理的な落としものであることが証明される筈であった。ともあれ、そういう条件下の出来事だとすると、これはうまくゆけば、やがてミチミが法廷に裁かれても、死一等を減ぜられることになろうと思った。それはこの際のせめてもの悦《よろこ》びであった。
しかし人間の世界を高き雲の上の国から見給う神の思召《おぼしめし》はどうあったのであろうか。神はミチミが法廷に送られる前に、天国へ召したもうた。
実はあれだけ立派な証拠を残して来た犯罪事件ではあったが、震災直後の手配不備のせいであったか、それから一月経っても、二月経っても、司直はミチミたちを安穏《あんおん》に放置しておいた。しかし初冬が訪れると間もなくミチミは仮初《かりそめ》の風邪から急性の肺炎に侵されるところとなり、それは一度快方に赴いて暫く杜を悦ばせた。けれども年が明けるとともにまた容態が悪化し、遂に陽春四月に入ると全く危篤の状態に陥った。ミチミが他界したのは四月十三日のことであった。
折から桜花は故郷の山に野に爛漫《らんまん》と咲き乱れていた。どこからか懶《ものう》い梵鐘《ぼんしょう》の音が流れてくる花の夕暮、ミチミは杜に手を取られて、静かに呼吸《いき》をひきとった。
杜はミチミの亡骸《なきがら》をただひとりで清めた、それから白いかたびらを着せてみたが、いかにも寒々として可哀想であったので箪笥の引出を開いて、生前ミチミが好んでいた燃えるような緋《ひ》ぢりめんの長襦袢に着かえさせた。そして静かにミチミの亡骸を、寝棺《ねかん》のなかに入れてやったのであった。
ミチミの蝋細工のような白い面《かお》を見ていると、杜は不図《ふと》思いついて、彼女の鏡台を棺の脇に搬《はこ》んできた。そして一世一代の腕をふるって、ミチミの死顔にお化粧をしてやった。
白蝋の面《かお》の上に、香りの高い白粉《おしろい》がのべられ、その上に淡紅色《ときいろ》の粉白粉を、彼女の両頬に円《つぶ》らな瞼《まぶた》の上に、しずかに摺《す》りこんだ。そして最後に、ミチミの愛用していたルージュをなめて、彼女のつつましやかな上下の唇に濃く塗りこんだ。
ミチミはいきいきと生きかえったように見えた。真赤な長襦袢と、死化粧うるわしい顔《かんばせ》とが互に照り映えて、それは寝棺のなかに横たわるとはいえ、まるで人形の花嫁のようであった。ミチミは寝棺のなかに入って、これから旅立つ華やかなお嫁入りを悦ぶものの如く、口辺に薄笑《うすえみ》さえ湛《たた》えているのであった。
杜は惚れ惚れと、棺桶の花嫁をいつまでも飽かず眺めていた。――
この静かな家の中の出来ごとを、村の人々がハッキリ知ったのは、次の日の昼下りのことであった。杜は自ら梁《はり》の下に縊《くび》れていた。
人々の騒ぎを他処《よそ》にして、床の間の大きな花瓶に活けてあった桜の花が、一ひら二ひら静かに下に散った。
底本:「海野十三全集 第4巻 十八時の音楽浴」三一書房
1989(平成元)年7月15日第1版第1刷発行
初出:「ぷろふいる」
1937(昭和12)年1〜3月
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年12月8日作成
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