よし、撃て――といえ)
 というサインだ。鯛地は豪胆《ごうたん》にも尚も柳ちどりを電話機に釘止《くぎど》めにして置こうと努力した。
「柳ちどりさんに、いいものを進呈――」
 撃て、――という命令は、屋根裏の同志の耳に達して、スワと機関銃の引金を引いた。
 どどどどどどどど、どどどどどどどッ!
 霰《あられ》のような銃丸《じゅうがん》が、真白な煙りをあげて、向いの窓へ――
 柳ちどりは、声を立てる遑《いとま》もなく全身を蜂《はち》の巣《す》のように撃ち抜かれ、崩《くず》れるように電話機の下にパタリと倒れた。
「命中したぞォ」
 それが同志への最後の報告だった。
 次の瞬間に、屋根裏の機関銃手も公衆電話室甲乙の黄外套《きがいとう》も、それから又、同志帆立も、飛鳥《ひちょう》の如く現場から逃げ去った。
 恐ろしい暗殺状況《あんさつじょうきょう》だった。


     10[#「10」は縦中横]


 落ち着かぬ心を、客席に強いて落ち着かせようと努力しているQX30[#「30」は縦中横]の笹枝弦吾だった。
 どどどどどどッ。
 がたーン。
 という異様な物音を余所《よそ》ながら聞いた。
(ウッ、やったな)
 第五景「山賊邸展望台」の幕はスルスルと下《お》りた。
 舞台裏には異様《いよう》な混乱が起っているようだった。
 観客は何事とも知らぬながら、少しずつざわめいてきた。
 緞帳《どんちょう》が大きく揺れて、座長の丸木花作が、鬘《かつら》だけ外《はず》した舞台姿のままで現れた。
「皆さん。お静かに願い上げます。唯今《ただいま》女優が一人、急病で亡《な》くなりました。しかしもう事は済みましたから、御安心の上、お仕舞《しまい》までごゆるりと御見物願います。では直ちに第六景、『奈良井遊廓』の幕をあげます」
 うわーッと何も知らない観客は拍手した。
 座長が引込むと、緞帳は別に何事もなかったかのように、スルスルと上へ昇っていった。そして賑《にぎや》かな囃《はやし》の音につれて、シャン、シャンと鳴る金棒《かなぼう》の音、上手《かみて》から花車《だし》が押し出してきたかのように、花魁道中《おいらんどうちゅう》が練《ね》り出《だ》してきた。
 提灯持《ちょうちんも》ちが二人、金棒引《かなぼうひき》が二人、続いて可愛らしい禿《かむろ》が……。
「呀《あ》ッ」
 と大声で叫んだのは、客席のQX30[#「30」は縦中横]の弦吾《げんご》だった。
 見よ、確かに死んだ筈の義眼の副司令が、真紅な禿《かむろ》の衣裳を着て、行列の中を歩いているのだ。これが驚かずにいられようか。
「シ、しまった!」
 と気がついたときは、もう既に遅かった。隣席の五十坂を越したと思う男が、年齢《とし》の割には素晴らしい強力《ごうりき》で、弦吾の利腕《ききうで》をムズと押えた。
「話は判っている筈《はず》だ。さア静かに向うへ来給え」
 その一語で、すべては終った。魚眼《ぎょがん》レンズを透《とお》した写真を調べてみるまでもなく、大声をあげたりして、もう明瞭《めいりょう》な失敗をしたQX30[#「30」は縦中横]だった。もう再度《さいど》、生きて此のレビュー館は出られなくなった。
 万事《ばんじ》休《きゅう》す!
     *
 義眼の副司令の女を、柳ちどり[#「柳ちどり」に丸傍点]と思っていたのは笹枝弦吾の惜《お》しい誤解《ごかい》だった。柳ちどりは確かに機関銃で殺された踊り子だった。この柳ちどりは、第五景に出る段になって、急に烈しい頭痛に襲われたのだった。出場は迫《せま》るし、遂《つい》に已《や》むなく副司令が柳ちどりに代って出たわけだった。そこで彼女は柳ちどりと間違えられるようなことになった。次の第六景、「奈良井遊廓」の場で正しい持役《もちやく》で出演したわけだった。柳ちどり[#「柳ちどり」に丸傍点]でなければもう海原真帆子[#「海原真帆子」に丸傍点]に決っている。皆さんは其《そ》の名前が、「禿《かむろ》」という役割の下にあるのを既に御存知《ごぞんじ》の筈《はず》である。
 海原真帆子《かいばらまほこ》こそ幸運なる副司令の芸名だった!



底本:「海野十三全集 第2巻 俘囚」三一書房
   1991(平成3)年2月28日第1版第1刷発行
初出:「日曜報知」報知新聞社
   1932(昭和7)年11月12日号
※「茶店娘《ちゃみせむすめ》」は底本のプログラムでは「薬屋娘」ですが、底本通りとしました。
入力:土屋隆
校正:田中哲郎
2005年5月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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