かに金属と思われるもので作られたかたい鎧《よろい》で、全身を包んでいたのだ。
 しかしその姿は、じつにふしぎな、そしてめずらしいものであった。それを見つけた人々は、なんとかしてその死骸の姿に似たようなものを、これまでに見た雑誌の写真や、映画などから思い出そうとしたが、だめであった。まったく今までに、それに似かよったものが見あたらないのだ。
 だが、それが一つの死骸であることだけはわかった。首もあるし、胴も手足もあったから……。眼もちゃんと二つあるし、鼻もあった。口もあり、耳もあった。たしかに人間の持っている顔の道具はそろっていた。
 こういう風《ふう》にのべると、あたりまえの人間と、あまりかわらないように聞えるが、さてもっとくわしく全身を見て行くと、これもふしぎ、あれもへんだと、次々に奇妙なことが発見されるのであった。
 まずその死骸の色であるが、前にものべたとおり、たしかに金属で作ったと思われるかたい鎧で全身を包んでいたが、その色は、目のさめるような緑色であった。毎年五月になると、木々のこずえには若葉がしげり、それが太陽の光をうけてあざやかな緑色にかがやくが、あの若葉のような緑色であった。
 緑色の金属――そんなものは、あまり見かけたことがない。私たちの知っている金属といえば、たいてい銀色に光っているとか、さびて黒くなっているとか、朱色になっているのがふつうであった。この緑色の金属は、いったい何という金属であろうか。
 死骸のこの緑色にひきつけられて、じっと見つめていた人々は、やがてなんとなく嘔《は》き気をもよおしてきた。熱帯にすむ青いとかげのことを思い出したからであろう。
 しかし何よりも人々にふしぎな思いをいだかせたのは、その死骸の顔であった。顔というよりも、ふしぎな首といった方がよいかもしれない。
 三本の角《つの》が、頭の上に生《は》えていた。二本なら牛や鬼と同じであるが、それよりももう一本多い。そしてその角は前の方に二本生えていて、もう一本はすこし後にあった。後の角は半分ばかり土の中にめりこんでいた。
 その角が、牛の角や鬼の角とはちがい、奇妙な形をしていた。太鼓《たいこ》をうつ撥《ばち》という棒がある。その撥には、いろいろな種類があるが、棒のさきに丸い玉のついた撥があるのをごぞんじであろう。死骸の角は、じつにその撥のような形をしていて、角の先に丸い玉が
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