ら、前日までそこに並べておいたはずの第一号テレビジョン機がなくなって、そのあとが歯の抜けたようにポッカリあいていたから。
(先生はどっかへ持ってゆかれて、送影を始められているのだ。しかし時間を書いてゆかれないのは、先生らしくないことだ)
あくまで鈍感な私は、昨夜のできごとをこの黒板の字に結びあわすことをしないで、ただ先生の命令どおり受影機の前に坐って、スイッチをいれた。陰極管が光りだした。ダイヤルを握って七万kc[#「kc」は縦中横]のあたりを探してみると、はたして強い応答があった。それを精密に調整してゆくと、像の縞が流れだした。同期がだんだん合ってくると、スクリーンの上にひとつの映像が静止してくるのであった。そこに現われたのは一個の不思議な人間の姿だった。その顔には、防毒マスクのようなものをかぶり、マスク中央からは象の鼻のような三本のゴム管が垂れさがり、その先は高圧タンクの口につながっていた。その背後には、たくさんの丸いメーターがベタベタ並んでいて、黒い目盛盤の上に白い指針がピクピク動いていた。不思議の部屋! 奇怪なる人間!
「宇留木君。いま時間はどうだネ」
受影機のラッパから響いたそういう声は、意外にもまぎれもない恩師の声だった。
「ただいまは八時五十二分三十一秒です」
「そうか、七秒の遅れだ。するとスピードは充分五万キロは出ている」
五万キロ……という声に私はようやく駭《おどろ》くべき事件に気がついてハッとした。恩師は今、ロケットのなかにおられるのだ。そうだ。なぜそれがいままで判らなかったのだろう、ああ!
「なんだ、いまごろになって気がつくなんて」と渋谷博士の眼と声は笑った。「シュミット会社には気の毒だが、こうするよりほかなかったのだよ。さあ、この機会をはずさずに、火星探検のテレビジョン放送をやるから、すぐに世界各国へアナウンスをしてくれたまえ。この分なら、火星に着くまで七、八カ月はかかるだろう。みんなに見てもらうんだ。この機会を逸せずに。どうかぼくのはらった犠牲を無駄にしないように考えてくれたまえ」
私には先生のこの暴挙を非難する余裕などなかった。先生はこのことあるを予想して、二組の軽便なセットを作られてあったのだ。そしてシュミット博士をだしぬいて、宇宙旅行に飛びだされたのだ。もちろんめでたい生還などはまったく考えておられないことだろう。すべては学者的熱情が、この暴挙にとびこませたのだ。
これをアナウンスされた全世界は震駭した。各国の優秀なる新聞記者は、いずれも言いあわせたように、自国のテレビジョン学者をともなって、旅客機をかってはせつけた。それは一時間でも早く、私の手許にのこっている第二号機からロケット内の渋谷博士にインタービュウし、空前の探検譚と処女航路の風景とを手にいれんがためであった。そしてその次には一刻も早く、同型のテレビジョン機をつくって自国の放送局から放送したいためでもあった。なにしろ計算によると、火星到着まで、七、八カ月も間があるので、これから至急につくれば大丈夫間にあうものと思われた。
はたして四カ月めには、各国各地いずれにも受影装置が働きだした。全世界の目は、渋谷博士の運転するロケットの上に集まっていた。
しかし宇宙は銀座通りのように華やかではなく人々はようやくロケット「赤鬼号」からの報道が毎日あまり単調なのに倦きはじめた。
ちょうど満五カ月めになって、世界の人々のあくびを一瞬にしてとまらせるような一大椿事が出現した。それはロケット「赤鬼号」が故障を起して宇宙に宙ぶらりんになってしまったことであった。しかも奇妙なことに、渋谷博士からの応答によれば、ロケットの機械を検査してみたがいっこうに故障がみあたらないというのであった。要するに、宙ぶらりんになってしまったのはなぜだか判らないのであった。世界の天文学者と物理学者はその謎をとくことに夢中になった。やがてオランダの物理学者サール博士が衆に先んじて飛躍的な解決をつけた。
「わが赤鬼号の空間停止の謎がついに解けた」と博士は放送機の前でいう。「それは赤鬼号が万有引力との中点にとびこんでしまったからである。赤鬼号がそのいちじるしき質量を変じないかぎり、この停止状態は永遠につづくことであろう」
世界は大きく震駭した。万有引力の中点……なるほどそんなものが考えられる。それは無人境の大地にあいている深い陥穽のようなものだ。一度墜ちてしまえば、救われることはまず不可能だ。――それから数日にわたって、私はスクリーンの上に苦悩の色の濃くなってゆく恩師の顔を、どんなに痛々しく眺めなければならなかったろう。
「宇留木君」と博士はある朝ふと私に呼びかけた。「わしはいよいよ最後の努力をするつもりだ。私はじつにいい手段を考えたのだ。しかし私は永遠にこの送影機の前か
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング