のうしろにいる相手は、何にも、返事をしなかった。何だか、へんなにおいが、ぷうんと先生の鼻をついた。奇妙なにおいであった。それは先生が、始めてかいだへんてこなにおいであった。
(ふうむ、こんなへんなにおいを出すからには、いよいよ火星人に違いない!)
 と、先生は心の中でうなずいた。
 新田先生は、あやしい者のために両腕をうしろからおさえられ、その上目かくしまでされて、無理やりに、前へ向かって歩かせられた。
 何とかして相手の顔を見たいものだと、先生は顔をくしゃくしゃにしながら、目かくしの間にすき間を作ろうとしたが、なかなかうまくいかない。そうした先生の心をなおさらいらいらさせるかのように、例の胸がむかむかするにおいが、うしろからにおって来る。
「けしからん。なぜ、私を、こんな目にあわすのか。そのわけを、話したまえ」
 先生は、体をふりながら、見えない相手にまた呼びかけた。今度は思いきって、せい一ぱいの大声でどなった。
 相手は、あいかわらず、返事をしなかった。だが、先生がたいへん大きな声を出したので、相手もよほどおどろいたものと見え、急にうしろで、何だかわけのわからない叫び声が聞えた。
 ひゅう、ひゅう、ひゅう。
 ぷく、ぷく、ぷく、ぷく。
 彼らの叫び声はそんな風に聞えた。その叫び声のわけは、一向にわかりそうもないが、そのひゅうひゅう、ぷくぷくと言う声は、何か話をしているらしいことが、おぼろげながらわかった。これは、火星人の言葉なのであろう。
(この人間が、今大きな声を出したではないか。逃げるつもりではないか)
(逃げるかもしれない。もっときつく、おさえているんだ)
 と、言ったような言葉でもあろうかと、先生は思った。だがそれは先生の思い違いで、ほんとうは火星人はそんな、なまやさしい話をしていたのではなかった。それは、いずれだんだんとわかる。
 先生はその話声からして、自分のうしろにつきしたがっている火星人の人数が六、七人、あるいはもっと多人数であることを覚った。
 ひゅうひゅう、ぷくぷく。
 新田先生を、後からおさえつけた火星人たちは、一体何を言っているのであろう。
 しばらくすると、火星人の話は、まとまったものとみえ、新田先生は、また後からぐんぐん前に押された。
「どこまで、連れて行くつもりかなあ」
 新田先生は、少し不安になって来た。
 ひゅうひゅう、ぷくぷく。
 火星人は、おこったような声を出した。
 それから十五、六歩も歩いたところに岩があった。その岩のかげに、人間のはいれるくらいの穴があった。
 火星人は、後から、ぐんぐん押した。その穴の中へ、押込むつもりらしい。その穴の中には、一体何があるのであろうか。
「ええい、どうなることか。行くところまで行ってやれ」
 先生は、もう度胸をさだめた。そうして、火星人の意にさからうことなく、穴をくぐった。穴の中から、例のいやなにおいが、ぷうんと鼻をうった。
 中はまっ暗であった。しかし、中はあんがい広くて、人間がはいっても、頭がつかえるようなことはなかった。
 先生は、くさいにおいには閉口しながらも、一生けんめいがまんしながら、穴の奥の方まで、連れて行かれた。
 目かくしは、いつのまにか、取れてしまったようである。
 穴の中の暗さにも、だんだんなれて来たものとみえ、あたりの様子がぼんやりわかって来た。
 その時、まず先生をおどろかしたのは、いつの間にか、自分の前を歩いている異様な火星人の姿であった。穴の中は暗いので、それで安心して、火星人は、先に立って歩いているらしかった。彼らのかっこうの悪い胴体が、歩く度に重そうにゆれた。
 すると、とつぜん先生は、明かるい光の中へ押出された。
「あっ!」
 先生の目は、くらくらとした。


   30[#「30」は縦中横] 妙な申出


 穴の中で、新田先生はとつぜんまぶしい光をあびせかけられ、はっとした。
 眼がくらくらとして、頭のしんが、つうんと痛くなった。そうして、ひょろひょろと、足元があやしくなって、踏みこたえるいとまもなく、その場にどすんと尻餅をついてしまった。
(どうにでもなれ!)
 先生はもう覚悟をきめた。
 耳元では、例の通り、ひゅうひゅうぷくぷくと、火星の生物が、奇声を出しながらしきりに騒いでいた。
 しばらくして新田先生は、とつぜん呼びかけられた。
「さあ、顔を上げなさい、新田先生」
 先生はびっくりした。いきなり人間の言葉で、呼ばれたのであった。しかも自分の姓まで、知っているのだ。
 一体自分を呼んだのは誰?
 新田先生は、光の中に顔を上げた。
 目の前に一人の男が立って、先生の方を見ていた。黒い長マントを着て、つばの広い帽子をかむった長身の男だった。眼には黒いふちの大きな眼鏡をかけているのだった。
「あっ、丸木?」

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