れてからはお婆さんの代りに下婢《をんな》が土藏の方へ來て寢ることに成りました。とても子供があるまいと言はれて居た豐田の小母さんは男の兒が生れたので、急に家の内の光景《さま》が變つて賑かに成つて來ました。それにしても下婢と同じ部屋に私を寢かして可からうか、と注意深いお婆さんがそれを言ふと、
『お婆さん――あんな子供ぢや有りませんか。』
 と小父さんが笑ひました。
 私は奧の部屋の炬燵にあたりながら、眠たい耳に斯の話を聞いて居ました。小父さんの言ふ通り、私はまだ子供でした。でもお婆さん達の話が分らないほどの子供では有りませんでした。
 こゝまで書きつけて來ますと、豐田さんの家へ來て奉公して居た種々な下婢が私の眼に浮びます。あるものは目見えに來たかと思ふと直に暇を取つて行つたのもありましたし、あるものは又隨分長いこと好く勤めたのもありました。左樣いふ下婢と私との隔りは最早あのお霜と私との隔りでは無くなつて來ました。私には無智な彼等の言ふことや爲ることが分つて來ました。私が玄關の小部屋に机を控へて勉強して居りますと、彼等の一人が主人の子供を抱いて來て、窓の外を見せながらよく當時の流行唄《はやりうた》を歌ひました。そんな唄を歌つて居ることが奧へ知れようものなら、直に御目玉を頂戴するほど豐田さんの家では嚴しかつたものですから、それを主人に聞えないやうに、窓のところへ來ては歌ひましたのです。
 私は誘惑され易い年頃になりました。もし私に性來の臆病と、一種の自尊心とが無かつたら、早く私は少年らしい好奇心の捕虜《とりこ》と成つたかも知れません。で、私は下婢が傍へ來て樂しさうに歌ふみだらな流行唄などに耳を傾て、氣は浮々とさせることを感じながら、一方には左樣いふ女と碌に口も利かないほど彼等を憎み蔑視《さげす》むやうな心を持つて居ました。
 私がよく行く窓の外には種々雜多なものが通りました。一頃|流行《はや》つたパン屋が太鼓を叩いて來ますと、奧の方に居る小母さん達までその音を聞きつけて、往來の見える窓側の鐵の格子から眺めました。
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『パン屋のパン、
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木村屋のパン――』
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 風變りなパン屋夫婦の洋裝、太鼓や三味線の音などは人の氣を浮き立たせました。あのパン屋はもとは相應な官吏であつたとか、細君はそれ者《しや》の果だとか、ど
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