た。
 それから新聞を見ることが恐ろしく不愉快になりだした。だから不愉快になりたい時はいつでも新聞を見ることにきめた。
 四国のY港にはダダの新吉が病んでいる。僕はあながち彼の病気を見舞うためではないが、しばらくY港で暮らす決心がついたのでY港へやってきた。
 Y港にはS氏というモンスターのようなディレッタントがいて、僕にわがままをさせてくれるというので僕は行く気になったのだ。
 Y港へくると、早速九州の新聞社の支局の記者がきて、「大杉他二名」に対する感想を話してもらいたいといった。
 僕はどういっていいかわからないので当惑してしまった。
 ――僕はこの際なにもいう気がしませんがあなたも御職しょう柄でおいでのことですから、御推察の上よろしいようにお書き下さい――
 といった。
 すると、僕が野枝さんに対して「愛憎の念が交々」起こったりしたというような記事があくる日の新聞に出た。
 僕はそれをみてやはり記者というものはなかなかうまいことを書くものだと思って感心したりした。
 その前にはまた野枝さんが二人の子供まである僕を棄てて大杉君のところに走ったのは、よほど[#「よほど」に傍点]の事情があったらしいと書いた新聞を僕は見た。
 僕はその記者をよほどの心理学者だと思ったりした。
 野枝さんは僕と約六年たらず生活して二人の子を生んだ。だから新聞では僕のことを「野枝の先夫」だとか「亭主」だとか書くが、如何にもそれに相違なかろう。だが、僕のレエゾン・デエトルが野枝さんの先夫でのみあるような、またあたかも僕がこの人生に生まれてきたことは伊藤野枝なる女によって有名になり、その女からふら[#「ふら」に傍点]れることを天職としてひきさがるようなことをいわれると、僕だとて時に癪にさわることがある。
 癪にさわるといえば、往来を歩いている人間のツラでさえ障らないのはまずまれである。それを一々気にしていたら、一生癪にさわることを天職にして暮らさなければならなくなるだろう。感情の満足を徹底すれば、殺すか殺されることか、――それ以外に出る場合は恐らく少ないであろう。
 だから僕などはダダイストにいつの間にかなって癪にさわるひまがあれば、好きな本の一頁でもよけいに読むか、うまい酒の一杯でもよけいに呑む心掛けをしているのだ、なんと素晴らしくも便利な心掛けではあるまいか。僕の思想や感情の出発点に対し
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