たってふられがちに出来あがっている――まったくわれながらアイソのつきる野郎ではある。おまけに気じるしときているので念が入りすぎている。どうかんがえてみても乞食になるよりほかになるものがないからそれでまあやってるわけなんだが[#「なんだが」は底本では「なんだか」]乞食も決して楽じゃないね。

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 去年病院を出てから二十日ばかり大島のゆ場にいた。もう少しのぼると例の穴のところまでゆかれるのだが、穴なんか覗いたっておもしろくもあるまいと思ってやめた。それに恐ろしくからだがつかれてもいたから歩くのがおっくうでもあった。毎日なんにもせずねころんでばかりいた。ゆ場の主人が「先生ぜひなにか書いて下さい!」というようなことで歌を一首つくった。たぶん今頃かけじにでもなってぶら下っていることだろう。
[#天から2字下げ]島人の疲れいたはる御神火の恵みあふるる湯のけむりかも
てんだ。
 それからイセの津で夏をくらし、八月末に能登へ行った。それから新潟へ行こうかと思っていたが尋ねる人があいにくルスだったのでやめてかえって来た。能登のことをちょいと話したいが長くなるから、またいずれとして――一つ「だちゃカン!」という方言を紹介してそれでおしまいにする。ダチャカン――というのは「埓があかない」の転訛で、つまり「ダメだ」という意味だ。たとえば「自由をわれ等に」てなことをいったってとうていダチャカンわい――とまあいったような風にだ。
 かえってから義弟の家にいそってやっぱり毎日ゴロゴロねてばかりいた。それから義弟にていよくにげられたので――(あたりまえの話すぎて少しもムリもないがね)――ちょッといどころがなくなり、仕方がないから「桜花かや散りじりに」若しくは「あのゆめもこのゆめも――」式にのっとり、私だけは深川の富川町か千住の涙橋の少し向こうのFという家にでも当分厄介になろうかと考えた。深川のトミには時々僕に酒をおごってくれるルンペンの大パトロンがいるし、Fという木賃には僕を大先生扱いにしているフアンがいるからだ。僕のフアンにも音楽の場合と同じくつまり上はスットントンより下はベエトウベンに至るまであるように僕のフアンにも中々いろんなのがいるが――どうも新居先生のように文化マダムや、モデルンギャールの御嬢さんのいないのには――くさるであるです。

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 辻潤後援
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