の中で花がいっぱい咲いた春の野原をとびまわって遊んでいたのだ。れんげ草や、たんぽぽやクローバーやいろんなものが咲いていたよ。そうだ、野原へ行けば花は咲いているにちがいない」
 ゆめの中に、源一は花のあるところをみつけたのだった。
 彼は元気づいて立ち上った。そしてオート三輪車にひらりとまたがると、エンジンを音高くかけて出発した。
 もうもうと、焼け灰を煙のようにかきまわしながら、源一ののった車はどんどん郊外《こうがい》の方へ走っていった。
 赤坂《あかさか》から青山の通りをぬけ――そこらはみんなむざんな焼跡《やけあと》だった――それから渋谷《しぶや》へ出た。渋谷も焼けつくしていたがおまわりさんが辻《つじ》に立っていた。そこで源一は、車を下りて、おまわりさんにたずねた。
「おまわりさん、花がいっぱい咲いている野原へ行きたいんですが、どこへ行けばいいでしょう」
「ええッ、花だって。この腹ぺこ時代に、花なんかみても腹のたしになるまいぜ。それとも、主食《しゅしょく》の代用に花でも食べるつもりかね」
 おまわりさんはおどろいていたが、それでも親切に、花の咲いていそうな野原は、これから二キロほど先の三軒茶屋《さんげんぢゃや》よりもうすこし先のところから始まって、多摩川《たまがわ》の川っぷちまでの間に多分みつかるだろう、と教えてくれた。
「ありがとうございました」
 源一はうれしくて大きな声でお礼をいうと、再び車にうちのって走りだした。しかし、行けども行けども、あいかわらずのひどい焼跡つづきで、だんだん心細くなって来た。
 こんな時に花をさがしに走っている自分が、世界一のまぬけな人間のように思われて来るのだった。


   れんげ草《そう》


「三軒茶屋《さんげんぢゃや》は、まだでしょうか」
 源一は、とちゅうでオート三輪車をとどめて、道ばたにぐったりなって休んでいる大人に声をかけた。
「三軒茶屋だって、三軒茶屋はもう通りすぎたよ。ここは中里《なかざと》だよ」
「へえッ通りすぎましたか」源一のおぼえている三軒茶屋は、大きな建物のならんだにぎやかな町だったが、それも焼けてしまって、ぺちゃんこの灰の原っぱになったため、通りすぎたのに気がつかなかったらしい。「多摩川へ行くのは、こっちですかね」
「多摩川だね、多摩川なら、これをずんずん行けば一本道で二子《ふたこ》の大橋へ出るよ」
「ありがとう」
「買出し行くんかね、あっちは高いことをいって、なかなか売ってくれないよ」
「そうですか、困りますね」
 電車の姿のない電車道の上を源一は車をすっとばして行った。やっぱり焼けているけれど、ぽつんぽつんと所々に焼跡があるだけで大部分の町が残っていた。源一はそれに気がつくと、なんだか、救われたように急に胸がひろがった。
「ほッ、多摩川だ」
 いつの間にか多摩川の見えるところまで来た。二子の橋を渡る。美しい流れだ。川岸は目のさめるような緑の木や草にすがすがしく色どられている。
「いいなあ」
 まるで夢の国へ来たようだ。こんな美しい世界が、まだこの日本にのこっているとは気がつかなかった。橋を渡ったところで左に折れ、堤《つつみ》の方を川にそって下って行く。
「ああ咲いている、咲いている! 花だ。れんげ草があんなにたくさん……」
 源一はエンジンをとめると、車からとびおりた。そして目の下の堤いっぱいに咲きひろがっている紅《あか》いれんげ草の原へかけこんだ。
「うわあ、すごいなあ。すごいなあ」
 源一は気が変になったように、れんげの原の上をとびまわったり、ころがったりした。そのうちに彼は、急に気がついたという風に、花の上にちょこんとすわりなおした。
「待てよ。こんなれんげ草を持っていって銀座の店に並べても、ほんとうに売れるかなあ。チューリップや、ヒヤシンスなら、よく売れることは分っているが、そんなものはないし……」
 ちょっと迷ったけれど、源一にはこの紅いれんげ草が、この上なくうつくしいものに見えたので、やがて決心をして、それから根から掘った。
 そして車のうしろにのせてあったカンバスの中に、ぎっしりつめこんだ。
「さあ、このお花の代金は誰に支払ったらいいんだろうなあ……はははは、れんげ草だから、これはタダでいいんだ」
 源一はゆかいになって、花をつんだ車にのって、再び銀座にむかった。


   一株《ひとがぶ》五十|銭《せん》


 源一は、銀座の焼跡にもどると、さっそくれんげ草を売りはじめた。
「きれいな草花が、やすいやすい。両手にいっぱいでたった五十銭です」
 れんげ草の根を、土とともに新聞紙でうまくくるんで、わらではちまきをしたものが、一かぶ五十銭で売り出されたのだ。このねだんをきめるまでに、源一はながいこと考えた。
 はじめは十銭にしようかと思った。なにしろ多摩川堤《たまがわつつみ》に行けば、いくらとってもただなんだから、十銭でも高いといえる。
 しかし、あそこまでオート三輪車をとばすためには、ガソリン代もいるし、タイヤのパンク修理代もみこまなくてはならない。
 れんげ草を掘るためのシャベルを買うこと、草花を枯れないように水をかけてやらねばならないが、それに使うじょうろも買わなければならない。
 手にはいるなら、小さいすきや、きのはちを買いこみたい。それにこのれんげ草を植えるのだ。そうしたらさぞ見ばえがすることであろう。
 なおそのうえに、源一は一日に三度はたべなければならない。夜は手足をのばしてねるところを借りなければならない。そんなことを考えると、いくらただのれんげ草でも五十銭ぐらいには売らないと商売にもならないし、源一はたべて行けない。
「さあ、買って下さい。きれいな草花《くさばな》が、一かぶ五十銭ですよ」
 源一は銀座の焼跡に人が通りかかると、こういって声をかけながら、れんげ草の一かぶを高くさしあげる。しかし相手は源一の方をむいて、にっこり笑うだけであって、源一の店までやって来て買って行く者はなかった。源一は、だんだん自信を失っていった。
 なぜ、売れないんだろう。相手は誰でも、れんげ草をみて、にこにこ笑う。そういうところを見るとみんな花がきらいではないのだ。きらいでないくせに買っていかないのはどうしたわけだろう。
「ははあ、みんなお金がないのかな」
 そうでもあるまい。たった五十銭なんだから。
「それとも場所がよくないのかな。この店は、銀座の通りから、ちょっとひっこんでいるから、ここまで入りこむのがおっくうなんだろうか」
 たぶん、そうであろうかと思った。しかし、これはどうすることも出来ない。ここが店の場所なんだから仕方《しかた》がない。
「お客さんの来るまで、とうぶん、ここでがんばってみよう」源一はそう決心した。そして売れなくても毎日店を出した。
 すると、ある日のことめずらしく彼の店の前に近づいた三人の若者があった。三人は、源一の店に並んでいる品物をのぞきこむと、一度にぷっとふきだして大笑いした。


   三人組


「なあんだ。花を売っていると思えば、れんげ草じゃないか。人を笑わせやがらあ」
「誰がそんなものを買うものか」
「そうだ、そうだ。今みんな腹をへらしているんだ。食いものなら買うが、花なんぞ、誰が買っていくものか。この坊や、よっぽど頭がどうかしてるぜ。わっはっはっ」と、三人の若者は、源一の頭へ、あざけりの大笑いをあびせかけた。
 源一は、しゃくにさわって、下から胸へぐっとあがってくるものを感じた。(なにをバカヤロウ、何を売ろうと、ひとのことだ。おせっかいはよしやがれ)と、かなわないまでも三人の若者をどなりつけてやりたかった。が、源一は、一生けんめいに腹の立つのを自分でおさえつけた。こんなにおたがいに焼けちまい、みじめになっているのに、このうえけんかをしてどうなるだろうか。仲よくしなければならないんだ。たすけあわなければならないんだ。笑顔《えがお》でいかなければならないんだ。
「あははは、おかしいねえ」と、源一は、気をかえて笑った。
「あれッ。自分でおかしいといっているよ、この小僧《こぞう》は……」
「誰も買わなきゃ、あんちゃんたち、買ってくださいよ」
「しんぞうだよ、この虻《あぶ》小僧は。みそ汁で顔を洗って出直せ」
「ああ、みそ汁がほしい」
「そらみろ。だからよ、食いものはみな買いたくなるんだ。花はだめだ。店をひらくだけ損《そん》だよ」
「でも、ぼくはれんげ草を売るです。だんぜん売ってみせるです」
「ごうじょうだよ、お前は……」
「バカだよ、きさまは……」
「損だよ。今に泣き出すだろうよ」
 三人の若者は、てんでんにいいたい言葉を源一にはきかけると、そこを立ち去った。源一が見ていると、三人は自転車につんで来た荷物を開いて、本通りに店をひろげた。
「さあ、おいしい芋《いも》だ。ほし芋だ」
「ふかし芋もある。いらっしゃい、いらっしゃい」
「腹がへってはしょうがない。さあお買いなさい、あまいあまいほし芋だ」
 三人の若者が、かわるがわるに声をあげて、ほし芋とふかし芋を売りはじめると、通行人たちはたちまち寄って来て、芋店の前は人だかりがつづき、品物は羽根《はね》が生えたように売れていった。そして二時間ばかりすると、すっかり売り切れてしまった。三人の若者は、えびすさまが三人そろったようににこにこ顔だ。そして源一の方へ近づいて、たずねた。
「おい虻小僧。れんげ草の原っぱはまだ売切れにならないかい。うふッ。まだ一つも売れてねえじゃねえか。どうするんだ、そんなことで……」
「ぼく、だんぜん花を売ります。誰がなんといっても売るです」
 源一は、ふりしぼるような声で叫んだ。


   犬山画伯《いぬやまがはく》


 三人組が芋を売りきって引きあげていったあと、源一は一坪の店をまもって、れんげ草とたんぽぽを一株《ひとかぶ》でも売りたいと思い、がんばった。
 だが、ついに一株も売れなくて、やがてさびしく日はかたむきだした。
 一日中、焼けあとにほこりをあび、くさいにおいをかぎ、おなかをすかせ、三人組からは、悪口《わるくち》をあびせかけられ、向うの通りを行く人々からは相手にされないで、源一もすっかり元気をなくし、くたびれはてて焼けあとの焼け煙突《えんとつ》のうえにあかあかと落ちてくる夕日が目にうつると、もうたまらなく、目からぽつりぽつりと大きな涙の粒が、焼け灰のうえに落ちるのだった。
「死んでしまおうか……」
 源一は、唇をかみしめた。自分もなさけない。東京もなさけない。日本もなさけない。未来にたのしみも希望もみつからない。
 そのときだった。源一の前にゲートルをまいた二本の足が停《とま》った。誰だろう。
「ほほう、これはおそれいった。れんげに、たんぽぽか」
 がらがらとした大きな声が、源一の頭の上にひびいた。源一は、下を向いて泣いていたので、顔は涙によごれていた。その涙を、ひざの上に組んだ服の袖《そで》で、ごしごしとこすってから顔をあげた。
 源一の前には、見るからに人のよさそうな男がつったっていた。その男は、年が若いのか、そうでないのか、よく分らなかったが、後で分ったところによると、まだ二十歳の青年だった。年がよく分らないのは、その男の顔が、南瓜《かぼちゃ》に似ていて、そのうえに雀《すずめ》の巣をひっかきまわしたようなもじゃもじゃの髪の毛を夕風にふかせ、まるで畑から案山子《かかし》がとびだしてきたような滑稽《こっけい》な顔かたちをしていたせいであろう。彼は、肩から画板《がばん》と絵具箱とをつりさげ、そして右手には画架《がか》をたたんだものをひっさげていた。それを見れば、この男が画家であることが一目で分るはずであるが、源一はすぐにはそれに気がつかなかった。
「えらくしょげているね。ほ、目のまわりがまっ黒だ。そうか、泣いていたね。はははは、子供のくせにいくじがないぞ。いったいどうしたんだ」
 それから話が始まって、犬山猫助《いぬやまねこすけ》というその画家は、源一の身の上からこの店をだして品物が一つも売れないまでのことを、すっかり聞いてくれ
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