を感じました。のみならず、私は周圍の冷淡な人達に對して自分の少年らしい感情を隱すやうに成りました。たま/\學校から歸つて來て見ると、老爺さんは鏡に向つて眉間《みけん》の瘤《こぶ》を氣にして居ます。なんでも其瘤は非常に大きなニキビの塊だといふことでした。どうして、年は取つてもなか/\の洒落ものでしたから、到頭老爺さんは剃刀を取出して、自分でそのニキビの塊を切りました。そんなことを見る度に、私は斯の年甲斐のない老人に對してさげすみの念を抱きました。
 斯ういふ家庭の空氣でしたから、自然と私の心は屋外《そと》の方へ向ひました。私も早や東京へ出たての時のやうに髮などを長く垂れ下げて、黄八丈の羽織をヨソイキに着るやうな少年ではありませんでした。毎朝數寄屋河岸へ通ふ途中で一緒に成る男や女の學校友達の顏は、私には親しいものと成つて來ました。その頃普通教育は男も女も合併の時分で、私は一方に炭屋の子息《むすこ》さんと席を並べ、一方には時計屋の娘やある官吏の娘などと並んで腰掛けました。斯の官吏の娘の家は私達が住むと同じ町の並びにありました。姉妹《きやうだい》で學校へ通つて居ました。何がなしに私はその家の前を通るのを樂みにして、私が居る家と同じ型の圓柱、同じ型の窓を望んでは、そこに同級の女の友達が住むことを懷しみました。その頃は又、學級の編成の都合かして、生徒を上の組へ飛ばせるといふことが有りました。その時、私は炭屋の子息さんと時計屋の娘と三人で上の組に編《く》み入れられましたが、官吏の娘だけは元の組に殘りました。休みの時間に、時計屋の娘が先生の前に來て、自分一人昇級するのをブツ/\言ふものが有ると言つて、訴へたことを覺えて居ます。私は氣の昂《たかぶ》つた時計屋の娘よりも、シヨゲた官吏の娘の方を可哀さうだと思つたことも有りました。
 鷲津の姉さんは色の淺黒い、瘠ぎすな、男性的の婦人でそれに驚くほど氣の短い性質を有つて居ました。その性急《せつかち》なことは、鍋に仕掛けた芋でも人參でも十分煮えるのを待つて居られないといふ程でした。早く煮て、早く食つて、早く膳を片附けて了ひたい……それが姉さんの癖でしたから、私も學校の方へ氣が急《せ》かれる時などは、生煮《なまにえ》の物でも何でもサツサと掻込んで、成るべく早いことをやりました。それでも姉さんには急き立てられました。そんな風にして私は一年ばかりも
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