には先生の置き忘れた金錢《かね》がある。その金錢を十錢許り盜んだものがある――この盜みをしたものが自分だ……』
 金錢を置き忘れる位の老先生のことですから、斯の私の行ひも別段詮議されずに終つたのでせう。慚愧《ざんき》の情はずつと後に成つてその年老いた漢學者の沒する頃までも續いて居ました。私が老先生の靈前へと思つて、香奠を封じた手紙を書いた時にも、活々と胸に浮んだのはそのことでした。假令《たとへ》金錢は僅かでも、私には全く左樣いふ心を起したことが無いとは言へないのですから。
 金錢はあまり欲しいとは思はなかつたが、品物は欲しいと思つた。私は斯ういふ言ひ※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]しをして自分の少年時代に爲たことを辯解しようとも思ひません。取りましたから取りました。どういふものか、ふいとそんな量見に成りました。それが私の幼い日の中で掻消すことの出來ない記憶の一つとして殘つて居るのです。
 それから同じ物語の續きとして、もう一つ私は書きにくいことを書きました。
『尾張町の夜店には野菜の市があつて、家の人が買ひに出掛けたものだ。自分もよく隨いて行つた。そこには少年の眼を引き易いやうな繪本を商ふ店もある。美しい表紙畫の草雙紙が數多《あまた》そこには並べてある。何がなしにその草雙紙が欲しく成つて、何度も/\其前を往つたり來たりして、終《しまひ》に混雜に紛れて一册|懷中《ふところ》に入れた少年がある――斯の少年が、自分だ。其時自分は捕まりさうにして、命がけで逃げた。草雙紙は置場所に困つて、溝《どぶ》の中へ裂いて捨てた。もし彼《あ》の時捕つたら、自分の生涯は奈何《どん》な風に成つて行つたらう……』
 左樣です。確かに斯ういふことも有りました。ナポレオンの傳記を讀んで感激の涙を流すといふことと、夜見世に並べてある草雙紙を懷中に入れるといふことと、それが私の少年時代には同時に起つて來たのです。私は自分の爲たことに恥ぢ恐れて、二度とそんな行ひはすまいと心に堅く誓ひました。
 斯ういふことを貴女に書き送るとは自分の愚かを表白するに當ります。けれども好いと思ふことでも惡いと思ふことでも、唯それだけでは私には漠然としたものでした。愚かな私は何事でも自分で行《や》つて見た上でなければ、眞實《ほんたう》にその意味を悟ることが出來ませんでした。
 銀座の夜見世と言へば、夜風の樂
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