通りの復興|店舗《てんぽ》もすっかり出来上り、りっぱになったので、昔のように表通りのどこからでも、源一の店が見えるというわけにはいかなかった。それに源一のみすぼらしいテント店のまわりも、みんな本建築《ほんけんちく》になってしまったので、源一の店のみすぼらしさは一そう目についた。したがって花を買ってくれるお客さんの数も、だんだん少くなった。
源一はしぶい顔をして店のまん中に、石のように動かなかった。(うちも、本建築にしたいんだが、まだお金がそんなに溜《たま》っていない。ああ、あ、いつになったら、ちゃんとした店が、建てられるのかなあ)
源一のなげきは大きかった。
(一生けんめいに働いているんだが、思うようにもうからない。サービスも一生けんめいやっているんだが、思うようにお客さんが来てくれない。どうすれば、うんとお金が手に入るかなあ)
そのころ新聞には、毎日のように強盗《ごうとう》事件が報道されていた。一夜のうちに、強盗の手にわたる金額は何十万円、何百万円にのぼった。源一は、まさか強盗になろうという気はしなかった。しかし世間の家には、よくまあそんな大きな金がころがっているものだと感心した。そのような金を、すこし僕に貸してくれないものだろうか。せめて十万円だけ費《ついや》してくれる人があれば、うすっぺらな板を使ったにしろ、とにかく家らしいものが出来るんだが、しかしこの源一のねがいは、夢でしかなかった。誰もそんな金を貸してやろうといってくれなかった。
その日の早朝、源一はオート三輪車で風を切って街道をとばしていた。花を仕入れるため、多摩川《たまがわ》の向岸まで行く用があったのである。まだ陽が出たばかりで、田畑《たはた》にさえ人影がなかった。
そのとき、同じ道のずっと前方から、こっちへ向って走って来る自動車があった。それはアメリカ軍が使っているジープといわれる小型のものだった。それがスピードを出していると見え、うしろにもうもうと砂けむりをあげていた。
源一は、やがてジープとすれちがうときのことを予想して、スピードをおとしていった。ジープは一本道をだんだん近づいた。あと三百メートルぐらいになったとき、どうしたわけかそのジープはいきなり左へ頭をふると、車体《しゃたい》が宙にういて道を踏みはずし、田の中へとびこんでひっくりかえった。
「あッ、たいへんだ」
これを見ていた源一はおどろいて、三輪車のエンジンを全開にして現場へかけつけると、ブレーキをかけるのも、まどろこしく、車からとびおりて田の中を見た。
ジープは車輪を上にして田の中にめりこんでいた。乗っていた人は、どうなったかと見ると、車から五メートルばかり離れたところでのびていた。生きているのか死んでいるのかわからない。顔が血でまっ赤だ。さあたいへん。
ゲンドン
源一は、できるだけの速力で、泥田《どろた》の中へとびこんでいった。ひっくりかえったジープの横をぬけ、たおれているアメリカ人のそばへ寄《よ》った。
その人の顔からは、まだたらたらと血が流れ出てくる様子、いきはしているが、その人は目をとじたままだった。
かたわらにその人の帽子が落ちていた。将校の帽子だった。
「しっかりなさい、もしもし、ハロウ。ハロウ。しっかりなさい」
源一は、「しっかりなさい」という英語を知らないことをたいへんに後悔《こうかい》した。
その人はそれでも気がつかなかった。
「……早く病院につれていかなくては――」
源一は、いきなりその人をかつぎあげた。ずいぶん重い身体だった。しかし源一は力持ちだったから、相手をかついで田の中をわたり、道まで出た。そしてその人を、三輪車のうしろの、荷物をのせるところへ入れ、走り出した。
走っている途中で、その人は気がついたようであった。
その人は、何かいった。しかし源一にはよく分らなかった、源一はいいかげんに返事をしながら、先を急いだ。
病院の玄関に車をつけた。源一は車をとびおりると、大声で看護婦をよんだ。奥からばたばたと白い服を着た看護婦があらわれた。
「アメリカの将校《しょうこう》が自動車事故で大けがをしたんです。僕の車のうしろに積んで来ました。早くたんかを持って来て下さい。院長さんは、いるでしょうね。早く手当をしてあげて下さい」源一は早口にしゃべった。看護婦たちはあわてて奥へかけこむと、すぐたんかをかついで出て来た。
そして玄関先へ下りて、源一の三輪車のうしろへまわった。
「わたくし、たんか、いりましぇん」アメリカ人は、たんかを見ると、手をふりながら、そういった。そして三輪車から下りて立った。血のこびりついた顔は元気に見え、そして笑っていた。看護婦たちはおどろいてしまって、ことばも出なかった。
「おいしゃさま、どこにいますか」アメリカ人は、重《かさ》ねて日本語でいった。
「看護婦さん。早くこの方を手術室へ案内しなさい。早く早く」源一がそういったので、看護婦たちは始めてわれにかえってアメリカ人をなかへ案内した。中へはいりかけたアメリカ人は、まわれ右をして、また、玄関先に出て来た。そして源一の方へつかつかと歩いていって、握手をもとめた。
「ありがと、ございました。……おや君はゲンドンではないか」アメリカ人は、大きく目をひらいて、源一の顔をみつめた、源一は奉公していたお店で「源《げん》どん」とよばれていた。「源どん」という名をしっているこのアメリカ将校は、一体だれであったろうか。
ヘーイ少佐《しょうさ》
源一は、自分が助けてこの病院へつれて来たアメリカの将校から、
「おや君はゲンドンじゃないか」とよばれて、目をみはった。誰だろう、自分の名を知っているこの将校は? 「ああ、そうか。ヘーイさんですね」源一は顔をまっ赤にしてさけんだ。
「そのとおり、ぼくはヘーイさんだよ。おもいだしたね」
将校の大きなからだが、足をひきずりながら源一にぶつかるようによって来たと思うと、源一の手は、相手の大きな手の中につつみこまれそしてはげしくふられた。
「ヘーイさんだったのか。こんなところであうなんて……」
「ぼくは日本がすきだったから、志願《しがん》をしてやって来たのさ」
「将校でしょう。見ちがえちゃったな」
「そうだろう。むかし、夜おそく君んところの店をたたきおこして、時間外に、酒やかんづめを出してもらったときの、のんべえのヘーイさんとは、すこし服装がかわっているからね。しかしねえゲンドン、中身はやっぱりあのときと同じヘーイさんだよ。安心してつきあっておくれ。おもしろい話が、うんとあるよ」
そういってヘーイ少佐《しょうさ》は、大きなこえで笑ったが、とたんに、
「あいたタタタタ――」
と顔をしかめた。大きく笑ったのが傷口《きずぐち》にひびいたためであった。
そのとき看護婦たちがヘーイ少佐に、早く中へ入って手当を受けるようにとすすめなかったなら、少佐はまだまだゲンドンと思い出話をやめなかったことだろう。
少佐は、それから病院の中へ入った。そして手術室で手当を受けた。
隊との連絡がついて、やがて三時間たったら寝台車で隊へはこぶこととなった。それまでを、少佐は病室でしずかにねむることとなった。
源一は少佐と別れるときに、銀座の小さい店のことを話した。すると、いずれお礼かたがたゲンドンの店を訪問するであろうといった。
源一は、看護婦たちにおくられて、にぎやかに病院を出た。そしてオート三輪車にまたがると、花の買出しに、もう一度郊外の道をすっとばしていった。
源一はハンドルをにぎって車をはしらせながら、おもいはいつの間にか七八年昔へとんでいた。
そのころよく店へ来たのんべえのヘーイさんだった。ヘーイさんは建築技師で、なかなかいい収入があったのに、気どることがきらいで、近所の二階家《にかいや》を一けん借りて生活していた。そして夜ふけによく源一のつとめている店の表戸をわれるようにたたき、ウイスキーや、かんづめを売れとわめいたものだった。みんなはいやがったが、一番小さい源どん少年だけは、ヘーイさんのこえがすると起きて戸をあけ、品物を売ってあげたのであった。そのヘーイさんが、少佐となって、日本へ来たんだ。うれしい出来事だ。
ふるわぬ店
ヘーイ少佐は、やくそくしたとおり、源どんのテントばりの店さきにあらわれた。
それはあの事件があってから、三週間のちのことであった。
「おう、ゲンドン、かわいい花を売っているね。よく売れるかい」
そういって少佐は、にこにこ顔ではいって来て、店の中をみまわした。
源一は、このみすぼらしいテント店にはこのごろお客もめったに入らないので、いすの背にもたれて「火星探検」という小説をよんでいたところだった。火星探検が、ほんとにこの小説のように出来ればいいなあ。原子力《げんしりょく》エンジンをつけたロケットにのって、くろぐろとした大宇宙をのり切って、やがて火星に近づいて行く……。「ああ、すばらしいねえ、いい気持だねえ。ゆかいだろうなあ」と、すっかり火星|探検者《たんけんしゃ》になりきっているところへ、源一は少佐から声をかけられたのだ。
源一は、あわてて本をふせると、立上って少佐をむかえた。
「ああ、いらっしゃい。よくいらっしゃいました」
源一はぺこぺこおじぎをした。少佐もそれをまねておじぎをした。少佐は日本語が上手につかえる。少年のときにも日本にいたことがあり、中学を卒業するとアメリカへ帰り、教育をうけ、大学を出て、建築技師としてはたらいているうちに、またこの日本へ来た人であった。
「足はどうですか。まだ痛みますか」
「すっかりなおった。君があのとき、すばやくかけつけて、すぐ病院につれていってくれたから、わるいばいきんも入らなかったんだ。だからこんなに早くよくなった。ありがとう、ありがとう」
「それはよかったですね。とにかく神さまがぼくをヘーイさんにひきあわせてくだすったのだと思って、かんしゃしています」
「ほんとだ。ふしぎなえんだね、ゲンドン」
「ヘーイさんの好きなお酒でも一ぱいあげたいけれど、今は何もないんでね」
「いらない、いらない、酒はぼくの方にうんとある。持って来てあげてもいい」
「ぼくは、酒をのみません」
「ああ、そうか」少佐は、それはざんねんだという顔をしたが、それから彼は改《あらた》まった調子で「この店は、よく売れるかね」と聞いた。
源一は、正直にちかごろすっかり売行のわるくなったことをのべた。値段を下げても買い手が来ないことをいった。
少佐はそれを聞いていて、うなずいた。
「花を売るためには、店をもっと美しくしなくてはならない。この店のテントはよごれていけない。なぜ近所のように家をたてないのか」
少佐はそういって、たずねた。そこで源一は、この一坪に家をたてるには一万円かかるが、とてもそんな金を自分はもっていないのだといった。すると少佐は、
「それならいいことがある。このつぎの土曜日にまた来るよ。待っていたまえ」と、なぐさめ顔でかえって行った。
すばらしい話
源一は、「それならいいことがある」と、ヘーイ少佐がなぞのようなことばをのこしてかえったので、それは何であろうと、たのしんで待っていた。
次の土曜日、ちゃんと少佐は、源一の店にすがたをあらわした。首をちぢめて、少佐は中へ入って来た。そしてかかえていた巻いた紙を源一の前にひろげた。
「ゲンドン。こういう店は、君の気にいらないだろうか」
少佐は、白い長い指で、図面のうえにぐるっと円をかいた。
「えっ、なんですって……」
源一はすっかり面くらった。少佐のひろげた図面には塔のような家がかいてあった。それは三階建《さんがいだて》になっていた。いや、地階があるから四階だ。
一階は表へひらいた店になっていて、たくさんの花の鉢をならべ、また上からは蘭科《らんか》の植物などをぶらさげてある絵までかいてあるのだった。
「こういう店を、君はもちたくないか」
少佐は、源一が目を皿のようにひらき、はあはあと胸をはず
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