んだが、それから露地をくねくね曲った末に、「おうの屋」と白字を染ぬいた一軒の質屋へ飛び込んだ。
「こないだ預けた銘仙の羽織をちょっと出して貰いたいんだが」
「ああ、その羽織なら、今うけだして持ってお帰りになりましたよ」
「しまった。そいつは質札を拾ってきやがったんだ。それに違いない。そいつは、どんな人間だったい、番頭さん」と、一平は真赤になったり蒼白になったりして、地団太《じだんだ》を踏んだのだった。
 その時薄暗い土間の隅から思いがけない声がした。
「芝居もどきで気がさしますが、その人間というのは、僕なんです」
「おお、あんたは、誰です」と一平は目を瞠《みは》った。
「羽織をかえして下さい。あれは私のだから」
「羽織は返しますよ、ほら。だが、その襟に縫いこんであった、この契約書は、僕に貸して下さい。僕は素人探偵の帆村荘六というものです」
「ウヌ!」獅子奮迅《ししふんじん》にとびついてくると一平を軽く左に外すと、再び一平が立ち直ってくるその頤のあたりを、ウーンと下から突きあげたアッパー・カット美事にきまって、哀れ一平は帆村の足許に長々と横に伸びた。
     *   *   *
 事件のあとで、素人探偵の帆村荘六は、こんなことを発表した。
「犯人一平が考案した現場不在証明のある殺人方法というのは、実はネオン・サインと、当日の異常な気温降下とに関係があったんです。そういうと不思議にお思いでしょうが、屋根裏へ仕掛けて置いたピストルを、電気仕掛で発火させたんです。
 そういうと不思議にお思いでしょうが、実は屋根裏に仕掛けてあったピストルの引金を、電気仕掛けで引張るようにしてあったのでした。その電気仕掛けは、ネオン・サインの硝子管と、あれをとりつけてあった壁とに仕掛けてあった銅で出来た二つの接点が普段は離れているために働かないようになっていたのです。一体ネオン・サインは、建物の一番高い壁体にとりつけてありますが、下から見ると、嘸《さぞ》ガッシリとネオンの入った硝子管が止めてあるとお思いでしょうが、本当は、たった一ヶ所だけしっかり留め、一方は、ちょっとした支持物の上に載っているだけなんです。これは、壁体と硝子管との温度に対する伸び縮みが違うところから必要なわけなんで、昼間は硝子管よりも壁体がズッと伸びていますが、夜になると壁体はグッと縮まるのです。高い屋上では、この伸縮がことに著しいのです。犯人一平は、これに目をつけたのでした。二つの銅の接点は屋内に入ってピストルの引金のところと電灯線に繋《つなが》っていました。昼間はこの接点がかなり離れていますが、夜間となり暁となると壁体の方が硝子管よりグンと縮んでくるために接点の距離はずっと近づきます。しかし普通の寒さでこの接点がまだ接触するほどまでになりませんが、あの事件のあった夜のように、猛烈な寒気が襲ってくると、壁体は著しく伸縮し、壁体とネオン・サインの硝子管とにとりつけて置いた二つの銅の接点が遂に火花を出して接触するのです。接触すると、その接点を通じ始めて電灯線からピストルのところへ電流が流れて引金をグッと引張ることになるから、そこでピストルがドカンと発射される順序になるんです。この仕掛けは、あのように箆棒《べらぼう》に寒い暁近くでもなければ、普通の日の昼間はもちろん夜見ても、二つの接点が離れているからそれだけでは鳥渡《ちょっと》なんのことやら、怪しまれずに済む筈なんです。あの犯行のあった日は大変寒い日[#「寒い日」に傍点]で、その夜の明け方ちかく気温が急降することが別ったので[#「別ったので」はママ]、その夜はきっと、兼ねてカフェ・アルゴンの屋根裏から大将虫尾兵作の頭を狙わせてあるピストルがズドンと発射するだろうと見当をつけて、殊更宵のうちから上野くんだりへ出掛け、酒の酔いにかこつけて乱暴狼藉《らんぼうろうぜき》を働いて、故意に留置され、立派な現場不在証明を作ったのです。ピストルが発射されると、その反動で発火装置用の細い電線などは遠方へとんでしまって、たとえ発見されてもなんとも意味がわからないようになっていたのです。
 殺人の動機ですか。あれは僕が一平の羽織の中から抜きとった契約書を読むとハッキリします。
[#ここから3字下げ、罫囲み]
     殺人契約書
一 拙者は虫尾兵作の殺害を貴殿に依頼せしこと真なり。成功の暁には本書引換に報酬金一萬円相渡すべきものとす。後日のため一札、仍って如件
  四月一日          女坂染吉※[#丸付き印、245−下−8]
 大久保一平殿
[#ここで字下げ終わり]
 要するに一平なる人物は、和製カポネ団の一員だったんです。質札を預けたのは、その夜、警察でしらべられるのがおそろしかったのでした。それから無論、カフェ・オソメの主人女坂染吉も、主犯として即
前へ 次へ
全8ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング