るって、ああ、これか」
 右の肱掛《ひじかけ》の少し上にスイッチがあった。それをひねれというのだ。
 僕はスイッチをぽつんと右へひねった。
 すると急に頭がじいんと痛くなった。そして胸がむかむかしてきた。これはいかんと思って、ポケットから手巾《ハンカチ》を出そうとすると、これはどういうわけか手に力がはいらない。
(失敗《しま》った……)
 と身を起そうとしたが、それも駄目であった。目の前が急に真暗になったと思うと、ぴかぴかと星のようなものが光った。それっきり後のことは憶えていない。
 どこをどう引張り廻されたのか知らない。何時間だか、何十時間だか、それとも何日間だか知らないが、とにかく相当時間が経過したあとで、ぼくは気がついた。
 僕は温い部屋の長椅子の上に長々と寝ていた。
「おや、ここは一体どこだろう」
 僕は長椅子の上に起き上った。頭を振っていると芯《しん》がまだすこし痛む。あたりを見廻す。いやに真四角な部屋だ。正六面体の部屋だ。中の調度は、小さな客間といった感じで、出入口のついている壁を除く他の三方の壁には長椅子が押しつけてあり前に細長い卓子《テーブル》が置いてある。出入口のついている壁には、大きな鏡のついた戸棚がとりつけてある。天井には、グローブ式電灯が嵌《は》め込んである。ちと無風流な部屋だ。そして一体ここは何処だか、僕の記憶にないところだ。
「目が覚《さ》めたようですね」
 いきなり話しかけられた。
「えっ」
 僕はびっくりして、声のした戸口の方をふりかえった。
 だが、そこには誰も立っていなかった。扉《ドア》はしまったままだし、鏡付の戸棚が冷く並んでいるばかりだった。
「そんなに愕《おどろ》くことはありません。私はリーマンですよ」
 姿なき者はそういった。なるほどリーマン博士の声音《こわね》にちがいなかった。僕はぎくりとしたが、同時に腹が立った。
「リーマン博士。この仕打は、あまり感心できませんね。僕に一言のことわりもなく、知覚を奪ってこんな牢獄へ引張り込むなんて……」
 僕はわざと牢獄という言葉を使った。例の箱型自動車十三号の中で僕は電灯のスイッチをひねると共に昏倒《こんとう》したことを、このときになって思い出したのだった。
「岸君。どうぞ何事も善意に解釈してください。お約束どおり、午前二時、Z九号飛行場を自動車が動き出したときに、貴方は今回の超冒険旅行の途《と》についたわけです。それからこっちは、艇長たる私が、貴方の身体も生命も共に預ったのです。極秘の旅行ですから、ちょっと睡《ねむ》って貰ったのです。もう大丈夫ですから安心してください。貴方は無事本艇の中に収容を終りました。しばらくそこで休息していてください。そのうちに、貴方の気が落付くように、誰かをそこへ迎えに行って貰います」
 博士は淀《よど》みなく陳《の》べたてた。
 箱型自動車の中で、僕は自らスイッチをひねって、麻睡瓦斯《ますいガス》を放ったことが朧気《おぼろげ》ながら確認された。博士のいう極秘の旅行だからやむを得ないことだったろうが、なんだか小馬鹿にされたようで、いい気持ではなかった。そして僕はまんまと「本艇」の中に収容されてしまったのである。
「本艇といいましたね。すると僕の今居るところは、船室なんですか」
 僕はそれを訊《たず》ねざるを得なかった。
「船室? そうですねえ、船室といってもいいでしょうね」
 博士の声は、この部屋のどこかに取付けてある拡声器《かくせいき》から流れ出てくるようだ。目の前にある戸棚のどこかに仕掛があるらしい。
「すると目的地はどこですか。もう艇内に落付いた以上、それを明かにしてくれてもいいでしょう」
 僕は、遠慮を捨てて、正面からぶつかっていった。
「まあ待ってください。いずれおいおい分って来ますから、しばらくそのことは……」
「博士。僕は報道員ですぞ。真相は一刻も早く知っていなければなりません」
「それは分っています。しかし私は貴方の健康を案ずるが故に、もう少し待って貰います」
「健康を案ずるとは何故です。僕は病人ではありませんよ。このとおり健康です。博士がいわなければ、こっちからいいましょう。われわれは、ドイツを脱出してはるばる日本へ赴《おもむ》くのでしょう。どうです、当ったでしょう」
 僕は博士の返事を待った。だが博士はそれに応《こた》えなかった。いや、博士がそのことについて返事を拒《こば》んだだけではない。その後僕がいくら喚《わめ》いてみても、博士の声は遂に戸棚からとびだしてこなかった。博士が送話器のスイッチを切ったことは確実だった。
 僕は、囚人に成り下ったような気がした。


   驚愕


 正六面体の部屋の中に幽閉された僕は、それから二時間あまりを、地獄の生活とはこんなものかと思う程のなさけない気持でもっ
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