でも、ナポレオンの青年時代のことは酷く私の心を動かしました。私は例の日光の射し込む窓の下で獨りその小傳を開いては感激の涙を流すやうに成りました。
 斯ういふ物に感じ易い私の少年時代が一方では極く無作法な荒くれた時でも有りました。姉がまだ東京に居ました頃、あの家の二階の袋戸棚の前へ幼い甥を呼びつけて、その戸棚の中に入れて置いた燒饅頭《やきまんぢゆう》が何日《いつ》の間にか失くなつたことを責めたことが有りました。私はそれを見て、心の中で甥の行ひを笑つたり憐んだりしました。どうでせう、その私が豐田さんの家へ來てからは甥を笑へなく成りました。私は白状します、どうかすると私はお腹が空いて空いて堪らないことが有りました。さういふ時には我知らず甥と同じ行ひに出て、煮付けた唐辛《たうがらし》の葉などはよく摘《つま》みました。私は又、自分の空腹を滿す爲でも何でもないのに、酒屋へ使に行つた歸りなどには往來で酢の罎を傾《かし》げて、人知れずそれを舐めて見たりしました。
 注意深い豐田のお婆さんでも左樣々々は氣が附きません。私はそれを好い事にして、ある日、酒屋から酒を買つて戻りました。煮物にでも使ふのでしたらう。小父さんはあまり酒をやらない方でしたから。私が持つて歸つた罎の酒は減つて居ました。
『高い酒屋だねえ。』
 とお婆さんに言はれた時は、思はず私は紅く成りました。
 午後の三時は毎日私の樂みにした時でした。物のキマリの好い豐田さんの家では、三時といふと必《きつ》と煎餅なり燒芋なりが出ました。あのウマさうに氣《いき》の出るやつを輪切にした水芋か、黄色くホコ/\した栗芋かにブツカる時には殊に嬉しく思ひました。夏にでも成ると、土藏の廂間《ひあはひ》から涼しい風の來るところへ御櫃《おひつ》を持出して、その上から竹の簾《すだれ》を掛けて置いても、まだそれでも暑さに蒸されて御櫃の臭氣《にほひ》が御飯に移ることがあります。儉約なお婆さんは、それを握飯《むすび》に丹精して、醤油で味を附けまして、熱い火で燒いたのをお茶の時に出しました。いかに三時が待遠しくても、終《しまひ》にはその握飯の微かな臭氣が私の鼻に附いて了ひました。折角《せつかく》丹精して造《こしら》へることを思ふと、お婆さんの氣を惡くさせたくない。私の癖として、人が惡い顏をするのを見ては居られません。そこで私は握飯の遣り場に窮《こま》つて、
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