ろつこうと、真昼のビル街を掠《かす》めようと問題ではない。そうでしょうが……」
「いや、おかしいよ。鞄は必ずしも空中を泳いでばかりはいない。神妙に下に落着いていることもある」
「そんなことは仕掛の工合《ぐあい》でどうにでもなりますよ。たとえぼ、鞄の把柄を手に持って鞄を下げているときには、スイッチが外《はず》れるようになっていて異変《いへん》は起らない。しかし把柄が握られていないときはスイッチが入って、鞄は例の素因《そいん》により万有引力に勝《まさ》って浮きあがる――つまり鞄とその中身との重さが一枚の羽毛ほどの重さに変わってしまう。そういうわけでしょうな」
「実際に出来るのかね、そんな仕掛が……」
「発明が出来れば、あとは仕掛を作ることなんか極《きわ》めて容易《ようい》ですよ」
「ふうん、そんな鞄がどんどん現れて管下一円《かんかいちえん》を脅《おびやか》すことになれば、わし達は鞄狩りに手一杯となり、他の仕事が出来なくなるだろう。とにかく怪談にせよ引力にせよ、一大事件だ。早いところその核心《かくしん》を摘出《てきしゅつ》して、犯人を検挙せにゃいかん」
「犯人というほどのものじゃないでしょうに。それに赤見沢博士は今も人事不省《じんじふせい》を続けていて、何一つ出来ない」
「わしは赤見沢が真実不能者かどうか、厳重に監視をしている。序《ついで》に、あの女も小使夫婦も見張っている。赤見沢たちの犯行は、例の臼井という若僧や前知事の目賀野が出て来れば分ると思うんだが、どういうわけか彼等は姿を見せん。それはなぜだろうか、どうも分らない」
「その臼井氏や目賀野氏の行方こそ、即急《そっきゅう》に突きとめなければならないですね。それから、鞄は一日も早く取り押えなければならない。それと例の仔猫です。あの仔猫はどうなったか、あれはぜひ突き留めなければならないですね」
「はあ、仔猫か。あんなものは大したことはあるまい」
「いや、そうじゃないですよ。あれこそ最も重視すべきものだ」
「もうそろそろ本格的に化《ば》け猫になる頃だという意味かね」
「あの助手女史が保管していないでしょうか」
「あっ、そうか。よし、白状させてみる。不都合な奴だ」
名探偵ノート
その夜、田鍋課長と部下二名は、帆村荘六を交《まじ》えて、ひそかに赤見沢博士の研究所を指《さ》して出発した。このことは絶対に秘密裡《ひみつり》に行われた。捜査課長ともあろうものが、私立探偵の手を借りたなどという風評《ふうひょう》がたっては、田鍋警視は甚《はなは》だ困るのであった。
もっとも課長は、今夜の行動を、役所の用事とはしないで、お化け鞄と猫又《ねこまた》に興味を持つ帆村荘六を援助するための特別行動である――と、彼の部下二名に説明してあった。
帆村は、お化け鞄については、前章に述べたような見解を持《じ》していた。しかし彼は、この鞄の素性《すじょう》についてまだ突き留めていないことは、田鍋課長の場合と同じだった。
だが彼が、この事件に異常な興味を持って、解決に一生懸命の努力を払っていることは誰の目にも明白であり、従ってそのお化け鞄についての考察については、誰よりも深いものがあり、そのことを田鍋課長もはっきり認めていたればこそ、こうして帆村荘六のうしろについて行く気にもなったのである。正直な話が、課長としては、このお化け鞄事件ぐらいやりにくい事件は、本庁に奉職以来に一度も先例のないものだった。
今夜の行動は、帆村の示唆《しさ》するところに従って、田鍋課長が蹶起《けっき》したという形になっていたが、実のところ課長としては何等自信のあることではなかった。行きあたりばったりに何か掴《つか》めるかもしれない、とにかく助手の小山すみれを絞《しぼ》ってみれば何か出て来やしないか――ぐらいの予想しか持っていなかった。
これに対して帆村荘六の方は、ずっと確《たし》かな筋として、今夜の行動を割り出しているのだった。すなわち帆村の考察によれば、まず第一に、お化け鞄の誕生は赤見沢博士の研究所に違いないから、どうしてもそこをもっと詳しく調べる必要がある。誠《まこと》に彼はその研究所へ一度も足を踏み入れたことがないのであるから、今夜はぜひ入って調べてみたい。
第二に、あのお化け鞄の製作を注文したのは元知事の目賀野であることは、臼井の話から想像がつくが、目賀野は一体その鞄をどんな目的に使用するつもりであったか、そのことは注文主として当然赤見沢博士に語ったことであろうし、従ってその製作の助手をつとめた小山すみれ女史にも全部又は一部が通じられている筈である。一体その目的は何であるか。それが分ればこの事件の解決はずっと早くなろう。また、それが分れば、或いはこの事件は更に重大なる特性を曝露《ばくろ》して前代未聞《ぜんだい
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