り上げました。
彼がそれから簡単に僕に送って来た信号の文句は僕を一層驚かせました。彼は祖国の危険を報ずることが出来て大変嬉しいこと、尚これから先も敵国人の行動を報告すべき一層重大なる責任を負っていることを一寸語りました。それから彼は、やや送信の手を躊躇させたようでしたが軈《やが》て思い切ったように明瞭に打ち出しました。
「僕は最早死を覚悟している。僕は此処三四日の内に殺されるそうだ。実はさきほど敵国人の一人が秘《ひそ》かに僕に告白したので判った次第である。
君は敵国人が秘かに僕に告白したことを不思議に思うだろう。その敵国人というのは実は妙齢《みょうれい》の婦人であって、多分御察しのとおり此の恐ろしい団体に加わっている人の妻君である。彼女は夫について到頭《とうとう》こんなところに来てしまった。彼女は僕達に三度の食事を搬ぶ役目を持っている。僕は彼女を一目見たときに何処かで見たような女だと思った。
話してみると判った。彼女は僕が会社で自分の配下につかっていた助手の妹で、彼が肋膜《ろくまく》を患《わずら》って寝たとき、欠勤《けっきん》の断りに僕を訪ねて来たことがあった。
悧巧《りこう》な君は、それから先、僕等二人がどんな気持に落ちて行ったかを察することが出来るだろう。実は彼女と魂をより添《そ》わせるようになってから今日が二日目である。彼女は既に人妻である。僕等の恋は不倫《ふりん》であるかも知れない。それは恥《はず》かしい。が恋の力はそんな観念を飛び越えさせてしまった。彼女は僕に脱走をすすめる。しかし、僕は敵国人の行動を報告すべき重大任務を有するし、又|迚《とて》も脱走が成功するとは思わない。今は少しでも彼女と魂を相《あい》倚《よ》せて、未来の結縁《けちえん》を祈るばかりだ。
君よ。僕の情念《じょうねん》を察して呉れ給《たま》え。しかし僕は自分の任務をおろそかにはしない。この苦しき恋を育《はぐく》んだ日《ひ》の本《もと》の国を愛するが故に……」
これを受けた僕の頭脳の中は、何がなんだか妙な気持に捉《とら》われました。僕等の受信が終ったのを見届けると将校達は二人の兵士を残して僕の室を辞去しました。その二人の兵士は直ぐ様、僕の下宿の門に歩哨に立ちました。
翌日早朝僕は憲兵隊へ呼ばれて終日くどくどした訊問を受けねばなりませんでした。その夜は隊へ宿泊《しゅくはく》を余儀なくされ、其の翌日僕はやっと帰宅を許されました。セントー・ハヤオの事が気がかりで飛ぶように下宿の門をくぐりました。僕の室に入ってみますと、下宿の内儀《おかみ》が普段大事にしている座蒲団が五枚も片隅にうず高く積み重ねられているのを発見した時、僕は万事を直感してしまった。内儀に訊《ただ》すと果《はた》せるかな、僕が前日憲兵隊に引留《ひきと》められている間、数名の将校が僕の室を占領し、昨夜は一同眠りもやらず徹夜し、今朝がたになってやっと引上げて行ったとの事でした。僕は不愉快でたまりませぬ。しかしセントー・ハヤオのことが一層気にかかるので大急ぎで短波長の送受信機の前に座って受話器を耳に当てたり、送信機の電鍵を叩いたりしましたが、機械はたしかによく作働しているのにも拘《かかわ》らず、何時まで経ってもセントー・ハヤオの打ち出す無線電信の応答は聞こえませんでした。かくして夜《よ》に入りました。依然として何の信号も入って来ませぬ。そして空《むな》しく其の夜は明けはなれて行きました。
僕は其の日に例の将校連が来るかと不眠に充血した眼を怒らして待ちうけましたが、誰一人としてやって来ません。勿論歩哨の兵士すら居ませぬ。僕は到頭腹を立てて仕舞《しま》って、こっちから憲兵隊へ押しかけました。ところが驚いたことには、何と言っても僕を例の将校達に会わせないのです。そればかりか遂《つい》には僕をありもしない妄想に駆《か》られている人あつかいにして警官を呼ぼうなどと言うではありませぬか。僕は泪をポロポロ流し乍ら、その下宿へ引きかえさねばなりませんでした。
それからと言うものは、このことが頭にこびりついて、君も知るとおりの神経衰弱のようになって仕舞いました。しかし僕の一念は何としてもセントー・ハヤオの不思議な通信によって暴露《ばくろ》した事実をつき留めずには居られませんでした。僕はそれから約一年を辛抱《しんぼう》しました。そして夏になるのを待ち兼ねて、セントー・ハヤオが報じたN県東北部T山をK山脈へ向う中間の地点へ登攀《とうはん》しました。其処《そこ》近辺《きんぺん》を幾日も懸ってすっかり調べ上げました。背の高い雑草には蔽《おお》い隠《かく》されていましたが、彼《か》のセントーが物語ったような地形ではあり、又そぎ取ったような断崖《だんがい》もありました。
いやそればかりではありませぬ。ところどころに直径が三間もあろうと思われる穴がポカポカとあちらこちらにあいているではありませぬか。勿論穴の中には同じような青草が生え茂っていますが、此のような穴は天然に出来たとはどうしても考えられませぬ。それは恰《あたか》も空中からこの地点へ向って数多の爆弾を投下《とうか》したならば、かような大穴があくことであろうと思ったことでした。
本当は僕には、此の山の奥に訪ね登って来る迄に何もかも判っていたのです。僕の考えでは、僕の留守の室に将校達が詰めかけていた時こそは、正《まさ》に敵国人が秘密防禦要塞《ひみつぼうぎょようさい》を作っていた此の山奥の地点を、わが陸軍の飛行隊が空中から襲撃《しゅうげき》を行ったときに当るのであって、憎むべき侵略者《しんりゃくしゃ》の一団は悉《ことごと》く飛行機から打ち落す爆弾によって殺害せられたのです。而も我がセントー・ハヤオを救い出す道なく、大事のための小事《しょうじ》で、遂に尊き犠牲《ぎせい》となり、憎むべき敵国人の死骸《しがい》の間に、同じようなむごたらしい最後を遂《と》げたのでしょう。ほんとに尊い死。――彼は完全に祖国を救ったのでした。しかも彼の死たるや僕に洩したとおりとすれば彼の側には愛人の骸《なきがら》も共に相並んで横《よこたわ》ったことであろうと思われます。彼は恐らく可憐《かれん》な愛人と抱きあったまま満悦《まんえつ》の裡《うち》に瞑目《めいもく》したことでしょう。
その時、僕が掘りあてたのは、この半ば爆弾に溶かされた加減蓄電器《バリコン》であって、セントー・ハヤオが死の直前まで、電鍵をたたきつづけた其の短波長送受信機に附いていたものであるに違いありません。云々。
* * * *
亡友Y――は斯う語って、この壊れた加減蓄電器《バリコン》を私に手渡したのです。ひどい肺結核に襲われている彼の細い腕は、その時このバリコンをすらもち上げる力が無かったようでした。それもその筈です。この物語を聞いた日から三日のちにY――の容態《ようたい》は急変して遂に白玉楼中《はくぎょくろうちゅう》の人となってしまったのでした。
さて私の永話《ながばなし》はこれで終りますが、貴君はこのはなしが彼の言うとおり実際あったことかどうかについて御判断がつきますか。御つきになるなればそれを誰からか、はっきり判断して貰いたがっていた亡友Y――の追善《ついぜん》のために、是非貴君の御意見というのを聞かせて下さいませんか。
底本:「海野十三全集 第1巻 遺言状放送」三一書房
1990(平成2)年10月15日第1版第1刷発行
初出:「無線と実験」
1928(昭和3)年5月号
※初出時の署名は、「栗戸利休」です。
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年6月25日作成
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