は黙りこくっていた。
「それで多田君」と警部は刑事の方を向いて言った。
「木村銀太という男の行方をしらべて貰いたい。彼奴はマダムのおみねと共謀して大将の寝首を掻いたらしいんだ。――さア、そこらで室調《へやしらべ》を、便利な階下へうつすことにしようじゃないか」
 帆村荘六の面目玉は丸潰れだった。彼が犯人と指摘した人物は、皮肉にも、警察署の留置場に一と晩送って、この上ないアリバイを拵えていたのだった。帆村に、如何なる整然たる推理があっても、かのアリバイの事実はそれを木ッ葉微塵に吹きとばしてしまったといってよい。
(だが、もしや……)と帆村は螺旋階段を静かに下におりながら、なお諦めかねる思索にとりすがった。
(もしや、犯人が現場にいなくて、ピストルが射てるとしたら、どうだろう。それは果して絶対にあり得べからざることだろうか。一平みたいな人物には、一体どれ位までのことなら出来るのだろうか。あいつは、一個のネオン・サインの看板屋なんだが)
 屋根裏のピストル。それに気になるのは、あの脅迫状の文句「寒い日にやっつける」ということ。
 不図《ふと》気がつくと、階下で男女が声高に争っている様子だ。
「だって、どうしても思い出せないのよオ」そう言って鼻声を出しているのは、先刻のナンバー・ワンのゆかりだった。
「あんたは、冗談を言っているんだ。よオ、あとでウンと奢ってやるから、早くそいつを出しとくれ」そういっているのは、まだ聞いたことのない若い男の声だった。
「冗談いってやしないのよ、本当なの。一平さん、ごめんなさい、ねえ」
 おお、相手の若い男というのは、一平なのだ。帆村は階段の中途に突立って思わず声をあげるところだった。
「莫迦《ばか》なやつだなア、貴様は、ううん」一平が苦しそうに呻った。なにか余程重大なものを、ゆかりに預けたのを彼女が無くしたものらしい。
「番頭さんによく訳を言って掛合うといいわ。あたしも、もうせん、あすこの店の質札をなくして困ったけれど、話をしたら、簡単に出してくれたわよ」
 どうやらゆかりが無くしたのは、一平の質札らしい。なぜ質札みたいなものを、わざわざゆかりに預けたんだろう。
「貴様にはもう頼まないや」
 そういうと、一平は裏口へ出て行った。
 戸外へ出ると一平は、あたりを気にしながら、早足にドンドン駈けだした。彼は電車道を越えて、大久保の長屋町の方に走りこ
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