間に合はせる積りで夜業《よなべ》までして仕立て直して呉れたのでしたが、到頭私は強情を言ひ張つて、その羽織を着るだけは許して貰つたことが有りました。
 父が私に逢ふのを樂みにして一度上京しましたことは、私に取つて忘れ難いことの一つです。何故かと言ひますに、それぎり私は父に逢ひませんから。
 豐田さんの家の奧の二階は廣い靜かな座敷で、そこに父は旅の毛布《ケツト》やら荷物やらを解き、暫時《しばらく》逗留しました。豐田のお婆さんの亡くなつた連合《つれあひ》だの、親戚にあたる年老いた漢學者だの、其他豐田さんの身のまはりの人で父の懇意な人は澤山ありまして、國に居る頃は父もまだ昔風に髮を束ねまして、それを紫の紐で結んで後の方へ垂れて居るやうな人でしたが、その旅で名古屋へ來て始めて散髮に成つた話などを私に聞かせました。私は心の中で、お父さんも大分開けて來たと思ひました。
『あれは彼樣《あゝ》と、これは斯樣《かう》と――』
 そんなことを父はよく獨語《ひとりごと》のやうに言つて、自分の考へを纏めやうとするのが癖でした。
 奧の二階からは廣い物乾場を通して町家の屋根、窓などが見られます。父は旅の包の中から桐の箱に入つた鏡を取出しましたから、
『お父さん、男が鏡を見るんですか。』
 と私が尋ねますと、父は微笑んで、鏡といふものは男にも大切だ、殊に斯うして旅にでも來た時は、自分の容姿《ようす》を正しくしなければ成らないと私に話しました。
 父は隨分奇行に富んだ人で、到るところに逸話を殘しましたが、しかし子としての私の眼には面白いといふよりも氣の毒で、異常なといふよりも突飛に映りました。斯の上京で私はそれを感じたのでした。私の學校友達の六ちやんの家へも父が訪ねて行かうと言ひますから、私は一方には嬉しく思ひながら、一方には復た下手なことをして呉れなければ可いがと唯そればかり心配して、三十間堀の友達の家へ案内して行きました。六ちやんの家ではお母さんが後家さんで六ちやん達を育てゝ居ました。訪ねて行くと、先方《さき》でも大層喜んで呉れましたが、別れ際に父は六ちやんのお母さんからお盆を借りまして、土産がはりに持つて行つた大きな蜜柑をその上に載せました。やがてツカ/\と立つて、その蜜柑を佛壇へ供へたといふものです。斯ういふ父の行ひが少年の私には唯奇異に思はれました。私は父の精神の美しいとか正直なとかを考
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