お前がなんでもあの子でなくちゃならねえように言うもんだで、私が父さんへ泣いて頼むようにして、それで漸《やっ》と夫婦になった仲じゃねえかよ。お隅を貰《もら》ってくれんけりゃ、へえもう死ぬと言ったは誰だぞい。
私はお前の根性が愍然《かわいそう》でならねえ。私がよく言って聞かせるのは、ここだぞよ。お前は独子《ひとりっこ》で我儘《わがまま》放題に育って、恐いというものを知らねえからしてに――自分さえよければ他はどうでもよい――それが大間違だ、とよく言うじゃねえかよ。お前の父さんも若《わけ》い時はお前と同じ様に、人を人とも思わねえで、それで村にも居られねえような仕末。今すこしで野たれ死するところであったのを、漸《やっ》と目が覚めて心を入替《いれけ》えてからは、へえ別の人のようになったと世間からも褒められている。その親の子だからしてに、源さも矢張《やっぱり》あの通りだ、と人に後指をさされるのが、私は何程《どのくれえ》まあ口惜《くやし》いか知んねえ」
と母親《おふくろ》は仰《あおむ》きながら鼻を啜《すす》りました。
ややしばらく互に黙って、とぼとぼと歩いてまいりますと、やがて蕎麦畠《そばばたけ》の側《わき》を通りました。それは母親と源とお隅の三人で、しかも夏、蒔《ま》きつけたところなんです。刈取らずに置いた蕎麦の素枯《すがれ》に月の光の沈んだ有様を見ると、楽しい記憶《おもいで》が母親の胸の中を往ったり来たりせずにはおりません。母親は夢のように眺《なが》めて幾度か深い歎息《ためいき》を吐きました。
「源」と母親は襦袢《じゅばん》の袖口で※[#「※」は「めへん+匡」、90−11]《まぶた》を拭いながら、「思っても見てくれよ。私もなあ、この通り年は寄るし、弱くはなるし、譬《たと》えて見るなら丁度|干乾《ひから》びた烏瓜《からすうり》だ――その烏瓜が細い生命《いのち》の蔓《つる》をたよりにしてからに、お前という枝に懸っている。お前が折れたら、私はどうなるぞい。私の力にするのはお前、お前より外には無えのだぞよ」
老の涙はとめどもなく母親の顔を伝いました。時々立止って、仰《あおむ》きながら首を振る度に、猶々《なおなお》胸が込上げてくる。足許の蟋蟀は、ばったり歌をやめるのでした。
源は無言のまま。
「父さんの言いなさるには、あんな薮《やぶ》医者に見せたばかりじゃ安心ならねえ。平沢に骨
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