸をさすった。カビ博士の器械によって、一時僕が二十年前に戻されているのは我慢できる。なぜなら待っていれば、博士はこの海底都市の世界へ私を戻してくれることは間違いないからである。しかし、もしかの学友辻ヶ谷君の手によって、二十年前の焼跡へ戻されたなら、これは僕の楽しみにしている時間旅行がここで中絶してしまうことを意味する。――どうぞ“辻ヶ谷君よ。僕のことは忘れて、僕が満足するまでどうぞ僕を二十年後の海底都市で生活させてもらいたい。このことを君に確実に通信できないので、実は僕はいつでもびくびくしているのだよ”
 標本勤務は一時間で終った。そこで僕は元のはねあがった髭《ひげ》の大人の姿へかえされ、服も着た。僕はようやく安心した。博士は僕を透明碗から外へ出してくれた。
「本間君。どうじゃったね。標本勤務は、あんがい楽なものだろう」
 博士は、今までになく機嫌《きげん》のいい調子で、僕に話しかけた。
「いやいや、僕はうんと疲《つか》れましたよ」
「それはあとで食事をすれば、たちまち直るから心配ない」
「そうですかね……それにあの学生さんたちが無遠慮《ぶえんりょ》に僕のからだをいじりまわすので閉口《へいこう》しました」
「おいおい慣《な》れれば、大した苦痛じゃなくなるよ。なにしろ学生たちは君に対して異常な興味をもっている。だから君は今後ますます大切に扱《あつか》われるだろう」
「そんなに彼等は興味を持っていますかね」
 そのことが災難の火の元だとは知らずに、僕はむしろ得意になって聞きかえした。


   五頭《ごとう》パイプ


 カビ博士の顔の下半分は黒い毛でうずもれている。その毛むくじゃらの草原のまん中が、ぽっかりあくと、赤いものが髭越《ひげご》しに見える。それは博士の口の中の色である。この赤いきんちゃくのような口は、ひろがったりすぼまったりして、よく動く。そして髭の中から博士のがらがら声がとび出して来るのである。
 博士は、僕との対談のうちに、安全|剃刀《かみそり》の柄《え》をくわえた――と見えたが、それから煙が出てくるところを見ると、それは安全剃刀で
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