坊をしているのが見えた。
「あっ、あぶない!」
「なに、かまうものか。向こうの方で、この車に轢かれたがっているのだから」
 怪人丸木は怒ったような口調で、このような言葉を吐くと、あっという間に自動車を、その人垣の中におどりこませた。
「ああっ!」
 千二は、もう目をあけていられなくなった。彼は、両手で自分の目をふさいだ。
 自動車の前のところへ、何かぶつかったような音を聞いた。車体はぎしぎしとこわれそうな音を立てた。
 だが、千二が、ふたたび目をあけてみると、自動車は、相かわらず、すごいスピードで町を走っていた。
「どうしたの、丸木さん」
 と千二は、とてもしんぱいになって、丸木にたずねた。
「こら、だまっていろというのに。――もうすこしだ。下りるかも知れないから、もっとわしのそばへよって来い」
「えっ」
「はやく言いつけたとおりにしろ。さもなければ、お前の命がなくなっても、わしは知らないぞ」
「いやです。ま、待って下さい」
 自動車は、その時さびしい坂道をかけあがっていた。人通はない。
 その時、自動車は、くるっと左へまがって、きり立ったような坂をのぼり始めた。その時千二は、その坂道の行手に、「危険! とまれ! このうしろは崖だ!」と書いてある立札が、立っているのを見た!
 警報によりオートバイの警官はふえ、隊をなし、怪人丸木と千二少年ののった自動車を追いかけたが、やっと追いついてその自動車の姿を見ることが出来た時には、警官たちは心臓がぎゅっとちぢまるような恐しい光景にぶつかった。
「あっ、あぶない!」
 それは、例の「危険! この先に崖がある!」の立札が立っている坂道横町へ曲ったとたんのことであった。
 見よ、その時ちょうど丸木たちの乗っている自動車は、すでに、坂をのぼりきり、つきあたりのところに立っていた柵をがあんとはねとばし、車体は腹を見せ、砲弾のごとく空中に舞上っていた。
「あっ、崖から飛出した! もう、だめだ」
 警官隊は、オートバイをそこへころがすと、一せいに飛下り、息をとめて、大椿事《だいちんじ》を見まもった。
 自動車は、そのまま右へ傾き始めたが、その時、意外なことが起った。
 それは、自動車の運転手席の左の扉がさっと開き、そこから怪人丸木の上半身が、ぬっと出て来たのだった。
「あっ、あいつ、やっぱり逃げおくれたんだな。かわいそうに、もう飛下りたって、どうもなりゃせん。どっちみち、死ぬばかりだ」
 丸木は、この時、なぜ自動車の扉をあけて上半身を乗出したのか。警官たちには、丸木が逃げおくれたものとしか思われなかった。
 空中をもがく自動車は、頭の方を下にすると、そのまま落ちていった。丸木は、まだ助るつもりか上半身を乗出して、死にものぐるいであたりを見まわしている。
「うっ、かわいそうに、見ちゃおられないなあ」
「とても、助る見込はない」
 警官たちも、ひどく同情した。
 崖から、まっさかさまに落ちていくその自動車には、千二少年も乗っているはずであった。丸木が死ぬのは、自らまねいた罰で、仕方がないとして、かわいそうなのは千二少年であった。
 警官たちは、崖のところにしがみついて、自動車がこれからどうなるかと、はらはらしながら見まもっている。
 この崖は、高さが七、八十メートルもあった。ちょうどま下は原っぱで、その向こうには、川が流れていた。川といっても、大きいどぶ川ぐらいのもので、川幅もせまく、深さもいくらでもなかった。丸木のしがみついている自動車は、どうやらこの川のうえに落ちそうに見えた。
 やがて、どうんと大きな音が聞えた。
 それは、丸木の自動車が、川のすぐそばの堤のうえに落ちて、ガソリンタンクがこわれると同時に火を発したためであった。川の中に落ちるかと思ったのに、それよりもずっと手前に落ちたのである。
「あっ、焼けるぞ、自動車が。おい皆、すぐ、あそこへいって、火を消すんだ」
 崖のところに腹ばって下を見ていた警官たちは、号令一下、すぐさま起上って、またオートバイにうち乗った。今度は下り坂で、車がすべろうとするのを、一生けんめいにブレーキをかけながら、隊伍堂々と下へ下りていった。
 あの恐しい墜落ぶり、そうしてあのはげしい火勢では、乗っていた者は、だれ一人として助るまいと思われた。
 自動車は、赤い焔と黒い煙とにつつまれて、はげしく燃えつづける。そのガソリンの煙が、大入道のようなかっこうで、だんだん背が高くのびていった。このさわぎに、駆けつけた近所の人たちも、その煙の行方をあおぎながら、
「ああ、あんなに高くなった。蟻田博士の天文台の屋根よりも、もっと高くなった」
 と言って指をさした。なるほど、その崖の上に、あの奇妙な形をした、蟻田博士の天文研究所のまるい屋根が霞んでいた。


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