きた。しかし事ある毎にいつも引き合いに出されるのは借金がいつまでたっても抜けきれない感がある。恐らく死ぬまでまた幾度となく、更に死んでからも引き合いに出されることだろう。無法庵はこないだもまた十八番の因縁をもって法とするとエラそうなことをいって訣別の辞を残したが、まったく因縁ずくというものはどうも致仕方がない。――あきらめるより致仕方はない。
僕はおふくろとまこと君とを弟や妹とに託して、殆ど家を外にして漂泊して歩いていまでもいる。現に四国港に流れついて、またこれからどこへ行ってやろうなどと現に考えている――だから僕の留守に度々野枝さんはまこと君に遇いにきたそうだ。しかも下谷にいる時などは僕と同棲中僕のおふくろから少しばかり習い覚えた三絃をお供つきで復習にきたなどという珍談もある。僕のおふくろでも弟でも妹でもみんな野枝さんが好きなようだった。ただまこと君だけはあまり野枝さんを好いてはいなかったようだ。
大杉君が子供が好きだということは先輩諸君もアチコチで書いていられるようだが、まこと君は大杉ヤのおじさん――とまこと君はいつでも大杉君のことを呼んでいたが――に連れられてしばしば鎌倉や葉山や小田原や方々につれて行かれたようだ。しかし、幸いにしてこんどだけは僕の家が潰れて引っ越してしまったので、まこと君は大杉ヤのおじさんに連れて行かれず、そのかわり気の毒な宗一君が身代りになったようなわけで、これを考えると僕は宗一君は知らないが、どうもやはりまこと君と同じように少しも区別がつかずに宗一君のことを連想するようになって、従って宗一君のおかあさんのことが考えられて、野枝さんのことが考えられて、――僕は思わず無意識に哀れな僕の伴侶の驢馬君のケツを思い切りヒッパタイていささか心やりとするのだが、ポケットにピストルを入れて文学をやるルウマニアのトリストラム・ツアラアのことを考えてもみるのである。
まことに植木鉢はいつバルコニーから頭上に落ちてきまいものでもないこの人生において、今夜カフェの女給さんにやるチップが一銭もないことを徒に下宿の二階で瞑想するハンス・アルプも随分と馬鹿ではあるが、親愛なるまこと君と上総の海岸にいる流二君のことを徒に考えて、阿呆らしき原稿を書いている僕の如きオヤジも随分と唐変木ではある。
流二君はまこと君に二歳の弟にして、野枝さんはかって大杉君と一緒に駈け落ちして、困りぬいた揚句、乳児の流二君を上総の海岸にオイテキボリをくわしたのであった。
幸運なる流二君は親切にも無教育な養父母の手に養われて目下プロレタ生活修業中であるが、上総ナマリのテコヘンなるアクセントにはさすがの僕も時々閉口するのである。しかし流二君は恐ろしく可愛がられている。わがまま放題に育てられている。――それ以上を望むことは僕の如き人間の要求する方がまちがいである。流二君、願わくば素敵なダダになれ!
僕角帯をしめ、野枝さん丸髷に赤き手柄[#「手柄」に傍点]をかけ、黒襟の衣物を着し、三味線をひき、怪し気なる唄をうたったが、一躍して婦人解放運動者となり、アナーキストとなって一代の風雲児と稀有なる天災の最中、悲劇的の最後を遂げたるはまことに悲惨である。惜しむべきである。更に恐ろしいことである。お話にならぬ出来事である。開いた口が塞がらぬ程に馬鹿気たことである。
同じ軍人でもネルソンもあればモルトケもいれば、乃木大将のような人もあるかと思うとアマカスとか、マメカスとかいうような軍人もいる。児雷也もドロボーなら石川五右衛門もドロボーである。ネズミ小僧やイカケの松君もドロボーである。ナポレオンなどは偉大なる火事場ドロボーだそうである。かと思うと、戦争中に兵隊に送る罐詰の中に石を入れたりするドロボーもいるそうである。同じドロボーでも随分と色々あるものだ。だから、十束一からげにされてはどんな人間でもやりきれない。鮮人が放火人で、社会主義がバクダンで、ボルシェビキが宣伝ビラで、無政府主義が暗殺で、資本家が搾取で、プロレタリヤが正直で、唯物史観がマルクスで、進化論が猿で、大本教がお筆先で、正にあるべきはずなのが大地震だったりしては、一切は鮒が源五郎で、元結は文七であるより以上にたまらない、迷惑至極な道理である。
耶蘇は小便をしても手を洗わなかったり、酒を呑んだり、淫売と交際したり、漁師と友達だったりしたということであるが、僕も実に交遊天下にあまねく、虫の好く人間なら、その境遇と職業と主義と、人格と才能と美醜と、賢愚と貧富とエトセトラの如何を論ぜず、友達になる。だから、僕の交遊の種類はまことに千差万別で、僕はどうやら、社会の職業は文士であるようではあるが、文士や芸術家以外に職人、役者、相場師、落語家、娼婦、社会主義、船乗り、アナーキスト、坊主、女工、芸者、――その他なんでもござれである。
たとえ文士や芸術家や学者や社会主義だろうがなんだろうが、虫の好かない奴は大キライである。自分と精神的生活の色彩が似ているだけそういう連中にヨケイ嫌いな人間がいるようだ。
殺された高尾の平公などは僅か二、三度遇ったきりだが随分好きな人間だったから、葬式にも出かけたのだ。僕は彼と社会主義の話なんか一度もしたことはなかった。彼は全体、ボルなのかアナなのだかなんなのだか僕はいまだに一向知らない。知る必要もない。ただ僕は平公という人間が好きだった。
またパンタライの黒瀬春吉の如きは十年来僕の浅草放浪時代からの親友だが、彼はある主義者にいわせるとスパイなのだそうだが、スパイかアマイか僕は一度も彼をなめてみた事はないが、彼奴はこんどの地震で潰されて死にはしないかと僕は時々心配している。パンタライという名も僕が命名してやったので、千束町にいたヘイタイ虎などと同様――僕にはありがたい友達なのである。デ・クインシイが倫敦で餓死しかけた時、彼を救ったのは少女の淫売婦であったことは僕の名訳『阿片溺愛者の告白』を読んだ諸者はつとに御存知のはずだが、僕が千束町流浪時代に僕に酒を呑ましてくれたり、飯を食わしてくれたり、小遣い銭をくれたりしたのは、やはり私娼やバク徒やその他異体の知れぬ人達であったのだ。僕の親類にも岩崎家に関係があったり、数万の財産を持っている人間もなくはないが、そんな時には一向お役には立たないのである。
しかし日本もかなり文化したのだから、僕のようなスカラア・ジプシイの思想と芸術を尊重して、仏蘭西に洋行でもさせてくれる酔狂な金持ちの二、三人位はそろそろ出てきてもよさそうなものだ。僕は決して遠慮や辞退はしないつもりだから安心してもらいたい。僕はまたダダイストで社会主義でも無政府主義でもなんでもないから、洋行させてもらった返礼にプロレタリアを煽動したりなにかはやらないからこの点にも安心してくれたまえ。
野枝さんは子供の時に良家の子女として教育され、もっとすなおに円満に、いじめられずに育ってきたら、もっと充分に彼女の才能を延ばすことが出来たのかも知れなかった。もっと落ち着いて勉強したのかも知れなかった。不幸にして変則な生活を送り、はなはだ変則に有名になって、浅薄なヴァニティの犠牲になり、煽てあげられて、向こう見ずになった。強情で、ナキ虫で、クヤシがりで、ヤキモチ屋で、ダラシがなく、経済観念が欠乏して、野性的であった――野枝さん。
しかし僕は野枝さんが好きだった。野枝さんの生んだまこと君はさらに野枝さんよりも好きである。野枝さんにどんな欠点があろうと、彼女の本質を僕は愛していた。先輩馬場孤蝶氏は大杉君を「よき人なりし」といっているが、僕も彼女を「よき人なりし」野枝さんといいたい。僕には野枝さんの悪口をいう資格はない。
大杉君もかなりオシャレだったようだが、野枝さんもいつの間にかオシャレになっていた。元来そうであったかも知れなかったが、僕と一緒になりたての頃はそうでもなかったようだ。だが、女は本来オシャレであるべきが至当なのかも知れぬ。しかし、お化粧などはあまり上手な方ではなかった。
僕のおふくろが世話をやいて妙な趣味を野枝さんに注入したので、変に垢ぬけがして三味線などをひき始めたが、それがオシャレ教育の因をなしたのも知れなかった。
だが文明とか文化というのはオシャレの異名に過ぎない。オシャレ本能をぬきにして文明は成立しないだろう。僕も精神的にはかなりオシャレで贅沢なつもりである。仏蘭西のデカダン等はみなみな然りであった。
ブルジョア文化だかなに文化だか知らぬが、とにかく人間が進化するというのはオシャレになるということに過ぎない。いくらブルジョア文化に反対するプロレタ文化だって、みんなが青服を着て得意になるということばかりじゃあるまい。みんなが、人間みんなが一様に贅沢な、文化的な生活をしなくてはならないということなのじゃあるまいか?
今の資本家など称する輩はだが、たいてい財力を握っている野蛮人に過ぎないような観がある。金ピカ崇拝の劣等動物で、芸術だの学問などの趣味のわかる人間は殆ど皆無といっていい位である。だから、かれらがこしらえている都会をまず見るがいい、――いかにゴミタメの如く小汚なく、メリケン町の場末の如く殺風景であるか!
自分はすき好んで放浪している訳ではない。僕をして尻を落ち着けさせてくれる気持ちのいいところがないからなのだ。恐らく贅沢でわがままな僕を満足させてくれるような処はどこへ行ったッてないのかも知れない。
イジイジコセコセと変に固苦しく、生活を心の底からエンジョイすることを知らず、自分の感情を思う存分に托する歌一ツだに持たず、狭い自分達の箱の中でお互いに角つき合い、眼くじらを立て、低能児をやたら生産し、金力と腕力を自慢にする他になに一ツ能がなく、他人の生活をやたら干渉し、自分の人生観がなく、弱い者を苛め、無知で厚顔で粗野で、数え立てればまことに言語道断である。
野村隈畔君や有島武郎さんが心中した気持ちは察するにあまりがある。僕は不幸心中の相手がないので、ノメノメとダダイストになって臆面もなくノサバリかえっている。僕は自分の生き方がいいかわるい[#「いいかわるい」に傍点]かは知らないが、これ以外に今のところ生きるせんすべ[#「せんすべ」に傍点]を知らないのだ。
野枝さんのおもいでを書くつもりであまり書けなかった。初めからあまり気が乗らなかったのだ。それに自分は発端から克明に物語る田舎者のような話し方は至極不得手だ。のみならずくる時の道はなるべく忘却することに努めている。努めずとも飲酒の習癖がひとりでに忘却させてくれる。楽しい過去なら努めて思い出しもしよう。
未練がなかったなどとエラそうなことはいわない。だが周囲の状態がもう少しどうにかなッていたら、あの時僕らはお互いにみんなもッと気持ちをわるくせず、つまらぬ感情を乱費せずにすんだのでもあろう。
[#地から3字上げ](一九二三年十一月、四国Y港にて)
底本:「辻潤全集 第1巻」五月書房
1982(昭和57)年4月15日発行
入力:田島曉雄
校正:松陽
1998年12月21日公開
2006年1月4日修正
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