な風で九月一日の地震がなかったら、僕は「巻き忘れた時計のゼンマイが停止する」ような自滅の仕方をしていたのかも知れなかった。地震のお蔭で僕は壊滅しそうになっていた意識を取りかえすことが出来たのだと自分では信じている。
裸形のまま夢中で風呂屋を飛び出して、風呂屋の前で異様な男女のハダカダンスを一踊りして、それでもまた羞恥(ダダはシウチ[#「シウチ」に傍点]で一杯だ)に引き戻されて、慌てて衣物を取り出してK町のとある路地の[#「路地の」は底本では「路次の」]突き当りにある自分の巣まで飛びかえってくるまでの間には、久しぶりながらクラシックサンチマンに襲われて閉口した。
幸い老母も子供も女も無事だったが、家は表現派のように潰れてキュウビズムの化物のような形をしていた。西側にあった僕の二階のゴロネ部屋の窓からいつも眺めて楽しんでいた大きな梧桐と小さいトタン張りの平屋がなかったら、勿論ダダイズムになっていたのは必定であった。
それから約十日程は野天生活をして、多摩川湯へはいり[#「はいり」に傍点]に行った。
少しばかりの蔵書に執着はあったが、僕は自分勝手に「永遠の女性」と命名している人の影像と手紙と彼女の残して行ってくれた短刀を取り出すことが出来たから、その他になんの残り惜しさも感じなかった。
いのち[#「いのち」に傍点]あっての物種!――僕は無意識ながら、この平凡極まる文句を毎日幾度かお経のようにとなえては暮らした。この上一切が灰燼になったら同気相求める人達と一緒に旅芸人の一団でも組織して、全国を巡業してまわるのも一興だなどと真実考えに耽ってもみたりした。
幸いにしてK町は火災を免れたが、それでも地震の被害はかなりに甚大だった。僕の知っていた模範青年の妹が潰されたり、親友の女工が焼け死んだりした。
僕は季節外れの震災談をしようとしているのではないが、ついでにちょっと思い出しているばかりなのだ。
そうだ、僕はこの雑誌の編輯者から伊藤野枝さんの「おもいで」という題を与えられていたのだった。伊藤野枝ともN子とも野枝君ともいわないで僕は野枝さんという。なぜなら、僕の親愛なるまこと[#「まこと」に傍点]君が彼女――即ちまこと[#「まこと」に傍点]君の母である伊藤野枝君を常にそう呼んでいるからなのだ。
僕が野枝さんのことについてなにか書くのはこれが恐らく初めてだ。これまで
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